GUMKA工房記

模型の企画・設計と資料同人誌の販売をやっている「GUMKAミニチュア」の備忘録を兼ねたブログです。雨が降ると電車が止まるJR武蔵野線の新松戸と南流山駅の中間辺りに事務所はあります。近所に素材や塗料が揃う模型店がありません。最近、昔からやっている本屋が閉店しました。

カテゴリ: 軍装

 1936年型をさらに改良したのが1941年型戦車帽です。1936年型と基本形状は同じですが、イヤホンを収納する袋が廃止され、緩衝用パッド、金具とボタンなど細部が異なります。

 1936年型戦車帽同様、「シェレマホーン(通信装置付き保護帽)」と呼ばれ、型式も「Tsh-4」のままです。

 1936年型の緩衝用パッドは動物の毛(主に馬の尻尾)を芯にして布を巻いたものでしたが、1941年型ではゴム質の角形断面の成型品になります。

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 1936年製には黒い革製と綿布製がありましたが、私は今まで1941年型戦車帽で革製を見たことがありません。おそらく、士官用ギムナスチョルカが廃止される1941年2月の制服改正で、士官用の革製戦車帽も廃止され、布製のみだったのではないかと思います。夏用と冬用があり、夏用は裏地が吸汗性のある起毛布地で冬用は動物の毛皮でした。

 私が所有している戦車帽のボタンと止め金具は金属製で、止め金具(Dリング)は打ち抜きプレス部品です。1934年型や1936年型では金属棒を曲げ加工した止め金具を使っているので、ここは戦時中に量産するために簡略化したのかもしれません。
(続)


 前回の記事の続きで、1936年型戦車帽についてですが、昨秋から義母の容体が悪くなり、補足記事を書き掛けのまま、えらく間隔が開いてしまったので、記事タイトルを変更しました。

 1936年型戦車帽はソ連初の音声通話装置が装着可能な保護帽で、それまでと区別すべく「TSh-4 シェレマホーン」という新名称が与えられました。TShは「戦車用保護帽」の意味です。使用者である戦車兵たちからは、それまでと変わらず「シェルム」と呼ばれました。

 頭部に三本の緩衝用パッドが付く基本的な形状は1934年型戦車帽に似ていますが、耳のフラップ部の内側に71-TK-1もしくは71-TK-3車載用無線機のイヤホンを収納する袋が付きました。71-TK-1と71-TK-3無線機の代表的な搭載車は以下のとおりです。

71-TK-1無線機の搭載車輛
T-38TU水陸両用軽指揮戦車、BT-5TU快速指揮戦車、BT-7TU快速指揮戦車、
T-26TU歩兵指揮戦車、T-28多砲塔中戦車、T-35多砲塔重戦車、BA-10装甲車など

71-TK-3無線機の搭載車輛
T-40水陸両用軽戦車、T-60軽戦車、T-34中戦車1940/1941年型、
KV-1重戦車1939/1940/1941年型、KV-2重戦車など


 1936年型戦車帽TSh-4(シェレマホーン)には士官用の黒革製と下士官・兵士用の布製があります。

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 1934年型戦車帽と比べると、前面の緩衝用パッドが、かなり大型化しています。
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 1934年型戦車帽では三本だった側面の緩衝用パッドが一本になります。
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 TSh-4 1936年型戦車帽の最大の特徴である側面フラップ部の内側に取り付けられた無線機のイヤホンを収納する袋です。

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 こちらは下士官・兵士用の布製のTSh-4 1936年型戦車帽。やはり前面の緩衝用パッドが目立ちます。
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 このTSh-4は一般的ではない仕様で顎バンドがなく、ボタンで締める構造になっています。
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 側面フラップ部の内側に取り付けられた無線機のイヤホンを収納する袋です。



 士官と下士官・兵士の差は戦車帽の材質だけでなく、1935年型ギムナスチョルカ(1935年型野戦服)の色も士官用は鋼鉄色と呼ばれるグレーだったのに対して下士官・兵士用はカーキ色と明確な違いがありました。

