GUMKA工房記

模型の企画・設計と資料同人誌の販売をやっている「GUMKAミニチュア」の備忘録を兼ねたブログです。雨が降ると電車が止まるJR武蔵野線の新松戸と南流山駅の中間辺りに事務所はあります。近所に素材や塗料が揃う模型店がありません。最近、昔からやっている本屋が閉店しました。

カテゴリ: これまでの製品

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カチューシャは、ソ連軍の自走式ロケット・ランチャーの総称で、
安価に生産可能なうえ、様々な車輌に発射架を設置できるので、第二次大戦中に量産され、
T-34戦車、IL-2対地攻撃機、PPSh-41機関銃などと共に「勝利の兵器」として称えられています。

これまで、カチューシャのプラモデルは、ZIS-151ベースの戦後型がズベズダ(旧イタレリ)からと、大戦前半に活躍したZIS-6カチューシャがアランホビーから出ていました。
当社のレジンキットはレンドリース(武器貸与法)によって、
アメリカがソ連に大量に供与したスチュードベーカー6×6トラックをベースとしています。
このタイプのカチューシャは、1943年より戦場に登場し、大戦中、最も多用されました。
バグラチオン作戦、ベルリン戦など、大戦後期の東部戦線の情景には欠かせぬアイテムです。

内容はレジン、エッチング、インジェクションパーツの複合素材キットで、
アメリカ製トラックの特徴でもあるフロントグリルはエッチングで精密再現し、
このキットの見せ場の一つです。治具もセットして、組み立て易さも考慮しました。
また、簡単にグリルが組めるよう、厚手のエッチングを4枚張り合わせるだけの
簡易組み立てパーツもセットしました。
御自身の技術力と、時間と入れ込みで選択できます。

品番はV-02、商品名は「BM-13N スチュードべーカー・カチューシャ」で200個生産しました。
原型製作はシュビムワーゲンtype128同様、佐藤 豊氏です。

実は、このアイテムが決まる前に、八九式戦車の原型を御願いしたのですが、
色好い返事がもらえず、先にアメリカのトラックを作りたいとの希望を出されたので、
このレンドリースアイテムを先に発売しました。
ただ売り切るまでに時間が掛かり、商売的には成功とは言えず、
次アイテムの開発まで、間が空く結果となりました。

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GUMKAのレジンキット第一弾で、1998年11月に発売されました。

シュビムワーゲンってタミヤからプラモデルあるよね?」

そりゃーもう沢山の人から言われましたが、タミヤのプラモはType166で、このType128は、その前身です。

 実車開発の発端は、空軍から出された降下猟兵空挺部隊)用のサイドカーの代替車輌でした。空軍が兵器局に要求した仕様は、最低でも4名(サイドカーは3名)の乗車が可能で、水陸両用性能を有すること。つまり側車付きバイクじゃなくて、水に浮く自動車でした。

 この仕事に手を上げたのが総統閣下もお気に入りの自動車技師、フェルディナント・ポルシェ博士。主要コンポーネントを、VW社のキュベルワーゲン type82から流用し、ほぼ要求どおりの試作車を1940年秋に3台完成させました。これがType128です。

 軍の審査は翌年春まで行われましたが、結局、Type128は空軍には制式採用されず。仕方なくポルシェ博士は、陸軍への売り込みを図る一方で、よりコンパクトなサイズで価格も安いType166の開発に着手します。

 水陸両用の野戦指揮車として、Type128を導入した陸軍でしたが、Type166が完成すると、そっちを採用したため、Type128の生産は1942年に中止されました。生産台数は確認されているだけで40台で、最大150台という説もあります。一部は無線誘導式の自爆車輌type129に改造されました。

 キットの内容は、車体本体、シートなどがレジンで、スクリュー、サスペンションなどはホワイトメタル、細部部品とホイール、ハンドルなどは、Bego/ドラゴン製のインジェクションパーツ、さらにエッチングパーツもセットした複合素材キットで生産個数は200個で、品番はV-01でした。

 原型を担当したのは、当時、模型誌のライターをしていた佐藤 豊氏で、本業のCMの小物製作の技術を生かした緻密な仕上がりでした。余談ですが、この製品の発売時期と店舗の移転が丁度重なり、しんどかったのを覚えています。

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