GUMKA工房記

模型の企画・設計と資料同人誌の販売をやっている「GUMKAミニチュア」の備忘録を兼ねたブログです。雨が降ると電車が止まるJR武蔵野線の新松戸と南流山駅の中間辺りに事務所はあります。近所に素材や塗料が揃う模型店がありません。最近、昔からやっている本屋が閉店しました。


 自宅兼工房の住所は松戸市の端っこで、すぐ隣が流山市です。地図で見ると、1943年夏のクルスクの突出部みたいに流山市に突き出た松戸領。万一、松戸と流山で戦争になったら、きっと挟撃・包囲されて孤立でしょう。そうなったら、松戸市は物資を空中投下してくれるかな?(不要な妄想)

 目の前と横は畑で、自宅敷地に5台分の駐車スペース有り。以前は住宅建設会社の事務所兼自宅だったので、念願の広めの工作室も確保できました。最寄り駅までは不動産屋の話では徒歩11分ですが、もちろん、絶対に11分では着きません。

ちなみに周辺環境は

* 緑や自然が豊かです(←物は言いよう)
* 近所の公園がどこまで公園敷地なのかわかりません(←都会では、まずない光景)
* 夜になると謎の四つ足動物が近所の畑に出現するそうです(←狸?ハクビシン?)
* 道幅が広く並木道になっています(←開発が遅れた証拠)
* 工場みたいに巨大な某自動車ディーラーがあります(←土地が余っている証拠)
* 近所に石窯焼きのパン屋が2軒もあります(←煙出し放題でも平気な環境)
* 全然、おいしくないケーキ屋が商売できています(←まともな店が来たら一撃必殺)
* すぐ近所にはコンビニがありません(←車で流山街道まで出ればあるけど)

お気づきのとおり、田舎と言っていい環境ですね。引っ越しが今から頭イタイです。

前回の続きです。

 シートベースに表皮パターンを刻んだプラ板を貼りましたが、その周囲をエポパテで埋めます。使ったエポパテは「Duro(デューロ)」の製品です。もともとはローマ帝国の兵士などのヒストリカルフィギュアを自作・改造する欧州のモデラーや原型師の御用達でしたが、現在は日本にも代理店があり、模型専門店などで入手可能です。国産のエポパテと比べて、キメが細かく、柔らかいので、加工が容易です。

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 ある程度、形になったらサーフェイサーを塗って、全体の様子を見ます。H2のシートは前の部分がちょっと上がっており、それがカッコいいので再現してみました。最初に製作したシートと比べて、テールカウルの形状やシートの表皮パターンの違いなどがわかると思います。

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一番上の写真のように750ssの中でもH2とH2Aのシート表皮には、 碁盤目のようなパターンがあります。前回、シートを作ったときは、凹線で再現しましたが、立体感が今一つだったので没にしました。どうすれば、実物のような碁盤目の表皮パターンを再現できるのか?ない知恵を絞って、いろいろと考えましたが、結局、オーソドックスな方法でいくことにしました。

 まず、基本のシートベースの表面をざっくりと削り、そこに細く切ったプラ版を貼って、その表面に半丸ヤスリで均等に溝を掘り、パターンを成形していきます。一つ出来たら、隣にまた細切りプラ版を貼って、同じ作業を繰り返し、合計5枚を貼りました。手前味噌ではありますが、なんとかそれらしく、パターンができました。この後、さらに形を整えてから、シートの全体形を整える作業に進みます。
(続く)

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 シートとテールカウルは、位置決めがし易いように一体成型のパーツにしました。一次原型のシート長が長かったので、まずはカットします。幅も僅かに足りないのでパテ盛りしました。テールカウルも、後方への絞り込みが強いかったので、ここもパテ盛り。その後、削って成型していきます。

 とりあえず形にしましたが、完全に失敗。テールカウルはともかく、シートは形状、表皮のパターンが今一つなので、再度、作り直しです。まだまだ、未熟者だなと反省しきりです。


 千葉県市川市で25年間、ロシアや東欧の模型や書籍を中心に扱う、ちょっと変わった模型店を経営しつつ、軍用車輌や戦車のレジンキットを開発・販売したり、香港など国内外のプラモデル会社向けの設計開発の仕事を貧乏暇なしでやってきました。

 転機が訪れたのは今年9月のこと。

 隣の松戸市に家内の両親が住んでおり、少し前から義母が、義父の世話や食事の苦労を口にするようになっていました。義父は心臓疾患と糖尿病の長患いで、厳しい食事制限があります。その面倒を見る義母も3年前に癌の手術をして経過観察中でした。

 前々から家内とも近所へ引っ越して、食事や家事を手伝ってあげようかと漠然と話していたのですが、同月下旬に義母が再発し入院となりしました。こうなると、悠長なことを言っている場合でありません。義父の世話をする人がいないので、一時入院してもらい、以後、目まぐるしいばかりの急展開で、自宅の引っ越しと店舗譲渡を決めました。

 店は松戸から通勤しながらの継続も考えましたが、それでは不測の事態に対応できない上に、これまでの仕事に加えて、二人の看病介護をこなすことは、私も家内も年齢的・体力的に無理だと判断しました。もちろん、店舗経営で思い残すことや悔いがないと言えば嘘になります。

 ただ人生は思い通りにならないもんです。まあ、引っ越し先では広い工房を確保できたし、看病介護といってもベッドの脇に24時間、詰めているわけではないので、以前からの夢だったレジンキットやメタルキットの開発・販売に勤しむつもりです。夢が実現できるのだから、視点を変えれば幸せなのでしょう。

 個人的にも、ここ5年くらいは働き過ぎだったので、ちょっと、ゆっくりもしたいし。客観的かつ適切な意見をくれた担当医の先生、助言やアドバイスをくれた古くからの友人たち、お店を引き受けてくれた後継者の方、店舗譲渡発表後に気遣いや励ましの声を掛けてくださった御客様、全員に感謝をしています。

どうか今後とも、よろしく御願い申し上げます。

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 今から25年ほど前、Aさんという模型上手な人がおりまして。主に車やバイクを作っていましたが、あるとき、レベルの1/12マッハIII(500SS)をマッハIV(750SS)へ改造しました。

 タンクとシートはバルサから削り出してサーフェサーで目止めし、テールカウルやサイドカバーは、アオシマの1/12バイクの部品から改造。見事なゴールドレインボー塗装で完成させたものの、その後、ポリパテやエポパテなどの造型用の新素材が出回り始めると、「やっぱりタンクとシートの形状が納得いかない」と、数回、手直して、徐々に完成度を高めていました。

「いいか、マッハのタンクには魔物が住んでいる。一見、単純そうな形に見えるが、どうしてもタンク下部と前部のラインがつながらない。無理につなげると、正面からのボリュームがおかしくなり、タンク上部のラインとのバランスも崩れる」

 この台詞はAさんが酔っぱらうと、相手がモデラーであろうが、職場の上司であろうが、取引先のエライさんであろうが、飲みに行った先のキャバレーのホステスであろうが、自分の飼い猫であろうが、必ず聞かせる伝説のボヤキです。大半の人間には(猫にも)理解不能だったでしょうが、今なら言えます。「オレ、それわかりますよ」実物取材したにもかかわらず、私も、その罠にはまりかけました。

 マッハに限らず、三次曲面の塊であるバイクのタンクは、どうしても寸法や写真だけでは追えない微妙な稜線があります。750ssの場合、肝の部分は安藤先輩のボヤキどおり、下部の前の部分でした。実物を手でさわって、ラインが変わる部分を見つけられました。やはり奧が深いですよ、タンク造型。

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