GUMKA工房記

模型の企画・設計と資料同人誌の販売をやっている「GUMKAミニチュア」の備忘録を兼ねたブログです。雨が降ると電車が止まるJR武蔵野線の新松戸と南流山駅の中間辺りに事務所はあります。近所に素材や塗料が揃う模型店がありません。最近、昔からやっている本屋が閉店しました。

カテゴリ: ヨーロッパ

 古い写真捜しをしていて偶然、発見しました。

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ソ連崩壊後のモスクワで見たデザイン事務所の広告で、バイクに跨る等身大ヒーローにキャッチコピーは「YOU NEED, WE CARE」なんで、「必要なとき我々は駆け付ける」という感じでしょうか?

ロシア人のデザインした珍しいオリジナル・ヒーローで、未来なんだかレトロなんだか不思議な感性です。

もし当時、モスクワでワンフェスをやっていたら、絶対にレジンキット化されていたでしょう。

10数年ぶりに、ロシアの某模型業者から連絡がありました。

「やあ、まだ、このアドレスを使っていたんだな。
ちょっと相談したい事があるんだけど、今週末か来週、モスクワに来れるか?」


行けるか!ボケェ~!

あのね、隣の県とかじゃないんだから…

思い立ったら行ける国は、せいぜい台湾と香港までだな…

せっかく連絡くれたので、近況だの景気だのを尋ねてみました。
模型が売れているそうです。

羨ましいぞ~モスクワ


無下に断るのも無粋なので、

「今週末は歯医者の予約があるし、来週は義父と穴子を食べに行かないとダメなんだ。
旬のモノを義父に御馳走するのは、日本の婿の務めさ~」

てな冗談で返したら、

「そりゃ、大変だ。でも、いい習慣だな。
 うちの国では、借金の申し込み以外、婿が義父に御馳走してくれることはないな~。
 んで、飲みながら、貸す貸さないの話をするモンだから、
 しばしば殴り合いやら詰り合いになるんだな~」


そして、こんなアネクード(ロシア小話)を




ここ数年、連絡すらなかった娘婿のイワンが、義父のサーシャに夜遅く電話してきました。

サーシャ 「こんな夜中に電話なんて、一体、何を考えているんじゃ!」


イワン 「すいません、義父さん。 明日、デイナーを御馳走しますよ」


サーシャ 「ふん、その手には乗らんぞ。 
       さては明日が金貸しへの返済日じゃな?
       今日一日、あっちこっちに頼んでみたものの、
       誰も金を貸してくれんから、最後の最後にワシのところか?
       普段、孫の顔も見せず、連絡もない、お前に貸す金なんぞないわ!」


イワン 「いやいや義父さん、落ち着いて話を聞いてください。
     義父さん、この前の選挙でジュガーノフ氏(プーチン大統領対立候補)の 
     モスクワ郊外地区選挙対策委員をやりましたよね?」


サーシャ 「おいイワン、それが人に頼み事をする態度か?!
       借金をこさえるようなロクデナシに、
       ワシの思想信条を説教される筋合いはない!
       そもそも、あの選挙結果は独裁者プーチンのインチキじゃ!
       奴の不正を必ず暴いてみせるぞ!ワシは奴を許さん!
       祖国ロシアを奴の好きにはさせん!


イワン 「義父さん、ありがとうございます。
     勘違いされていたみたいですが、その言葉だけで充分ですよ。
     今まで黙っていましたが、実は私、国家と大統領に仕える身でしてね。
     では明日、デイナーを御一緒しましょう。



そのとき、サーシャの部屋のドアがノックされました。


もちろん、窓の外には黒塗りの車が…
 


2004年8月、フィンランドに向かう途中、トランジットのためにモスクワの空港に降りたところ、ロシア国内線で爆弾テロが起きました。

空港内の雰囲気が物々しくなる中、なんの説明もないまま、結構な人数のトランジット客が空港の片隅に放置。さすがロシア人、一般乗客のことなんぞ、1mmたりとも気にしていません。

その中に、不満そうにしている若い三人組の旅行者が。こっちも、あまりにも暇なんで話しかけると、ドイツ人で、ウクライナの田舎でバカンスを過ごし、明日、帰国予定だそう。

「英語はうまく話せない。ドイツ語かロシア語はできるか?」

ピンと来ました。きっと旧東独人です。住んでいる街を尋ねると、聞いたことのない名前を言います。近くの大都市は?と問うと、

カール・マルクス・シュタット(現・ケムニッツ)」

やはり間違いありません。話の糸口をつかむべく、ドイツ統一前に、ドレスデン、マイセン、ベルリンを訪問したことがあり、前のパスポートには、国境でビザを発給してもらったときの東独の収入印紙が貼ってあったと告げると、いろんな話をしてくれました。

