GUMKA工房記

千葉県南流山にあるGUMKAミニチュアの備忘録を兼ねたブログです。

カテゴリ: いろんな人がいて社会


 前回のWさんの体験談を掲載しましたが、それを読んだ友人のNさんが教えてくれた話です。

 やや几帳面が過ぎる元昆虫採集マニアのNさんといえば、模型店時代のホームページを読んでいた方には御馴染みかと思います。結婚して都内のマンション暮らしでしたが、その後、義母さんの住む沖縄に引っ越し、現在は仕事の都合で静岡県某市に単身赴任中です。これは彼がまだ独身で昆虫採集に夢中になっていた頃の話です。

 昆虫採集のシーズンは春から秋。ある夏の夜、Nさんは灯火採集をしようと、友人から勧められた近畿地方の山に泊まりがけで出掛けました。灯火採集とは、昆虫が明かりに集まる習性を利用して、白いシートや布に強い照明を当てて昆虫をおびき寄せる採集方法です。当時のプロやハイアマチュアは露店商が使うような携行発電機や本格的な照明機材など大掛かりなセットを車に積んで移動していましたが、彼は車が入れない場所での採集をするために身体一つで運べる範囲の機材を揃えていました。

 この日も麓の駐車場に車を置いて、乗用車がギリギリ通れるような細い山道を歩きながら、仕掛けを設置するポイントを探します。途中、理想的な場所がありましたが先客がおり、ライダー二人が天幕とテントを張ってキャンプをしてました。向こうが、ぶっきらぼうに「おぃ、こんな時間から登山か?」と尋ねてきたので、昆虫採集ですよと言ったら笑って、こっちを小馬鹿にしたようなジェスチャーをしてきました。Nさんもムッとはしたものの相手にはせず。そのまま、しばらく山道を登ると開けた場所があったので、機材を設置して照明を点けました。
 Nさんの機材は携行性が優先のため、それほど光量が強くなく、条件が揃えば成果はありますが、この日は不発気味。しかも夜10時頃から雨が降り始め、止む気配がなかったので「あと2日あるしな」と諦めて撤収することにしました。

 雨具は折り畳み傘を持っていましたが、白いシートが防水仕様だったので、雨合羽代わりに頭から被り、両端をサリーのように体に巻き付けて、麓の駐車場を目指してトボトボ下山していたら、途中の空き地近くで、いきなり懐中電灯の光を当てられます。

 眩しいと思った瞬間、「うわー!」「ひぃー!」と叫び声がして、登るとき会ったライダー二人がバイクもテントもそのままで、雨の中を一目散に逃げて行きます。どうやら、白いシートを被ったNさんを幽霊と見間違えたようで、一人は逃げる途中の泥濘で転び、立ち上がるときにも滑って、漫画みたいにジタバタしていました。普段なら「幽霊じゃないですよ」と言いますが、最初に会ったときの印象が良くなかったので、敢えて何のリアクションもせず。宿に戻って「きっと、あの二人は、ツーリング先で幽霊を見たって話すんだろうな」と思いながら、ゆっくり温泉と夜食のオニギリを堪能しました。

 彼曰く、夏山の幽霊目撃談の何割かは灯火採集の布を被った昆虫採集マニアだそうで、自分自身も夏の夜道を運転しているとき、白い布をマントのように羽織って道端を歩いている昆虫採集マニアを見てびっくりしたそうで、知らない人なら絶対に幽霊と間違えるとのこと。


 なお、Nさん、夏山の幽霊の何割かは昆虫採集マニアの仕業と言っておきながら、幾度か大変な経験もしており、一番怖かったのは真夜中の山中に立っていて、こっちをじっと見ていた子供だそうです。


 今は農業をやっているWさん(60代前半)は元編集者で、趣味は釣りとソロキャンプ。大学生の頃から中古のオフロードバイクに寝袋とテントと釣り道具を積んで、いろんな場所で野宿していました。
 旅先で不思議な体験もしており、某離島の山道を歩いていたら、急に身体が動かなくなったというライトなものから、はっきりと姿を見たというヘビー級までありますが、今回は、そのはっきり姿を見た話を聞かせていただきました。


