義弟の葬儀のために新潟へ行っておりました。中学生の頃に高校数学の問題を解き、高校生の姉に微積分をレクチャーするほど頭の良かった彼は、鹿児島大学医学部に進学したものの、三年生になって持病のアレルギーが悪化し、満足に授業に出られなくなった上、担当教授と折り合いが悪かったことも重なって退学します。
 一時期は予備校の講師をしていましたが結局、医師になりたいと新潟大学医学部に再入学しました。卒業後は大学付属病院の医局で喘息とアレルギーの研究を続けて、7本の共著論文を提出し医学博士号を取得します。

 普段は無口で冗談も言わないので、きっと患者さんを診察するよりも研究室に籠るタイプだろうと私も家内も勝手に思っていました。
 なので、通夜や葬儀の席で病院の上司や同僚の医師、看護師から「患者思いの熱心な先生だった」「現場が厳しいとき、冗談を言って空気を和ませてくれた」「先生のブラックジョークが好きでした」「患者さんに人気があった」「地域老人の健康意識を高めるため、夜間集会を発案・実行し、それは今でも継続している」などの話を聞いて、とても驚きました。

 無神論者だったので葬儀は無宗教型式で行われました。無神論者=共産主義者と思われがちですが政治には全く無関心で、義母が年に数回も伊勢神宮を参拝する熱心な崇敬者だったことが嫌でそうなってしまったようです。無神論者故、戒名も故人を偲ぶ一周忌や三回忌の法要もなく、遺族としては寂しいですが本人の希望なので仕方ありません。

 あるとき、奇跡の回復について話題にしたとき「本人や家族が奇跡を期待するのは当然だし否定しない」と前置きしつつ、「義兄さんのいう奇跡が劇的な回復のことをいうならば、それは治療の成果が遅く出たのかもしれないし、ある治療方法で複合原因の一つが取り除かれた結果かもしれない」「自分は、後は神に祈るだけとか奇跡を期待という言葉は医学の敗北だと思っているので、口にしない」と語っていたので唯物論者でもあるのでしょう。

 死因は悪性リンパ腫で闘病生活は1年9ヶ月にも及びました。同僚の医師たちが全力で治療にあたってくれ、今年の夏頃には一旦は回復し、この様子なら10月に退院とまで言われましたが、ここ数週間で急激に病状が悪化しました。
IMG_0496
 新型コロナウイルス感染防止のため、お通夜は通夜ぶるまいもできず、葬儀の参列者を分散させるため、直前まで勤務していた総合病院でも、お別れ会を開きましたが、200名以上の医師と看護師、元患者さんが彼のために集ってくれたそうです。

享年58歳は、あまりに早すぎます。