20094月27 その39 見本完成(2) 他アングルからの写真です。 やはり、大きいです。日本戦車とは思えません。 オーストラリアの模型店が運営している有名な模型情報サイト、 PMMSの新製品コーナーで、御紹介いただきました。 なんだか、自分の製品じゃないみたいな気がする(笑
20094月23 その38 見本完成 足回りの塗装を終えて、見本の完成です。 冬季迷彩にして、ちょっと失敗したな、と思ったのは、 この塗装だと、足回りの汚しを強めというか、 ドロドロ、グチャグチャにしたほうが、模型映えするのですが、 そうすると、せっかくのインジェクション製転輪や、 履帯のディテールが見えなくなります。 つまり、そもそも完成見本としては、 問題ある塗装を選んでしまったのです。 そう言えば、レジンキットのパッケージ写真で、 冬季迷彩の完成見本って少ないですね。 なるほど、こういう理由だったのか、(←たぶん、こいつバカ) その辺を考えて、白色塗装が映えるようにしつつ、 でも、あまりドロドロにはせず、という線を意識したのですが、 やっぱり、やり過ぎたかな? 私、モデラーとしては、決して上手ではないので、 この辺の加減になると、いきなり技量が露呈しますね。 今後、精進したいと思います。
20094月21 その37 冬季迷彩 五式中戦車を企画したときから、 やろうと思っていたのが、この冬季迷彩。 タミヤの水性アクリルを吹き付けて、 あとは、アクリル溶剤をしみ込ませた綿棒で、 少しづつ、不規則に拭き取っていきます。
20094月20 その36 基本塗装 組み立てがおわったら、塗装です。 まずサフェーサーを吹いて、下地作りをしてから、 基本色を吹き付けます。 南流山では、クレオスの日本戦車色セットなんぞ、 全く売っていないので、ミドルストーンをベース色に使いました。
20094月20 七回忌 祖母が亡くなり早6年、父が亡くなって5年。 親戚の中に、年齢的に足腰が弱っている方や、 もう体の具合が良くないという方も多く、 「来年は参列できるかわからない」 とのことで、お寺さんと相談して、 父の七回忌を1年繰り上げ、合同忌を行った。 以前も触れたが、父は日本戦車が好きだったが、 五式中戦車だけは「技術者の説明責任の放棄だ」と嫌っていた。 こういう身の丈を越えた戦車の開発要請があったら、 それは無理ですと上を説得するのが、技術者の良識だという。 もちろん戦中の状況を考えれば、そんな意見具申など、 100%不可能ないことくらい、父も知っている。 東京大空襲を経験し、焦土と化した東京で、 終戦を迎えている年代なのだから。 ただ父は、そういう正論を堂々と言う青臭い部分があり、 清濁併せ持つ祖父とは対照的であった。 父と祖父は、同じ橋梁会社に勤務しており、 父が工場長、祖父が専務だった時代がある。 ある日、我が家の前に祖父の黒塗りの送迎車が止まり、 祖父が、えらく怒った様子で父を訪ねてきた。 昼間、会議での父の物言いが、気に障ったらしい。 「お前ら、技術屋のできない、無理だ、ばかり聞いていたら、 飛行機は飛んでいないし、自動車だって走っていない。 なぜ、やってみます、が言えない」 「専務、我々、技術者は与えられた技術の中で、安全な可能性を考えます。 空想を実現するのは、科学者の仕事です」 「お前の物言いは正しい。ただ、思ったこと全てを口に出すのはやめろ、 会社を動かしているのは人間だ。お前が一日中、睨めっこしている機械じゃない」 「それは専務としての御指示ですか、それとも父親としての忠告でしょうか」 祖父は大きく嘆息し、席を立った。母の入れたお茶を口にすることもなく。 「正論はタイミングを誤れば、敵を作る原因となる」 祖父は、しばしば私に説いた。おそらく父の姿が念頭にあったのだろう。 万事が、この調子の父にとって、 理屈ではわかっていても、感情が許せない。 五式中戦車は、そういう機械だったのだろう。 「やっと出せます。あなたは気に入らない戦車かもしれないけど」 発売直前に父の墓前に報告できたことは、とても嬉しく思う。 「ふん。あれは当時の我が国の戦車技術の限界の骸だ」 きっと、あの世で、かつて聞いた台詞を苦々しげに語っていることだろう。