 今から約20年前、まだWさんが40代の頃です。当時は都内で編集者として働いていましたが、大変だった仕事が終わり、気分転換にT県のキャンプ場に行くことにしました。

 アニメやドラマにもなった人気コミック「ゆるキャン」の影響からか、冬でもキャンプをする人が増え、今では通年営業しているキャンプ場も普通にありますが、当時はゴールデンウィーク辺りから夏休み終わりまでの営業が一般的でした。
 そこも夏は事務所に管理人が常駐していますが、オフシーズンは基本的には休業で、知人や常連は事前に予約すると利用できるシステムでした。

 このときも10月でオフシーズンだったため、管理人さんに電話をすると「ゲートの鍵の隠し場所を教えるから、好きな時間に入って、帰るときに忘れず施錠して鍵を元の場所に隠しておいてね」「自分の出したゴミは全部、持ち帰ってね」とのことでした。

 車でキャンプ場に到着したのは午後3時頃。テントを張り、テーブルとイスを出し、ランタンをセットして食事の準備を始めます。日が暮れるタイミングで夕食にし、後は飲みながら、ランタンの明かりで持ち込んだ長編コミックを読んでいましたが、夜10時過ぎには酔いが回り、冷えてきたのでテントで寝ることに。

 トイレに行きたくて目が覚めたのは夜中の3時頃でした。事務所の隣にあるトイレで用を済ませ、夜空を見上げると、周囲に明かりが全くなく真っ暗だったので、様々な秋の星座を確認でき、思わず座り込んで、しばらく見とれていました。

 暗がりに目も慣れてきた頃、ふと人の気配を感じたので、その方向を見ると、キャンプ場の入り口から10mほど先の道に一人の女性が立っています。月明りだけだったので、顔はよく見えなかったものの、遠目にもスタイルが良く、身長も170㎝はあり、10月の夜なのに白っぽいノースリーブのシャツにハーフパンツ姿でした。

 服装こそ違和感があったものの、相手がはっきり見えていたので「こんな時間にキャンプ場に?でも車がないぞ?まさか道路灯もない山道を女性一人で徒歩で登ってきたのか?いや、そんなはずないよな。もしかして彼氏と喧嘩して自分から車を降りて歩いているパターンか?」などと妄想を巡らせていました。

 女性は、こちらを気にする素振りもなく、道路から脇の林に入ると、滑るようにスーっと斜面を(早足で?)下って行き、そのまま藪の中に消えました。そこで「あれは絶対に人ではない!」と急に怖くなってテントに逃げ込み、寝袋に潜って朝を待ちました。

 夜が明けてから、女性が立っていた辺りを確認しましたが、下に行く道や階段はなく、林の傾斜面も降りられなくはないけど、女性が早足で下るのは、かなり危険だったそうです。

 後日、管理人さんと会ったとき、この女性の話をしたところ、

「深夜に道路脇に立つ女性の話なら聞いたことはあるよ。でも、私は夏になると毎日、キャンプ場で寝泊まりしているけど一度も見たことないよ」

「もし幽霊だったとしても熊やイノシシの方がずっと怖い」

とのことで、あんまり気にしている風ではなかったとのこと。

 その後、このキャンプ場を利用したものの、女性を二度と見ることはなく、キャンプ場が廃業した後は、その近所に行くこともなくなったそうです。



 
 


 2003年の4月に取材でドイツに行ったときの出来事です。取材先の戦車博物館があるムンスターは小さな田舎町。それなりに観光にも力は入れている様子でしたが、近隣都市のハンブルクで見たような大勢の日本人観光客も、この街では一人もおらず。


 駅に置いてあった市のパンフレットによれば、観光資源が戦車博物館と古い水車小屋、街のそこかしこに置かれた彫刻でしたから、普通の日本人観光客は、まず来ませんね。おまけにパンフレットの水車小屋の写真は上手に撮影して、歴史的貴重感を演出していましたが実物は普通でした。

