2008年12月
安原製作所回顧録
模型店の元バイトにして、カメラ友達の山下君のお薦めで「安原製作所回顧録(安原 伸著 えい出版社)」を読みました。安原製作所は、1997年に創業した世界最小のカメラメーカーで、なんと個人営業でした。
オートフォーカス一眼レフ全盛の時代に趣味性の強い「安原一式」というマニュアル・レンジファインダー機を開発し、告知や広告はホームページのみ。販売も直販というユニークな方法で展開し、当時はカメラ雑誌だけでなく、新聞や経済誌でも幅広く取り上げられました。しかし、同社の二番目の製品「秋月」の開発中に時代のニーズが銀塩カメラからデジカメへと急激に変わり、2004年にカメラメーカーとしての業務を終了します。
同社に関する様々な記事や報道を読んでも謎だったのは、「個人営業でカメラメーカーは回せるのか?」とか「生産を担当した中国企業との関係は?」でしたが、さすが本人が書いているだけあって、一気に判明しました。自分も香港人や台湾人を相手に仕事をしているだけに、頷ける箇所は多かったです。
我々、弱小レジン模型メーカーと似た部分も僅かながらあり、物作りに関わる方は読んで損ないと思います。
その5 砲塔
「なぜハーレーだけが売れるのか」を読んで
国産バイクが不振の昨今、ハーレーダビッドソンだけは売れているそうです。私と同年代の40代後半から50代前半で、1980年代にバイクに乗っていた人ならハーレーには良い印象がないでしょう。
当時、AMF傘下のハーレーは高価なのに品質は問題だらけ。ツーリング先で故障したハーレーの横で立ちすくす、いかにもな格好をしたライダーを見たのは一度や二度なんて甘いもんではないです。
オイルがジワジワどころかポタポタと漏れたり、急にエンジンが掛からなくなったり、エンジンから異音がしたりと、あらゆる故障が発生するのですが、部品供給や専用工具の問題で、普通のバイク店では修理できません。かくして輸入バイク専門店で高い修理代を払うか「安く直してやる」と囁く怪しげな修理店に運を委ねる羽目になるのですが、どっちにしろ、また壊れるので、まさに無限地獄。
パンク修理2万円だの、OHではなくエンジンをちょいと整備するだけで20~50万円、転けたらン十万円だのの、高い修理代と言い値の部品代の横行が都市伝説化しており、ハーレーを買うのは余程の好事家か何も知らない金持ちだけと言われており、当然、憧れの対象とは程遠いブランドでした。
もちろん、今のハーレーが20数年前とは比較にならないくらい品質向上し修理代や部品代も明朗で、サービス網も改善されてることは頭では理解しています。ただ、若い頃に見た数々の悲惨な光景や怪しげな噂話は簡単に記憶から消去できません。だって人間なんだもん。
そんな印象が多少は変わるかと思い、日本経済新聞社から出版された「なぜハーレーだけが売れるのか:水口健次著」を読みました。出版元からビジネス本かと勝手に思っていましたが、内容はハーレー・ジャパンの奥井社長への礼賛のオンパレードで、ハーレーファンなら随喜の涙を流すでしょうが、冒頭に書いたような思いしかない自分にとっては「なんだかな~」が正直な感想です。
インタビューや資料を中心に成功談を解説するのは、この種のビジネス本のセオリーですが、参考になるか否かは、著者の客観的かつ的確な分析力と文章力にあります。残念ながら、この著者は「戦略デザイン研究所代表取締役所長」という、私なんぞは足下にも及ばない御立派な肩書きをお持ちですが、インタビューは浅い質問ばかり。こんな御大層な肩書きがなくとも、もっと鋭い突っ込みや質問ができるライターは沢山いるでしょう。せっかくの本人へのインタビューも合いの手程度の茶々を入れるだけで、途中に深い私見や分析はほとんどありません。
文章も読み辛くはないものの、サラサラと流れる感じで心に残るものはナシ。行間に含みを持たせる筆法も、読者に余韻を残す言い回しも無縁です。すべての事柄を「奥井戦略」という単語で簡単に片付け、巻末に高校生の感想文程度のまとめを書いたうえで導いた結論は「奥井リーダーシップは個性的なんです」このおっさん、大丈夫か?
