1月25日、モスクワのドモジェドボ空港で自爆テロがあり、まだ断定はされていないものの、チェチェン共和国がある北カフカスのイスラム武装勢力による犯行との見方が強まっています。
自爆テロは非道な犯罪で、今回も多くのロシア市民と二名の英国人を犠牲にしており、いかなる理由があれど絶対に許されません。旧ソ連時代から、2007年まで、模型の実車取材や仕入れで何度となくロシアには行き、前回のこのコーナー記事のように、国内線の航空機テロのせいで、空港に足止めをくらったこともありますし、モスクワ市内のアパートが爆破され軍装の研究者だった知り合いが亡くなったこともあります。
滞在中、警官がカフカス系らしい人を執拗に職務質問している様子は幾度も見ていますし、政府機関の近所や人の多い観光スポット、公共交通の利用に不安が全くなかったと言えば嘘になります。
2004年、ある日本企業の担当者から相談を受けました。ロシア人画家が描いたイラストをパッケージに使う予定だったが、仕上がりが遅れ、締め切りが迫っている。なんとか、安全かつ素早く確実に日本に運ぶ手段はないか?という内容でした。今なら、データ化して、どこかにアップしてもらい、それをダウンロードすればOKですが当時のロシアのネット環境では、それは無理でした。
正規の輸送ルートを使うと、イラストの持ち出しには文化財ではないというロシア文化省の許可書を得てから、郵便か美術航空貨物で運び出すのですが、許可が降りるまでの手続きもさることながら、ロシア人の関わる郵便や民間の貨物便は、荷抜きや盗難、行方不明、遅配が横行しており、到底、信頼には程遠い状況でした。
西側のFedEXやDHLのサービスがモスクワでも始まっていましたが、いずれも、一旦、預かった荷物をヨーロッパに運び、そこから転送するシステムでロシア国内の輸送状況のせいで、配達の期日や荷物保証ができないうえに、イラストは美術貨物扱いになるとされ「こんな値段だから、絶対に頼まないでね」としか思えない、べらぼうな料金見積もりでした。
さっそく、アエロフロートのパイロットの友人に電話し、何かいい手段はないかと尋ねると、
「FedEXやDHLより安全で、確実で、安価に運ぶ手段がある」
それは、チェチェン人のネットワークを使う提案でした。世界を飛び回っている国内外のチェチェン人ビジネスマンやパイロット、もしくは、彼らが絶対に信頼できると認めた人物が、機内持ち込みできるサイズの荷物ならモスクワから各国に確実に運んでくれると。
「チェチェン人は絶対に信用できる。裏切らない」
それまで、ロシア人は、自爆テロを繰り返すチェチェン人を憎み、恐れている思っていたので、彼の言葉は、全く予想外でした。
「チェチェン人は誇り高く、家族を大切にし、卑怯な行為が大嫌いな人種だ。戦争では絶対に人を後ろから撃たないし、勇気ある戦士と認めた捕虜には怪我の手当てもする」
「ビジネスの相手としては、まるで日本人エンジニアのようにフェアだ。」
彼はパイロットなので、どんな状況でも手を抜かない日本人整備士を高く評価していました。
「ただし、家族を傷つけた者や、卑怯者や裏切り者に対しては、眼を覆わんばかりの残酷な復讐をする。それが昔からのルールだから」
「そんな彼らが、卑劣で非道な自爆テロをやっている。もちろん、テロは許されない。でも、その行為そのものが、誇り高い彼らとは、かけ離れていて、あまりに悲しい…」
彼は熱く、一気に語りました。彼が特異な思考なのかと思い、モスクワ在住の日本語通訳の友人にも、話を聞きましたが、旧ソ連の構成国の中で、バルト三国とチェチェンの人間は信頼できるとチェチェン人に対する考えは同じでした。
ロシア文化省の許可は、パイロットの友人がコネを使い、すぐに手配してくれ、イラストは約束の48時間以内に、モスクワから韓国ソウル経由で、ちゃんと日本に届きました。パイロットの友人に到着の報告すると、
「彼らは、絶対に約束を破らないし、やると決めたことは必ずやる。サムライだ」ロシア文化省の許可は、パイロットの友人がコネを使い、すぐに手配してくれ、イラストは約束の48時間以内に、モスクワから韓国ソウル経由で、ちゃんと日本に届きました。パイロットの友人に到着の報告すると、
ちょっと違うと思うけど、約束は守る人たちだというのは身を以て理解しました。
誤解のないように繰り返しますが、一般市民を犠牲にする自爆テロは非道で、どんな理由や大義があれど、許されません。もちろん、全てのチェチェン人がテロリストというわけではありません。
チェチェン絡みのテロのニュースを聞くたび、ちゃんと約束を守ってくれた人々との、
あまりのギャップの大きさに戸惑い、パイロットの友人の言葉を思い出します。
あまりのギャップの大きさに戸惑い、パイロットの友人の言葉を思い出します。
2月10日補記
9日、ロシア当局は実行犯について、チェチェン人ではなく、イングーシ共和国の若者だったと発表しました。
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