 滞在3日目の話です。目的の取材は、ほぼ終わっていたのですが、この日も同行者の五十嵐さんと岡田さんは個人的な興味と将来の仕事になるかもしれないアイテムの下調べで、朝から戦車博物館に行きました。私は家族や友人への土産を買いたかったし、本屋にも行きたかったので別行動で街の中心部へと向かい、午後からは観光を兼ねて街外れまで散歩をしました。

 小さい街なので、中心部から2030分も歩けば草原です。農家や森、川などの風景を撮っていると、自転車に乗った5~6人のいたずら盛りの子供たち(10才くらい?)が
街からの一本道を走って来ます。私の傍まで来ると、リーダーらしき男の子が声を掛けてきました。

Japaner?(日本人か?)」

そうだと返事すると
男の子の眼がキラキラ輝き、息をすぅーと吸い込むと、

「●☆、●☆、●☆、●☆♪~」


といきなり、大声で叫びます。

 その他の男の子と女の子は、私の反応を見逃すまいと、じっと観察していますが、聞き取れなかったので、思わず日本語で「え?なんだって?」と聞き返すと、もう一度、叫びます。

「バス!バス!バス!バスぅ~(最後がウームラウト気味になる)」

今度は聞き取れました。でも意味がわかりません。でも、どこかで聞いたことのあるリズムです。

「バス! バッス バス! バスぅ~」、「バス バース バス! バスぅ~」

男の子が抑揚を少しづつ変えて、何度も叫ぶうちに、突然、閃きました。

バス、ガス爆発?

あははは、あははは、と全員が大笑いし、叫んだ男の子は、かなり得意&満足げな顔で、そのまま街の方に自転車で猛スピードで戻って行きました。どうやら正解だったみたいです。

 多分、日本人旅行者か滞在者から教わり、叫ぶうちに言いやすいように変形していったのかな?それにしても、これを教えた人は数ある日本語の中で、なぜ、この言葉にしたんですかね?


 経営していた模型店が駅近に移転し、しばらく経った頃の話です。

 その日の朝、私は出張先のモスクワから帰国しました。留守中は家内とバイトのYさんに店をお願いしていましたが、帰国日は店休日でした。成田から自宅に戻り数時間の仮眠後、夕方に自転車で店に行きました。

 届いていた郵便物に目を通し、伝言メモを見て何本かの電話をして帰路へ。途中、交差点で信号待ちをしていると、市内にある私立小学校のH学園の男女の生徒がいました。小学3年生くらいで学校の制服姿でランドセルを背負っています。女の子は、一方的にずっと話しており、男の子は、ぼーっとした様子でそれを聞いている風でした。

「そうそう、マサト君、私たち、お付き合いしているでしょう?お母様が言っていたけど恋人同士は、あだ名で呼び合うんですって」

 急に女の子が言い始めます。さすがはハイソなH学園、母親を「お母様」と呼んでやがります。マサト君は相変わらずぼーっとした様子で、あだ名?なんて呼ぶの?みたいなことを尋ねます。

「それでね、お母様がね、二人のあだ名を考えてくれたの。私のあだ名はネコボシ(猫星か?)マサト君はミミゲ(耳毛?)よ」

 え?今、ミミゲって聞こえたけど、時差ボケで空耳か?と思いましたが、交差点で信号待ちしていた周囲の人々が二人を凝視した後、キョロキョロし、お互いの視線で「この子、今、ミミゲ(耳毛)とネコボシ(猫星)って言いましたよね?」と確認し合ったので、やっぱり空耳じゃないと確信しました。

「これから学校でも、アサミちゃんのことネコボシって呼ぶの?」

マサト君、相変わらず良い感じで尋ねます。

「ううん、二人っきりのときだけよ♥」

女の子の真横にいたOLさんの目に怒りと蔑視と軽い殺意がありましたが、残念ながら、そこで信号が変わり、それ以上の会話は聞けず。

 でも、自分の娘はネコボシ(たぶん猫星)と可愛いい命名しておきながら、他人様の子供はミミゲ(たぶん耳毛)呼ばわりする女の子の母親もどうかと思います。ちなみに私の位置からは男の子の左耳しか見えなかったのですが、耳毛は生えていなかったです。