仮にハーレー・ジャパンの新入社員に読ませる教材なら、この内容でもOKですが、一般書店で売る本でこれは、あまりにもお寒い。もしかして、ハーレー・ジャパンが店頭やイベントでパンフレット代わりに配るために、一定部数をまとめて買い取る契約でもあったのかと邪推したくもなります。
もちろん、この本を読めばハーレーの勝因が「世界観の構築」「価値観への共鳴」「価格の保証と維持」「イベントによる新規顧客の開拓」「販売店の管理と教育の徹底」にあること位はわかります。
村社会が大好きがDNAに組み込まれている日本人は組織や集団への帰属意識が強いので、ある程度の資金を投じて価値観が裏付けされた閉鎖的な組織なり集団を構築し、そこに誘い込んで組織の発展ぶりと充実した(ように見える)人間関係を見せて、自分も仲間になりたいと思わせれば商売的に成功するということは知られています。ハーレー・ジャパンの展開は、まさこれで似た例が東京ディズニーランドです。
経済素人の私が知っている程度の知識なんだから経営や商品戦略を学んだ専門家なら、常識以前のことでしょう。それをあたかも大変な新システムのように書き、「奥井リーダーシップは個性的なんです」で結論。「なんだかな~」久々に読んでがっかりした本でした。
あ、当然、ハーレーへの思いも変わっていません。
その4 キャタピラと転輪
すでに生産済みで倉庫に保管されています。
転輪は九七式に似ていますが、もちろん別物です。
キャタピラは、ちょっとエレファント自走砲に似た独特の表面パターンと形状ですが、
モデルカステンのSKシリーズのような可動式でも、
ドラゴンのマジックトラックのような切り離し済みでもありません。
まあ、プラスチック製なので、メタルやレジン製キャタピラに比べれば、
接着や組み立てが容易です。
品番V-02 BM-13N スチュードべーカー・カチューシャ
安価に生産可能なうえ、様々な車輌に発射架を設置できるので、第二次大戦中に量産され、
T-34戦車、IL-2対地攻撃機、PPSh-41機関銃などと共に「勝利の兵器」として称えられています。
これまで、カチューシャのプラモデルは、ZIS-151ベースの戦後型がズベズダ(旧イタレリ)からと、大戦前半に活躍したZIS-6カチューシャがアランホビーから出ていました。
当社のレジンキットはレンドリース(武器貸与法)によって、
アメリカがソ連に大量に供与したスチュードベーカー6×6トラックをベースとしています。
このタイプのカチューシャは、1943年より戦場に登場し、大戦中、最も多用されました。
バグラチオン作戦、ベルリン戦など、大戦後期の東部戦線の情景には欠かせぬアイテムです。
内容はレジン、エッチング、インジェクションパーツの複合素材キットで、
アメリカ製トラックの特徴でもあるフロントグリルはエッチングで精密再現し、
このキットの見せ場の一つです。治具もセットして、組み立て易さも考慮しました。
また、簡単にグリルが組めるよう、厚手のエッチングを4枚張り合わせるだけの
簡易組み立てパーツもセットしました。
御自身の技術力と、時間と入れ込みで選択できます。
品番はV-02、商品名は「BM-13N スチュードべーカー・カチューシャ」で200個生産しました。
原型製作はシュビムワーゲンtype128同様、佐藤 豊氏です。
実は、このアイテムが決まる前に、八九式戦車の原型を御願いしたのですが、
色好い返事がもらえず、先にアメリカのトラックを作りたいとの希望を出されたので、
このレンドリースアイテムを先に発売しました。
ただ売り切るまでに時間が掛かり、商売的には成功とは言えず、
次アイテムの開発まで、間が空く結果となりました。