GUMKA工房記

武蔵野線新松戸~南流山の中間辺りにあるGUMKAミニチュアの備忘録を兼ねたブログです。

カテゴリ: 野戦炊事車


 2016年に発売した1/35 ソ連野戦炊事車KP-41が4年の歳月を経て完売しました。
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 商売抜きで完全に自分の趣味で出した製品なので一部のファン以外には売れず、案の定、長期戦となりましたが、いざ完売すると嬉しいような寂しいような不思議な気持ちです。
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 お買い求め下さった皆様、ありがとうございました。 


 旧東ドイツ軍のレインドロップ迷彩ジャケットを着ていたら、20代くらいの若い男性から尋ねられました。

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「その迷彩、フランス軍ですか?」

「いや、東独軍だよ」

「トーゴ軍?アフリカの?」

「いやいや、トーゴじゃなくて東独。東ドイツ軍」

「(怪訝そうな顔で)ドイツ軍には西軍と東軍があるんですか?」

 トーゴなんてマイナーな国を知っているのに東ドイツを知らないとは。たぶん、ソ連やワルシャワ条約機構も知らんのだろうな…東西冷戦を知らない世代が増えているのかな?

 そんな東独アイテムですが、先日、海外オークションに旧東ドイツ軍の野戦炊事車FKü180/62のセット写真が出品されていました。

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 「こんな貴重な写真がセットで!これは全世界の野戦炊事車ファンと研究者が狙っているに違いない。激しい打ち合いになるな」

と覚悟し、オークションの終了時刻間際に自分が出せる目一杯の金額で入札。ドキドキしながら終了までPC画面を見つめていましたが、結局、誰もライバルは現れず、開始値で落札できました。

 落札できて嬉しかったですが、裏を返せば世界で他に誰も興味がなかったわけで…

 そして先日、写真が手元に届いたので、ロシア人の友人に「これ落札したぞ」報告をメールしたら、彼も、この写真セットがオークションに出品されていたのは覚えており、

「これに入札するのはドイツのライナー・ディトリッヒ(東独野戦炊事車の偉い人)か日本のお前だけだろうなと思っていたけど案の定だったか」

という内容の褒めているのか、馬鹿にしているのかわからない返信をもらいました。

FKü180/62はマニュアルを持っているので、細部写真が入手できた暁には製品化を、などど密かに妄想していましたが、アイテムとしてダメのダメダメな奴だと身に染みてわかりました。




 以前に 御紹介したソ連の野戦炊事車PK ですが、諸々ありましたが、ようやくレジンキットを発売できることになりました。

 当初は手流し量産で、ワンフェス会場にて30個売り切り販売するつもりでしたが、あっちこっちから欲しいという声があったので、レジン注型業者に量産を依頼しました。

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 パンチングボード製の大型ラックの再現は、エッチングを使いました。このラックは木製だったり、未装備の車輛もあります。

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 塗装前はこんな感じです。

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 最初に制式採用されたのが19世紀だけあって、やはり全体的な印象は古めかしい感じがします。長期間に渡って製造されたので、煙突や調理釜の蓋、収納箱やラック形状などに多くのバリエーションがあります。一応、キットは第二次大戦に多い仕様としたので、第一次大戦や日露戦争のジオラマには、そのままでは使えません。

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ようやく発売することができて、肩の荷が降りた気分です。



発端は今から約35年、パウル・カレルの東部戦線の写真集「Unternehmen Barbarossa im Bild」に掲載された1枚の写真でした。

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おそらく、日本で公開された最初のソ連の野戦炊事車の写真だと思います。大半のモデラーは気にもしなかったでしょうが、東京都大田区西糀谷の片隅で呉光雄さんが「たぶん、ソ連軍のフィールドキッチンだよ。模型化されたらイイよね」としみじみと言うので、もともと野戦炊事車は好きだったから「じゃあ、やりましょう!」と安請け合いしました。


