2004年8月、フィンランドに向かう途中、トランジットのためにモスクワの空港に降りたところ、ロシア国内線で爆弾テロが起きました。

空港内の雰囲気が物々しくなる中、なんの説明もないまま、結構な人数のトランジット客が空港の片隅に放置。さすがロシア人、一般乗客のことなんぞ、1mmたりとも気にしていません。

その中に、不満そうにしている若い三人組の旅行者が。こっちも、あまりにも暇なんで話しかけると、ドイツ人で、ウクライナの田舎でバカンスを過ごし、明日、帰国予定だそう。

「英語はうまく話せない。ドイツ語かロシア語はできるか?」

ピンと来ました。きっと旧東独人です。住んでいる街を尋ねると、聞いたことのない名前を言います。近くの大都市は?と問うと、

カール・マルクス・シュタット(現・ケムニッツ)」

やはり間違いありません。話の糸口をつかむべく、ドイツ統一前に、ドレスデン、マイセン、ベルリンを訪問したことがあり、前のパスポートには、国境でビザを発給してもらったときの東独の収入印紙が貼ってあったと告げると、いろんな話をしてくれました。

休暇は川で釣りをし、泳ぐ毎日だったことや、ウクライナに親戚がいるなどから始まり、やがて自分の身の上話を。リーダー格の男性は、東独の大学で専門職の資格を取得し、国営企業に勤務したものの、統一ドイツでは資格無効となり失業。他の二人も定職はないそうです。

「TVニュースが体制が変わったと告げた。これからは自由で良い暮らしができると」

確かに新しい社会は始まり、いつでも新鮮な野菜も肉も果物も買えるようになった。地区の党の偉いさんと役人に賄賂を渡し、自動車購入希望者リストの順番を繰り上げてもらわなくても、いつでも好きな車が買える。旅行に行くときも党の許可は不要。女性の服装もキレイになった。

しかし、東独企業の大半は生き残れず我々は仕事を失った。街は物で溢れたが、それを買える収入はない。仕事を求めて、みんな大都市に行き、地方の都市や村は一気に寂れた。彼は自嘲気味に語りました。

「我々は、それまでは普通の生活をしていた。不便は山のようにあり、必要な物すらない糞社会だったが、家族がいて、友達がいて、恋人がいて、同僚がいて、近所の人たちがいた」

話が次第に重くなってきたので、切り上げることにしました。話の終わり際、リーダー格の男性は笑いながら言いました。

「そうそう俺の名前はサイモン、こいつは弟のハンスだ」

当時は単なる自己紹介だと思いました。事実そうだったのかもしれません。

後にブルース・ウィリス主演の映画「ダイ・ハード3」で、相手方のテロリストは、元東独軍大佐という設定で、名前はサイモン、その弟は第一作目で射殺されたハンスだと気づきました。

映画の後半で、目的を達成し、仲間たちを前にサイモンが怪気炎を上げるシーンがあります。それが彼のメッセージだったのでしょうか?

当時は東西ドイツ統一から14年、すでに統一直後の熱狂は失せ、旧東独地区はインフラの脆弱さや産業の立ち遅れが指摘され、失業問題は一向に改善されない時代でした。

毎年、8月の終わりが近づくと思い出します。