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 かつて黒澤明監督の映画「影武者」が公開されたとき、多くの日本の映画評論家はクライマックスであろう騎馬合戦のシーンが、両軍の衝突直前までカメラが回りながら、次のシーンで、いきなり死屍累々の光景となるのを「見せ場がない」と厳しく非難しました。

 しかし、台湾人の友人は「見る者それぞれの心に、壮絶な戦闘を思わせる実に効果的な演出だ」と真逆の高評価でした。

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 1990年代初めに講談社の月刊アフタヌーンに連載されていた台湾人作家の鄭問(チェン・ウエン)の「深く美しきアジア」を初めて読んだときは、思わず身を乗り出しました。当時、香港のドラゴンモデルと付き合い始めたばかりで、彼らの思考パターンが、よくわからなかったのですが、この作品の登場人物に、そのヒントが満載されていたからです。

 全5巻でコミック化され何人かの漫画好きに進めたのですが、多くの感想は「1、2巻は意味がわからない。3巻以降のファンタジーぽい話は良い」

 奥付で著者も触れていますが、途中から編集者が指導して、日本の読者に受け入れ易いように内容を軌道修正したようです。しかし、香港人や台湾人と仕事をする人にとっては、1巻と2巻のおもしろさは尋常ではありません。敢えて言います。「3巻以降はクズであると」

 主人公である疫病神の百兵衛は、係わる周囲の人々を全てを不幸にする運命ですが、本人は無欲の善人です。

 一方、配下の魔導師、機械元帥、忍者将軍とともに、秩序管理された理想社会の建設を企てるのが、理想王です。「1人を殺すは金のため、10人を殺すは恨みのため、100人を殺すは理想のため」理想社会の建設の理念を彼は語ります。

 前半のクライマックスは、2巻に掲載されている百兵衛の裏人格である幸運王と理想王の一騎打ちでしょう。その体に触れる者、全てを幸福にできる幸運王は、その圧倒的な幸運の力で触れた敵の脳血管を破裂させて死に至らせることが可能で、一度は理想王を追いつめたこともあります。

 物語では幸運王が理想王の居城に突入して、両者の直接対決となります。「何者も、この幸運王の力は阻止できん!」自信満々の台詞と共に理想王との闘いに臨む幸運王。一方、密かに幸運王の打倒策を準備していた理想王。壮絶を極めるであろう二人の対決はどうなるのかと、わくわくして、ページを開くと「えっ?」そして理想王の言葉は「自信を失った者は死人と同じこと」「私は死人まで殺そうとは思わない」

 冒頭の影武者を評した台湾人の友人の顔が蘇りました。なるほど。日本人にとって肩透かしなこの決着は中華圏の人には、きっと名勝負なのだろうなと。

 香港・台湾と接点のある方は、機会があったら、ぜひ2巻までを読んでください。普通の人は、たぶん意味がわからずに時間を損したと思うでしょうから猫跨ぎしてOKです。