当時はパソコンもメールもなかったので、さっそく東側の模型友達に手紙を出し、「ソ連軍の野戦炊事車の資料ある?どっかに実車とか残っていない?」と尋ねたところ、ほぼ全員から「そんな物、興味ない」「知らん」とつれない返事が。まだ、IS-2やBT戦車すらプラモ化されておらず、先にキット化すべきアイテムが沢山あった時代ですから当然の反応です。


モスクワの中央軍事博物館の帝政ロシア軍を紹介するコーナーにパウル・カレル本の野戦炊事車に似た模型が「K300」として展示解説されており名前だけはわかりました。

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                                                     中央軍事博物館に展示されていた模型

 帝政ロシア時代の19世紀末に制式採用されたK300は、基本的な形状を変えないまま第二次大戦中まで生産され、フレームの前部に収納箱、後部に調理釜というソ連野戦炊事車のスタイルを確立していました。KP系列のKP-41/-42が自動車牽引式で金属フレーム、ゴムタイヤだったのに対し、K300は木製フレームで馬牽引、周囲に金属環を巻いた木製ホイールでした。

日露戦争では日本軍に鹵獲され、研究用に国内に持ち込まれており、フィンランド軍の野戦炊事車M29の原型ともいわれています。

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                        帝政ロシア時代の野戦炊事車

 ただキット化する際には、この長期間生産されている点が仇になり、細部変遷が不明なことで、調べれば調べるほどわからなくなり、気にはなるけど、形にできないという状況が何年も続きました。

転機は昨年、KP-41のレジンキットを発売したことでした。ここ10年ほどで少しづつk300の情報も集まり第二次大戦中の生産型は、大概こんなだなと製品化できる程度に判明し、モデラーの性で、KP-41の横にK300も並べたいと思っていたところに年末の東京AFVの会で久々に呉光雄さんにお会いし、諸々、話すうちに大昔の安請け合いを思い出し、「今こそパウル・カレル本の野戦炊事車を立体化しよう」と決めました。

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                    大戦中の給食の様子

収納箱を作り、エッチングの寸法指示図をフェイスブックとツィッターに上げていたら、それを見て、私が何を考えているかわかったロシアの友達から、資料がどっと届いたうえに「あれな、K300じゃなくて、PKだぜ」「中央軍事博物館の表記、間違いだった」という衝撃情報が…実車の銘板が発見され、制式名称や生産工場が判明したそうです。

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                            PKの製造銘版

ずっと彼も情報を集めくれていました。持つべきものは友です。

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 2月19日のワンフェス発売を目指していましたが、量産化とインスト作成が間に合わず、展示のみとなりました。ただ、間もなく販売できるので、西糀谷での安請け合いは35年前の歳月を経て実現できそうです。

 ちなみにパウル・カレルの写真集のPKは、ソ連が深刻な金属不足に陥った1942年~1943年初頭の頃に生産され、金属製のラックは木製となり、車輪も外周に巻く鉄板を節約するために小径に変更されたモデルのようです。

 なぜ、中央軍事博物館は名称を間違えたのか?の疑問ですが、PKの調理釜の容量は150リットルで、最大で300名分のスープを調理できます。制式名称ではないものの、現場では「300名用調理車」という意味でK300と呼んでいたのではないか?とのことです。



収納箱は完成しています。

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本来なら、1月末で原型が全て出来上がって、
2月1日からシリコン型を作って、3日頃から量産開始。

併行してインストを作って…てな予定だったけど、
こういう時に限って本業が忙しい。

全然、時間が足りない(泣)


 28日から春節旧正月)のため香港方面の仕事がしばし休戦となるので遅れに遅れたワンフェスの用意を。今年は自社製の新製品を出せるか微妙な雰囲気が…

 27日に記事にしたエッチングの寸法指示図を「これだけで、何だかわかるモデラーはいないだろう」とFBとツイッターに掲載したら、あっさり判読した?ロシアの友達から、写真やマニュアルコピーなどの関連資料がごっちゃり届き、プロバイダーが「とっととメールボックスを空にしろや!」の警告メッセージを出すほどでした(笑)さっそく部分修正となりましたが、こういうのは嬉しいですね。


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