GUMKA工房記

模型の企画・設計と資料同人誌の販売をやっている「GUMKAミニチュア」の備忘録を兼ねたブログです。雨が降ると電車が止まるJR武蔵野線の新松戸と南流山駅の中間辺りに事務所はあります。近所に素材や塗料が揃う模型店がありません。最近、昔からやっている本屋が閉店しました。

カテゴリ: 1/35 五式中戦車

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他アングルからの写真です。
やはり、大きいです。日本戦車とは思えません。

オーストラリアの模型店が運営している有名な模型情報サイト、
PMMSの新製品コーナーで、御紹介いただきました。

なんだか、自分の製品じゃないみたいな気がする(笑

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足回りの塗装を終えて、見本の完成です。

冬季迷彩にして、ちょっと失敗したな、と思ったのは、
この塗装だと、足回りの汚しを強めというか、
ドロドロ、グチャグチャにしたほうが、模型映えするのですが、
そうすると、せっかくのインジェクション製転輪や、
履帯のディテールが見えなくなります。

つまり、そもそも完成見本としては、
問題ある塗装を選んでしまったのです。
そう言えば、レジンキットのパッケージ写真で、
冬季迷彩の完成見本って少ないですね。
なるほど、こういう理由だったのか、(←たぶん、こいつバカ)

その辺を考えて、白色塗装が映えるようにしつつ、
でも、あまりドロドロにはせず、という線を意識したのですが、
やっぱり、やり過ぎたかな?

私、モデラーとしては、決して上手ではないので、
この辺の加減になると、いきなり技量が露呈しますね。

今後、精進したいと思います。

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五式中戦車を企画したときから、

やろうと思っていたのが、この冬季迷彩。

タミヤの水性アクリルを吹き付けて、

あとは、アクリル溶剤をしみ込ませた綿棒で、

少しづつ、不規則に拭き取っていきます。

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組み立てがおわったら、塗装です。
まずサフェーサーを吹いて、下地作りをしてから、
基本色を吹き付けます。

南流山では、クレオスの日本戦車色セットなんぞ、
全く売っていないので、ミドルストーンをベース色に使いました。

祖母が亡くなり早6年、父が亡くなって5年。
親戚の中に、年齢的に足腰が弱っている方や、
もう体の具合が良くないという方も多く、
「来年は参列できるかわからない」
とのことで、お寺さんと相談して、
父の七回忌を1年繰り上げ、合同忌を行った。

以前も触れたが、父は日本戦車が好きだったが、
五式中戦車だけは「技術者の説明責任の放棄だ」と嫌っていた。

こういう身の丈を越えた戦車の開発要請があったら、
それは無理ですと上を説得するのが、技術者の良識だという。

もちろん戦中の状況を考えれば、そんな意見具申など、
100%不可能ないことくらい、父も知っている。
東京大空襲を経験し、焦土と化した東京で、
終戦を迎えている年代なのだから。

ただ父は、そういう正論を堂々と言う青臭い部分があり、
清濁併せ持つ祖父とは対照的であった。

父と祖父は、同じ橋梁会社に勤務しており、
父が工場長、祖父が専務だった時代がある。

ある日、我が家の前に祖父の黒塗りの送迎車が止まり、
祖父が、えらく怒った様子で父を訪ねてきた。
昼間、会議での父の物言いが、気に障ったらしい。

「お前ら、技術屋のできない、無理だ、ばかり聞いていたら、
飛行機は飛んでいないし、自動車だって走っていない。
なぜ、やってみます、が言えない」

「専務、我々、技術者は与えられた技術の中で、安全な可能性を考えます。
空想を実現するのは、科学者の仕事です」

「お前の物言いは正しい。ただ、思ったこと全てを口に出すのはやめろ、
会社を動かしているのは人間だ。お前が一日中、睨めっこしている機械じゃない」

「それは専務としての御指示ですか、それとも父親としての忠告でしょうか」

祖父は大きく嘆息し、席を立った。母の入れたお茶を口にすることもなく。

「正論はタイミングを誤れば、敵を作る原因となる」
祖父は、しばしば私に説いた。おそらく父の姿が念頭にあったのだろう。

万事が、この調子の父にとって、
理屈ではわかっていても、感情が許せない。
五式中戦車は、そういう機械だったのだろう。

「やっと出せます。あなたは気に入らない戦車かもしれないけど」

発売直前に父の墓前に報告できたことは、とても嬉しく思う。

「ふん。あれは当時の我が国の戦車技術の限界の骸だ」

きっと、あの世で、かつて聞いた台詞を苦々しげに語っていることだろう。

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