 さらに下士官と兵士は、ギムナスチョルカの上にコンビネゾーンと呼ばれる紺色のオーバーオールを着用するのに対して、士官には革製もしくは合成皮革製の黒いハーフコートが支給されました。これは戦車部隊の士官にエリート部隊の指揮官としての誇りを持たせることが目的だったと言われています。

 1941年2月の制服改正で士官用のグレーのギムナスチョルカは廃止され、下士官・兵士と同じカーキ色になります。革製ハーフコートもなくなり、将校にもコンビネゾーンが支給されることになります。  

 しかし、自分が戦前からのベテランであることを示すため、独ソ開戦後も革製戦車帽やグレーのギムナスチョルカ、革製ハーフコートを着用し続ける将校がいました。(続)


 ライド・オン・タンクスでは、ざっくりと戦車帽全般について書きましたが1920~1940年代の戦車帽は、極初期のブジョノフカ型(1920年型?)、1931年型、1934年型、1936年型、1941年型の五種類がありました。

 ソ連邦が建国して間もない頃の労農赤軍の戦車兵は「シェルム(ヘルメット、保護帽)」と呼ばれるブジョノフカ型の革製戦車帽を使っていました。下の写真の向かって右側は士官用の黒色、左は下士官・兵士用のカーキ色の戦車帽で、どちらも正面に赤星が付いています。
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 黎明期の労農赤軍らしいスタイルですが、本来の目的である頭部の保護には有効でなかったようで、1931年に緩衝用パッドを十文字配置した新しい戦車帽に切り替わります。この1931年型戦車帽は写真が極めて少ない珍品です。
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 実際に使ってみると1931年型戦車帽でも頭部の保護に不十分だったようで、1934年に緩衝用パッドのレイアウトを全面的に見直した戦車帽が登場します。
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 中央部と側面に各三本の緩衝用パッドが付いた1934年型戦車帽はイヤホンの装着ができないだけで、戦後まで続くソ連戦車帽の基本的なスタイルを既に確立しています。1936年型が登場した後も無線機を搭載していない軽戦車の戦車兵は、1934年型戦車帽を使い続けたため、情報が少なかった冷戦時代には「軽戦車用の戦車帽では?」と推測する西側の研究者もいました。

(続)



*戦車帽以外の軍装についてはアーマーモデリング誌2020年9月号を読んでください。


 今月号のアーマーモデリング誌のライド・オン・タンクスでソ連戦車兵の軍装について解説しましたが、当然のことながら文字数に限りがあったので補足です。軍装全般については敢えて書かないので、アーマーモデリング誌を読んでください。

 ソ連戦車兵用の手袋は「コジェヌィエ・ペルチャトキ・ス・クラーギ」、略して「コジェヌィエ・クラーギ(クラーギ手袋)」と呼ばれます。クラーギとは何ぞや?と露和辞書で調べると革製ゲートルとか長手袋の腕周りと書いてあるので、昔から「長い革手袋のことだろう」と漠然と思っていたのですが、今回、記事を書くにあたり、詳しいロシア人に教えてもらいました。
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 「クラーギの語源は、オランダ語のKraag(クラーク)で、もともとは襟という意味だ」「18世紀に甲冑のガントレットが手首に襟が付いたように見えたので、このように呼ばれるようになった」「ガントレットと同じ形だから、この形の手袋のこともコジェヌィエ・クラーギと呼ぶ。つまり、ガントレットグローブのことだ」

 いや~長年の精神的残尿感が解消しましたとも。御存知の方も多いと思いますが、ガントレットは剣道の籠手に相当する西洋甲冑の防具です。
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 言われてみれば、コジェヌィエ・クラーギは、バイク用のガントレットグローブと形状が同じですね。いつも身近に見ていたのに全然、繋がらなかったです。

 

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