先週の香港出張の最終日の夜は、いつものように、現地在住の旧友ツツミシタ大塚君&彼の奥さんと晩飯を。

 九龍半島の下町、深水埗の裏路地には夜になると、道路の1/3くらいを勝手に占拠し、テーブルを並べて発泡スチロールのトロ箱を生簀代わりに沢山置いて、エビやカニや魚を泳がせている怪しい海鮮料理の屋台が店開きします。

 とても美味しいけど、衛生面が激しく不安なので火を通した料理を汗をかきながら、三人で食べていたら、ちょっとしたハプニングがありました。

 通りを歩いていた小柄な老人が立ち止まり、しばらくこっちを見ているなと思ったら、我々のテーブルに来て、大塚君に話しかけてきました。

 路上生活者とまではいかないけど、身なりは決してキレイではありません。屋台の女将が、すぐに気付き、老人に怒声を浴びせますが大塚君は女将に「まあまあ」と手で合図して、話を聞いています。最初は露骨に顔をしかめていた彼の奥さんも、次第に驚いたような表情に変わりました。

 やがて老人は、哀しげな笑顔を浮かべ、きれいな声で歌い始めました。独特の抑揚のある中華風のメロディーです。その容姿からは想像もできないほど上手で、湿度と気温の高い香港の夜に澄んだ声は響きます。他のテーブルの御客も箸を止めて老人の歌を聞いています。

 老人が歌い終わると大塚君が返歌をしました。上手ではありませんが彼の短めの歌が終わると、みんなから拍手がありました。

 大塚君は同席を勧めたようでしたが、老人は固辞し、大塚君から注がれたグラスのビールを一気に飲み干すと固く握手をして去って行きました。

 何が起きたのか尋ねると、大塚君の取引先だった不動産会社の元社長だそうです。

 中国人にマンションや土地を売って、一時は香港各地に数軒の支店を持つまでに急成長しましたが、二回目のバブル崩壊で全財産を失くし、家族も離散したそうです。かつては恰幅も良かったそうですが痩せ衰え、変わり果てた容姿に大塚君も本人とは思えなかったそうですが、老人はそれを察し、本人である証に歌ったそうです。とても教養のあった方で、歌の内容は

「かつて私は自分のことを大鷲だと思い、この大地を空から眺めていた。歯向う相手をねじ伏せていたら、私の姿を見ただけで鳥たちは逃げるようになり自分は無敵だと勘違いした」

「大きな嵐が訪れたとき、傲慢だった私は無謀にも立ち向かい、翼と爪と口ばしを折られ、地面に叩き付けられた」

「池に自分の姿を写したら、大鷲ではなく鳩になっていた。私は、その姿を見られるのが嫌で空を飛ばなかった。大鷲に戻ったら飛べばいい。そう自分に言い聞かせて鳩のまま餌を啄んでいた」

「飛ばない鳩の生活を続けていたら、やがてウズラになっていた。もう空は眺めるだけだ。私が、昔、空を飛べたと言ってもみんな笑うだけだ。ましてや大鷲だったなど、誰が信じてくれようか」

「苦しく辛い生活の中、天后様に御祈りしたら、かつて一緒に空を飛んだ隼に会わせてくれた。ああ、隼よ、隼よ、あなたは、私が大鷲だったと覚えているだろうか?」

大塚君の返歌の大意は

「私が海の向こうから来て、やっと、この空を飛び始めた頃、あなたは、私よりも、ずっと高い空を飛んでいた。私は、その姿を、いつも下から眺めていた。勇壮な大鷲の姿は忘れようにも忘れられない。あなたは私にとって、今でも大鷲だ」

 老人が去った後、我々のテーブルに女将がビールを持って来ました。一つのテーブルを指さし、あの人からの奢りだと。大塚君はビールを手にそのテーブルに行き、グラスを交わし談笑します。その様子を奥さんは笑顔で眺めています。君は、もうこの社会に溶け込んだんだね。

テーブルに戻ってきた彼に尋ねます。

「どこで、そんな中国の歌いを覚えたんだ?」

「10年も、ここに住んでいれば、身につくって」

「いいモノを見せてもらったよ」

「ああ、日本や大陸にはいないタイプの金持ちが、ここには沢山いるんだ。だから、住んでいて飽きない」

「それにしても、昔より太って豚みたいになっているのに、よく見分けられたね」

「おい!殴るぞ!ほら、オレ、笑い方に特徴あるから」
(「シシシシ」と笑うので、すぐわかったと老人から言われたそうです)


おそらく、遠からず訪れるであろう三回目の不動産バブル崩壊
今、大空を飛ぶ多くの大鷲たちは、どうなるのでしょうか?