もしも、「なにを言っているんですか。ミミゲとは耳毛のことではなく、〇X%●語で〇〇という意味で、かの国では最高の栄誉ですよ」とか御存知の方がいらっしゃれば、ご教示お願い致します。



補記;以前、アニメ版「進撃の巨人」に登場するキャラクターのユミルを見たとき、この実写版な人に一瞬、ちらっと会った記憶があるけど、いつの誰だったかな?かなり昔のことだと思うけど、どこかの店員さんかスタッフさんだったかな?状態でしたが、この記事を書いてて思い出しました。女の子の真横にいた軽い殺意OLさんでした。



 香港のドラゴンモデルズとの初仕事だった1/35 IS-2重戦車のキットが発売されて、その派生型のIS-2 1944年型(商品名:JS-2m)やISU-122やISU-152自走砲などが出た後ですから1994年の話です。

 発端はバイトYさんが受けた一本の電話でした。いつもの様に応対すると、ちょっと聞き取りづらい声で

「高田だけど、高田裕久はいるかな」

声からすると60~70才くらいだったのでYさんが

「高田さんのお父さんですか?」

と尋ねると

「いや、本人だよ。高田裕久はいるかな」

という、やりとりがあって、今は留守で夜に来る予定ですと伝えるとムニャムニャ言って電話は切れたそうです。

 夕方、私が店に行くと「お父さんから電話がありました」と伝えられたので、すぐ父に連絡してみると電話してないとのこと。たぶん間違い電話だったんだろうと、その日は終わりました。

再び電話があったのは数日後の昼間でした。

「もしもし、高田裕久はいるかな?」

60~70才くらいの老人で、ちょっと聞き取りづらい声です。もしかしてと思いながら

「失礼ですが、どちら様ですか?」

と尋ねると「本人だよ」と、ぶっ飛ぶような返事が。

「あのね、私はね、高田さんの書いた戦車マガジンのソ連戦車の記事を読んで覚えたし、ドラゴンの模型も買ったし、昔の記事も神田の古本屋で立ち読みしたから高田裕久になったんだよ。それでね、この前の日曜日、直接、本人と話して認めてもらおうと思ったら、変な若増が、お父さんですか?なんて、人を馬鹿にした事を言うんだ。だから今日という今日は、直接、本人と話をしてだね、認めてもらうんだよ。だから、とっとと本人と変われ」

今まで、いろいろアレな人を見てきましたが、これは遭遇したことがないパターンです。

「あのー、年齢的には私の父位ですから、それは無理からぬことでは」

「あんた、本人か?」

「はい」

「ずいぶん、声は若いが何才なんだ?」

「35才ですけど」

すると、いきなり激高し始めました。

「35だと? ふざけるな!じゃあ、おまえ、戦争に行ってないじゃないか!なのに、まるで見てきたかの様に記事を書いてたのか?」

「確かに私は戦後生まれですけど、見てきた様にと言われましても」

「じゃあ、おまえは戦ったこともない戦車の模型を作ったわけか?この戦車に火炎瓶ぶっつけた訳じゃないのか?どうして、それで形がわかるんだ!それじゃ本物に似ているかわかんないだろが!俺は、てっきり、あんたは、陸軍の戦車兵か何かで、ノモンハンの生き残りで、シベリア抑留もされたから、記事やら模型やらで、ソ連の事をやっていると信じていたんだぞ。おまえ、よくも俺を騙したな!どうしてくれるだよ!おい!」

 言っている意味がわかりません。そもそもドラゴンのキットは第二次大戦後期に実戦投入されたIS-2重戦車で1939年のノモンハン戦の頃は影も形もないし、ディーゼルエンジンだから火炎瓶攻撃は有効ではないぞ、などと思いながら、とりあえず、この手の人への対応のセオリーどおり言いたいことを吐き出させることにしました。騙したな、俺は戦前の生まれだ、本物の日本兵や米兵も見ているぞ、終戦直後のひもじさがわかるか!など散々、怒鳴り散らした挙句、