休暇は川で釣りをし、泳ぐ毎日だったことや、ウクライナに親戚がいるなどから始まり、やがて自分の身の上話を。リーダー格の男性は、東独の大学で専門職の資格を取得し、国営企業に勤務したものの、統一ドイツでは資格無効となり失業。他の二人も定職はないそうです。

「TVニュースが体制が変わったと告げた。これからは自由で良い暮らしができると」

確かに新しい社会は始まり、いつでも新鮮な野菜も肉も果物も買えるようになった。地区の党の偉いさんと役人に賄賂を渡し、自動車購入希望者リストの順番を繰り上げてもらわなくても、いつでも好きな車が買える。旅行に行くときも党の許可は不要。女性の服装もキレイになった。

しかし、東独企業の大半は生き残れず我々は仕事を失った。街は物で溢れたが、それを買える収入はない。仕事を求めて、みんな大都市に行き、地方の都市や村は一気に寂れた。彼は自嘲気味に語りました。

「我々は、それまでは普通の生活をしていた。不便は山のようにあり、必要な物すらない糞社会だったが、家族がいて、友達がいて、恋人がいて、同僚がいて、近所の人たちがいた」

話が次第に重くなってきたので、切り上げることにしました。話の終わり際、リーダー格の男性は笑いながら言いました。

「そうそう俺の名前はサイモン、こいつは弟のハンスだ」

当時は単なる自己紹介だと思いました。事実そうだったのかもしれません。

後にブルース・ウィリス主演の映画「ダイ・ハード3」で、相手方のテロリストは、元東独軍大佐という設定で、名前はサイモン、その弟は第一作目で射殺されたハンスだと気づきました。

映画の後半で、目的を達成し、仲間たちを前にサイモンが怪気炎を上げるシーンがあります。それが彼のメッセージだったのでしょうか?

当時は東西ドイツ統一から14年、すでに統一直後の熱狂は失せ、旧東独地区はインフラの脆弱さや産業の立ち遅れが指摘され、失業問題は一向に改善されない時代でした。

毎年、8月の終わりが近づくと思い出します。

 まだ地球上にソ連という国が存在しており世界は西側と東側に二分された冷戦という時代の1987年、奥さんが、陶磁器で有名なマイセンに行きたいというので、今は亡き東ドイツを旅行し、ドレスデンにあった軍事博物館に寄りました。


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 展示物の中に、ZSU-57-2対空自走砲がありました。当時、まだ、若くてパワーに溢れていた私はメーカーの新製品も無かったこともあって競うように、友人らとソ連AFVのスクラッチ合戦をやっておりまして。柵の中に展示されているZSU-57-2を眺めながら、

「ZSU-57-2も造りたいけど、柵の中だし、車体にも上れないし、肝心の砲塔上面はシートで覆われているしな、」

などと考えていたら、やおら現れた数人の職員が周囲の柵を撤去し、車体に梯子をかけ、砲塔のシートを外し始めたではないですか。

 え?!と思って成り行きを見守っていたら、2人の職員に付き添われながら車椅子に乗った30才くらいの小太りの男性が現れ、数名の職員が介助して、その人を車上に乗せました。男性は持っていた東独製一眼レフカメラで砲塔内部や車体上面を優雅にパチリ、パチリと始めたではないですか。

 ダメもとで片言のドイツ語で、手近にいた人の良さそうな職員に「日本から来たモデラーで、私も、この車両には興味がある。できれば車体上面の撮影をさせてくれないか」 と問うと車上にいた一番、偉そうな老職員に聞こえたようで、すぐに「Nicht gut!(だめ)」と言って両手でXのジェスチャーを。

 「そうか、身体障害者への特別優遇か。社会主義国のメンツにかけてサービスしているのかな」と一瞬、感心しかけたら、話しかけた職員が英語で"He is writer of MBH"「彼は、MBH(東独の国営模型雑誌)のライターだ」そして、顔を近づけてコソッと小声で"His father is great in party" (親父さんは党のお偉いさんだぜ) と言って、ウインクを。

 なるほど共産党の偉いさんの御子息への特別サービスか。あんたたちも、大変なわけやね。冷戦が終わるなんて思ってもいなかった時代の話です。

*写真は、当時の東独の入国ビザです。

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