香港のドラゴンモデルズとの初仕事だった1/35 IS-2重戦車のキットが発売されて、その派生型のIS-2 1944年型(商品名:JS-2m)やISU-122やISU-152自走砲などが出た後ですから1994年の話です。

 発端はバイトYさんが受けた一本の電話でした。いつもの様に応対すると、ちょっと聞き取りづらい声で

「高田だけど、高田裕久はいるかな」

声からすると60~70才くらいだったのでYさんが

「高田さんのお父さんですか?」

と尋ねると

「いや、本人だよ。高田裕久はいるかな」

という、やりとりがあって、今は留守で夜に来る予定ですと伝えるとムニャムニャ言って電話は切れたそうです。

 夕方、私が店に行くと「お父さんから電話がありました」と伝えられたので、すぐ父に連絡してみると電話してないとのこと。たぶん間違い電話だったんだろうと、その日は終わりました。

再び電話があったのは数日後の昼間でした。

「もしもし、高田裕久はいるかな?」

60~70才くらいの老人で、ちょっと聞き取りづらい声です。もしかしてと思いながら

「失礼ですが、どちら様ですか?」

と尋ねると「本人だよ」と、ぶっ飛ぶような返事が。

「あのね、私はね、高田さんの書いた戦車マガジンのソ連戦車の記事を読んで覚えたし、ドラゴンの模型も買ったし、昔の記事も神田の古本屋で立ち読みしたから高田裕久になったんだよ。それでね、この前の日曜日、直接、本人と話して認めてもらおうと思ったら、変な若増が、お父さんですか?なんて、人を馬鹿にした事を言うんだ。だから今日という今日は、直接、本人と話をしてだね、認めてもらうんだよ。だから、とっとと本人と変われ」

今まで、いろいろアレな人を見てきましたが、これは遭遇したことがないパターンです。

「あのー、年齢的には私の父位ですから、それは無理からぬことでは」

「あんた、本人か?」

「はい」

「ずいぶん、声は若いが何才なんだ?」

「35才ですけど」

すると、いきなり激高し始めました。

「35だと? ふざけるな!じゃあ、おまえ、戦争に行ってないじゃないか!なのに、まるで見てきたかの様に記事を書いてたのか?」

「確かに私は戦後生まれですけど、見てきた様にと言われましても」

「じゃあ、おまえは戦ったこともない戦車の模型を作ったわけか?この戦車に火炎瓶ぶっつけた訳じゃないのか?どうして、それで形がわかるんだ!それじゃ本物に似ているかわかんないだろが!俺は、てっきり、あんたは、陸軍の戦車兵か何かで、ノモンハンの生き残りで、シベリア抑留もされたから、記事やら模型やらで、ソ連の事をやっていると信じていたんだぞ。おまえ、よくも俺を騙したな!どうしてくれるだよ!おい!」

 言っている意味がわかりません。そもそもドラゴンのキットは第二次大戦後期に実戦投入されたIS-2重戦車で1939年のノモンハン戦の頃は影も形もないし、ディーゼルエンジンだから火炎瓶攻撃は有効ではないぞ、などと思いながら、とりあえず、この手の人への対応のセオリーどおり言いたいことを吐き出させることにしました。騙したな、俺は戦前の生まれだ、本物の日本兵や米兵も見ているぞ、終戦直後のひもじさがわかるか!など散々、怒鳴り散らした挙句、

「いいよ、誰がお前になんかになってやるもんか。そんな事は、こっちから願い下げだ!いいか今から、なってくださいって頼まれも、もう俺の腹は決まったからな。もうお前には興味がない。言っとくけど、これまでに辻正信(旧陸軍参謀)や五味川純平や司馬遼太郎にもなったんだぞ!」

「俺に選ばれるのが、どれほど名誉かわかっているか?馬鹿な奴だよ、お前は。もういい、電話で話すのも汚らわしいわ。もう、二度と電話なんかしてやらん。死ぬまで後悔しろ馬鹿野郎!」

一方的に興奮しまくって電話は切れました。その言葉どおり二度と電話はなかったです。話しぶりから辻正信や五味川純平、司馬遼太郎だけでなく、これまでにも、いろんな作家や旧陸軍関係者、評論家、政治家になってきたようです。理解できないのは本人に連絡して本人だと認めてもらうって、存在の矛盾を感じないんですかね?