私が思うに人の心は「引き出しのあるタンス」ではないかと。記憶や思い出がキチンと区分された細かい引き出しが無数にある人もいれば、大きな引き出しが数個しかなく、そこに大雑把に記憶と思い出を放り込んでいたりと、その辺は様々で、さらに引き出しに鍵を掛けている人もいれば開けっ放しな人もいて、開け易いようで開け辛かったり、その逆もまたしかり。

 引き出しの中にある「記憶」や「感情」「思い」を燃料に動くのが「会話エンジン」です。沢山の引き出しがあってエンジンが4サイクル単気筒50ccだったりすると長い時間、話題がつきませんが、引き出しが小さいのに2サイクル三気筒750ccだとすぐ燃料切れです。

 引き出しの数もそこそこ。会話エンジンも4サイクルDOHC 2気筒400ccから4サイクルOHC4気筒1200cc、普通はそんなもんです。てな事を頭に入れていただいて、本日の話題です。

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 今から10年ほど前、新しい美容室に行ったときの話です。カットしてくれたのは、自分と同年代のアラフィフ女性。

「お客さんは御近所? 常連さんですか?あ、御新規でしたか。すみません。私、いつもは沿線の別の店にいるんですけど、今日は店長が風邪ひいて応援に来ているんで、お客さんの顔がわからないんですよ」

 歌手のmisonoが50代になったような容姿で、話好きそうな雰囲気なので試しに硬軟混ぜて幾つか話題を投げてみると、流したり落とすことなく完璧に受けて返してきます。どうやら会話エンジンはフォードOHV V8ウィンザーのようです。これは良いエンジンなんですね。それが証拠に聞いてもいないのに、もう身の上話を始めています。

 よ~し、今日はこの人の引き出しを開けまくって直線道をぶっ飛ばしてみましょう。まずはアクセルを踏み込んでと。

「お姉さん(←この単語がポイント)、歌手のmisonoさんの未来像な感じですね。学生時代とかモテたでしょう」

 鏡越しに見える彼女が、みるみる嬉しそうな笑顔に。その瞬間、会話エンジンからキュルキュルキューン言う吸気音が!一気に吹き出す10代~20代の歴代彼氏との楽しい&恥ずかしい思い出の数々。どいつもこいつも清々しいほどのクズ野郎ばっかり。まるでシートに押しつけれるような強烈な加速です。し、しまった!こいつはノーマルのV8エンジンじゃない。スーパーチャージャー付きだ!

 私も、やめておけばいいのに会話ハンドル(あいづち)とシフトノブ(おいしい質問)を操りアクセル踏んで(話の水向け)さらに速度を上げてみます。

 彼女のエンジンは悲鳴を上げるどころかグングンと加速しています。どうやら会話レーシングクランクも組み込まれているようですね。ノリ突っ込み、故意な聞き間違い、自虐、妄想、物真似を次々と繰り出す芸達者な化け物です。話題は30代初めに自称ミュージシャンの彼氏を養うため、昼は美容室、夜は年齢をサバ呼んでキャバクラでバイトしていた頃のネタで、聞いているだけで、こっちが息苦しくなる猛烈な加速感。これだけの圧倒的なパワーは「小説を書かない太宰治(仕事は超できるけど女性関係が滅茶苦茶)」こと高知のYさん以来。まあ彼は元TV局勤務だから完全な素人じゃないけど。

 店内には隣の椅子にシニア女性客とその髪を切る20代半ばの女性スタッフのみ。しかし、二人とも、すでに我々の会話で笑いっぱなし状態。

「Kさん、おもしろい話やめてください!笑い過ぎて仕事になりません!」

 さすがにクレームが。これは赤信号なので一時停止。しばし休戦。ハサミのチョキチョキ音と隣席の思い出し笑いが静かになった店内に響きます。しかし一度、レッドゾーン超えで温まったスーパーチャージャー付きエンジンが止まるはずありません。こっちがアクセル踏んでいないのに「沈黙を破る」という青信号を勝手に認識。

「ところで、お客さん、お一人ですか?」

いや結婚しているけど。

「楽しい男性は大概、結婚しているか相手がいるんですよね。私、バツイチで、この歳になると一人で食べる晩御飯が寂しくて」

 私の知り合いにも独身やバツイチ、バツニの男女が沢山いるけど、独り身を謳歌していたり、新しい伴侶に巡り会ったりと様々なんでお姉さんなら、きっと良い相手が見つかりますよと返すと再びスーパーチャージャーのキューン音が!

