GUMKA工房記

模型の企画・設計と資料同人誌の販売をやっている「GUMKAミニチュア」の備忘録を兼ねたブログです。雨が降ると電車が止まるJR武蔵野線の新松戸と南流山駅の中間辺りに事務所はあります。近所に素材や塗料が揃う模型店がありません。最近、昔からやっている本屋が閉店しました。

2010年06月

車検の代車でブルーの新型フォーカスが来ました。

前回の車検時もシルバーの同じ車種が代車で、数日間、乗りました。
旧型より、明らかに性能向上はしていましたが、全然、おもしろい車でなく、
到底、買う気は起きません。かくして、旧型を乗り続けることに。

今回の代車は、なんと走行距離12万km!
国産車であれば、サスはへたり、各部の立て付けが怪しくなり、
エンジンも夏の終わりのカブトムシか羽化6日目の蝉状態ですね。

「おいおい、大丈夫かよ?」と苦笑いしながら、その辺を転がす。

「あれ?」

おかしい、エンジンは絶好調、サスのへたりもない。
よし、そういう事ならと夜の高速道路に上がり、
ひたすらアクセル踏んで走ります。

信じがたいことに、この走行距離にもかかわらず、
車台のきしみや、高速巡行時の不快感がありません。
旧型なら悲鳴があがる速度での巡行や使い方をしても難なくこなします。

タイヤがBSのレグノ(前回はグッドイヤー)の御陰か、
前回の代車より、しっかり走る感じ。
結局、代車なのに、ついつい、280kmを走りました。
いや、走るほど気持ちが良い車は久々です。

ソ連軍のパックフロントに真っ正面から突っ込んで行って、
ドカドカ撃ち込まれる76.2mm砲弾を全て跳ね返し、
なおかつ、モーターも焼き切れず、突破できた感じ?
(わかる人にしか、わからない例え)

車検を終え、車を届けてくれたディーラーの営業の方に、
この車の秘密を尋ねました。

そもそも前オーナーが、高速道路を頻繁に使って、
千葉から栃木、群馬、茨城へと毎週のように行っていたので、
エンジンにカーボンなどが貯まりづらく、良い状態を維持できたこと。
整備をきちんと受けていたこと、などが理由のようです。

欧州車の底力を久々に感じました。

あ、でも、新型フォーカス、たぶん買いません。
だって、サイドブレーキは操作し辛いし、
カッコ悪いのに約300万もするんだもん。

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最初のテストショットではモールドを入れ忘れていた箇所があった、
クリアーパーツですが、昨日、修正版が届きました。

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まずは輸出仕様のH2、及びW1SA用テールライトレンズ。
ちゃんと反射パターンがモールドされています。


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H2BH2B、S2T、Z1/2用テールライトレンズ。
こちらも反射パターンがモールドされています。

私は現在、ヘッドライトステーの製作で苦戦中。

車検も近いので、フォーカスのタイヤを交換しました。

前回の半年点検のときに、ディーラーの担当から、

「そろそろ、タイヤの交換時期が…」

と言われておったのですが、ディーラーで扱う欧州フォード用のタイヤが、
おフランスミシュランになっていました。

好みはあるでしょうが、私、あのミシュランのソフトな乗り心地と
タイヤ自体の柔らかさが嫌いでして。
そのまんま車検に出すと、セールスされるのは必至なんで、
事前に換えることに。

問題は、どこのタイヤにするか?です。
毎月、ある程度の速度で、
400~700kmほど高速道路を走行するので、
得体のしれないメーカーの格安タイヤは除外。

個人的には、ドイツのコンチネンタル、
それも、80年代末~90年代くらいの
今よりも固めだった乗り心地が一番好きです。

フォーカスの前は、フォード・モンデオ
その前はVWゴルフIIに乗っておりまして。
それらが最初から履いていたのが、
コンチネンタルのタイヤでした。

コンチネンタルは、VWや欧州フォード以外にも、
アウディ、ベンツ、ポルシェ、ジャガーなど、
多く欧州自動車メーカーに納品されています。

「街中では固くて、乗り心地悪いですけど、それが何か?」

と言わんばかりの固い乗り心地に、最初はとまどいましたが、
いざ高速道路を一定速度以上で長距離巡行させると、
一日が終わったときの疲労度が全く違うことに気付き、
以来、熱烈なファンに。