「いいよ、誰がお前になんかになってやるもんか。そんな事は、こっちから願い下げだ!いいか今から、なってくださいって頼まれも、もう俺の腹は決まったからな。もうお前には興味がない。言っとくけど、これまでに辻正信(旧陸軍参謀)や五味川純平や司馬遼太郎にもなったんだぞ!」

「俺に選ばれるのが、どれほど名誉かわかっているか?馬鹿な奴だよ、お前は。もういい、電話で話すのも汚らわしいわ。もう、二度と電話なんかしてやらん。死ぬまで後悔しろ馬鹿野郎!」

一方的に興奮しまくって電話は切れました。その言葉どおり二度と電話はなかったです。話しぶりから辻正信や五味川純平、司馬遼太郎だけでなく、これまでにも、いろんな作家や旧陸軍関係者、評論家、政治家になってきたようです。理解できないのは本人に連絡して本人だと認めてもらうって、存在の矛盾を感じないんですかね?


 模型店時代の旧店舗でのエピソードで当時の常連さんたちには有名だった話です。

 あるとき店番をしていると、女優の富田靖子、それも極初期型ではなく初期型に似た若い女性が、ふらりとやって来ました。手には当時でも珍しい風呂敷包みを持ち、目は洗脳された人特有のトロンとした視線で作り笑顔です。

「お仕事中に申し訳ありません。私どもは、この地区の皆様が幸せになれるように、◯◯様の御言葉をお伝えしています。なにか仕事の事や人間関係で悩みはありませんか

と、まあ、ありがちな勧誘トークをしてきました。駅前ビルの2階に引っ越す前の戸建て店舗時代は、ありとあらゆる飛び込み営業や宗教勧誘がありました。いつものように興味がないし、営業中で迷惑だと断ろうとしたら、

「もし奇跡を目の前で、お見せしたら、私共の話を聞いていただけますか?」

と言うやいなや、風呂敷包みを開いて、20cm四方くらいのサイコロ状の木製の箱を出します。上部に10㎝ほどの丸穴が開いていて、箱一面に細かい梵字が墨で書かれており、小道具としては満点です。

「これから、◯◯様のお力を御借りして、あなたに奇跡をお見せします。私は、あなたのために祈りますので、あなたは、もう一度、会いたい故人を一生懸命、頭の中に思い浮かべてください。私が『どうぞ』と言ってから、この丸い穴を覗き込むと、あなたの思い浮かべた方の顔が見えます」

 これは今までにない掴みのパターンです。「やめておけ追い返せ」という自分と「おもしろそうじゃないか。どっちに転んでも話のタネになるぞ」の自分が葛藤し、結局、好奇心が勝ち付き合うことにしました。


 バッタもんの富田靖子、さっそくブツブツ祈り始めます。死んだ祖父を思い浮かべつつ「どのくらい待たされるのかな?」と思っていると、1分足らずで、いきなり

「どうぞ」

えー、いくらなんでも早くないか?ちょっと芸が雑過ぎるぞと思ったものの、とりあえず箱の丸穴を覗きました。

「どうですか?顔が見えますか?その方は思い浮かべた方ですか?」


「うん。箱の底が見える」

「もっとよく見てください」

「底板の木目が見える」

「………」

これは、あなたの気持ちが足りなかったとか反論するパターンかな?と思っていたら案の定、

「その方を思う念が強くなかったからダメなんですよ」

「私も、最初は何も見えなかったんですが、◯◯様の下で、ずっと修行をしたら、力を頂けて見えるようになりました。ですから、あなたも◯◯様の御指導を受ければ、会いたい方にいつでも会えるように

人間、ない物が見えるようになったら終わりです。もっと他の生き方あったろうに可哀そうに。もちろん、お引き取りいただきました。


このページのトップヘ