「良い相手といえば私のいつも働いているお店にも、渋くてカッコいい独身男性がいるんですけど、どうもゲイなんですよ」

 ここで話し方と相手によっては危険性の高い同性愛ネタをぶっこんできて、しかも際どい下ネタ方向で嬉々として語り始めます。どうやら彼女は速度記録用ロケットブースターまで装備しているようです。これはボンネビル塩湖で最高速度に挑戦できるレベルですよ。この加速が私の予想以上で一瞬コントロール不能になりかけましたが、私の代わりに食いついてハンドルを握ってくれたのは隣の女性スタッフ。完全にハサミ止めて

「え?!もしかして、M田さん?M田さん、ゲイなんですか!ショック!なんか大人の男って感じで素敵だったのに。Kさん、証拠あるんですか」

「よくぞ聞いてくれたわね、あるよ沢山。まず私、何度もM田さんを食事や飲みに誘っているけど一回も来ないの。あれは女性に興味ないのよ」

 M田さんの気持ちわかるな。この人と食事なんぞに行って、スーパーチャージャーがONしたら話を聞くだけでクタクタだろうから、たぶん私も誘われても断るだろうな。以下、彼女の言う証拠とやら

1) 冬だけでなくいつも革パン。春や秋でも革ジャン着用
「レーザーラモンHG見ればわかるけど、昔からゲイは革よ」
単なるファッションでは?

2) 太って口ひげを蓄えた男性客が、いつもM田さんを御指名する。

「横で話を聞いてたら、なんだか二人で旅行の話をしてんだけどXとかVなんとかの隠語を使ってて、1200ccより1400ccとか変な数字が混じっていたのよ。ピンときたわ。きっと旅先で男同士で変態プレイをしているのよ」

彼女は二人のプレイの様子を妄想で勝手に再現して暴走してます。

「きっとホテルに入るや『M田、オレの愛のXプレイ1200cc、お前にぶち込んでやるぞ!』『ああぁ、嬉しいですぅ~』『よーし今日は御褒美のVプレイ1400ccだ!』『ああぁ、勘弁してくださぃ~』とかM田さん、声裏返って悶絶して喜ぶのよ」

 M田さんだけにドM設定なんですね。たぶん、その二人はバイク乗りなのでは?数字は変態プレイに使う液体量ではなくバイクの排気量で、XとかVはGSXとかV-MAXとか車種名でないかと。M田さんの名誉のために教えようかとも思いましたが、やめました。だってネタになるから最後まで妄想劇を聞きたかったんだもん。

「M田さん、お客さんとそんな恥ずかしいことしていたなんて(←単なる妄想で本人は何もやってないのに一方的に変態認定。こいつも大概です)もう本店行ったとき、私、M田さんの顔見られません」

「私なんか毎日、会っているのよ。M田さんのお尻、キュっと締まっているからゲイにはたまんないじゃないの?女の勘では絶対にゲイよ。間違いないわよ」

 ずいぶんと無責任な女の勘です。生活の中の冤罪ってこうやって作られるんだな。

 カットが終わってから敬意を込めて

「お姉さん、元お笑い芸人か女性落語家とかですか?会話、おもしろ過ぎでしょう?」

「お客さんこそ、お笑いのシナリオとか書いてません?最高でしたよ。楽しかったな。私、いつもは本店にいるんですよ。今度、そっちにも来てくださいよ。二人で本店を笑いの渦に巻き込みましょうよ」

 うん。スーパーチャージャー&レーシングクランク付きフォードV8エンジンは、もう懲り懲りなんで絶対に行かないから。

【後日談】

 約一ヶ月後、ワンフェスがあるので髪をカットすべく、再びこの美容室に行きました。Kさん、いつもは違う店にいるって言ってたから大丈夫だろう店内に入るないなや、前回、隣でシニア女性のカットをしていた20代半ば位の女性スタッフが人を指差し「あ~!」

「店長が夏休みを取るんで、来週ならKさん、来ますよ」

 いやいや私はKさんには会いたくないの。イベントがあるんで小奇麗になりたいから髪を切りたいの。というわけで、その女性がカットしてくれたのですが、

「Kさんから聞いたんですけど、御客さん、昔は劇団員で舞台役者志望だったそうですね」

はぁ⁇

「公演に通ってくれたファンの女性と結婚して、放送作家に転身したとか?」
 
 スーパーチャージャー付きフォードV8ウィンザーエンジンのKさん、勝手に人の嘘人生をでっち上げてました。まあ、同僚男性を冤罪ハードゲイ認定する人でしたからね。