でも、南流山周辺にコンチネンタル扱う店なんてありません。
まあ、高速道路ないんだから、需要があるわけないわな。

自動車タイヤに詳しい友人に聞くと、

「固めが好きなら、ブリヂストンPlayzがいいんじゃないの」

とのことで、それにしました。

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まだ慣らし途中ですが、好きな乗り心地です。

これからはフロント廻りです。まずはフロントフォークから。

 

一次原型は、こんな感じ。あれ?こんなダルい形状だったっけか?

 

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実車はこう。ああ、やっぱり全然違いますね。

 

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まず、全長が1/12で1mmほど短いので、
スペンサー噛ませて延長します。

 

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フォークのダストカバー形状もシャープに改訂します。

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まあ、こんな感じですかね。

1980年1月、初代GSX250E販売開始。 
1980年8月、ヤマハRZ250が登場。

1982年2月、KATANAデザインに変更。 
1982年6月、ホンダVT250Fが登場。

1983年3月、カウル付きモデルに変更。 
1983年3月、スズキRG250Γが登場。

1986年2月、最終カラーリング変更.
1986年10月、ホンダNSR250Rが登場。

新しい事をやると話題の新車に全てチャラにされてます。下手な昼ドラの主人公だって、もう少し幸せです。こんなに不幸なバイクはありませんって。

デビュー当時から問題点と指摘されたのはバンク角の浅さ。ただ、GT380やGT250、GS400も同じだったので、これは個別車種の問題でなく当時のスズキの設計思想だった気がします。

長所は乗り易さと堅牢さ、経済性の良さ、ストレスなく回るエンジン。通勤や通学の足に使って、休日に高速道路を使ったツーリングに出掛けるというライダーであれば全く問題ないバイクです。

このクラスは時代によって要求が変わってきました。そもそもは車検不要、税金も安いし高速道路も走行可能という生活バイクだったのに、1970年代終わりから趣味製の高いモデルが登場し、80年代に一気にそれが開花します。

GSXはDOHCエンジンだけ見ると趣味性が高いですが、中身は汎用バイクでそこがRZ登場以後、大きく変わってしまった市場ニーズと合わなかったのでしょう。友人らに試乗させたとき、異口同音に言う
「DOHC4バルブって割には、普通だね」は、この辺のユーザーの気持ちを端的に表していると思います。

しばしば、ホンダVT系列やジェイドに使われる「250ccカブ」という例えは、このGSXにも当てはまります。同年代に登場したライバルたちが、VTとRZ系列以外は、ほとんど姿を消した中にあって、1987~88年頃まで、基本形態を維持したまま販売され続けたのは幸せだったような不幸だったような…

40才を過ぎた頃、一度、GSX250E KATANAに乗りました。当たり前ですが、初代と全く変わらない特性に懐かしさを覚える反面、乗り手がバイクに負けない感や、気負わず乗れる感が健在でした。

バイクは、このくらいで良いんだなと思ったのは、単に自分が年をとったからだけでないと思います。

GSX250Eが初登場した1980年の250ccロードスポーツを見てみると、

ホンダ: CB250RS、CB250T、CB250N、スーパーホーク
ヤマハ: RD250、GX250SP
スズキ: RG250E
カワサキ: Z250FT、KH250

当時はまだ250ccと400ccが共通フレームで生産されていた時代で、この中で250cc専用フレームだったのは、ホンダのCB250RS、スズキのRG250E、カワサキZ250FT、そしてGSX250Eでした。

しかし、GSXは外装が400ccと共通のデザインだったので、多くのライダーが共通フレームだと誤解をしていたようで、雑誌記事では、うるさいくらいに「別物」を強調してました。

発売前からDOHC 4バルブは話題になっていたものの、その独特のデザインは受け入れられてなく、さらに「このクラスは軽く、スポーティーに」が求められた時代だったので、雑誌記事でもCB250RS、RG250Eの評価が圧倒的に高く、スタートの時点から不遇なバイクでした。

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