GUMKA工房記

模型の企画・設計とロシアのレッドアイアンモデルズの代理店をやっている「GUMKAミニチュア」の備忘録を兼ねたブログです。雨が降ると電車が止まるJR武蔵野線の新松戸と南流山駅の中間辺りに事務所はあります。近所に素材や塗料が揃う模型店がありません。最近、昔からやっている本屋が閉店しました。

2021年09月


 労農赤軍の馬鋤とハンマーの国籍マークの自作ができず、長らく製作が中断していた1/35 マークB中戦車ですが、約半年の紆余曲折と試行錯誤の末、なんとか見られるデカールが出来上がりました。これまでの経緯は以下のとおりです。

*象のロケットWindows10用ドライバ+MD1300プリンター

 マイクロドライ・プリンターの駆け込み寺的存在である「象のエンジン」。ALPS製MDプリンターの修理やメンテの他、インクカセットや専用デカールなどの部材も販売し、さらに独自にWindows10用のMDドライバも提供しています。

 私はALPS純正Windows7用ドライバを持っていないので、このドライバをインストールしましたが、どうやっても黒しか印刷できず。仕事仲間のタヌタヌ岡田さんから「象のロケットのオリジナル・インクカセットはプリンターが黒と認識する仕様となっているので、それのワインを使えば赤いデカールが印刷できるのでは?」という、ありがたいアドバイスをいただき、さっそく試したものの、ワインはワイン色で赤ではなく、おそらく、これにイエローを合成すれば赤になりそうだけど、合成方法がどうしても不明で断念。
 さらに、このドライバでMDプリンターの使用後、シャットダウンした翌日にパソコンを起動すると、ブルースクリーンとなり、デバイスの接続もしくは解除方法に問題があったという内容のメッセージが表示されて再起動を求められることがしばしば。ただ、これも常に出るわけでないので詳しい方によればWindows10は各社プリンターの登録機能があるものの、ALPSのマイクロドライ・プリンターは登録できないので、幾つかの条件が重なった場合、PCが問題のあるデバイスを接続したと判断するのでは?とのこと。私レベルでは完全にお手上げでございます。

*Windows7ノートPC+海外のALPS販売サイトからDLしたドライバ

 次女が学生時代に使っていたWindows7ノートPCをくれたので、海外のALPS販売サイトからWindows7用ドライバをダウンロードしインストールしたものの起動せず。実はドライバは32bit専用で、次女の使っていたPCは64bit。たぶん、起動しない原因はこれかな?これも私レベルではお手上げ案件なんで次へ。

*格安Windows7 32bitノートPC+海外のALPS販売サイトからDLしたドライバ

 「どっかに格安のWindoes7 32bitノートPCないかなか?」と探していたら某ネットオークションにOSのみ、ソフト一切なしのノートPCが3000円で出品されており、ライバル不在で開始値で落札。前回同様、海外のALPS販売サイトからWindows7用ドライバをダウンロードしたものの、ZIPファイルを解凍してインストールしようとすると途中でエラー表示されて、なぜか実行できず。再び私レベルではお手上げ案件。この段階でマイクロドライ・プリンターに見切りをつけました。

*ハイキューパーツ製インクジェット用デカール+canonインクジェットプリンター

 結局、大回りして原点に戻り、ハイキューパーツのインクジェットプリンター用のホワイトデカールシートに国籍マークを印刷しました。多くの方々が指摘されているようにデカール自作にはインクジェットプリンターはベストではありません。私もデカールシートに国籍マークを印刷する段階でインクが滲んだり、貼るときに水に浸けたらインクが溶け出したりなど失敗の連続でした。
 インクの滲みは、K-トレーディング製のデカールベーススプレーで改善されると聞きましたが既に絶版品。ところが、仕事のついでに寄ったタムタム千葉店で売っていて(残っていて?)即買い。現在、タムタム千葉店は京葉線の稲毛海岸駅前に移転しており、その際に盛大な在庫処分セールをやったらしいので、今でも売っているかは不明です。「インクのにじみが強力に抑えられる」のコピーは半信半疑でしたが確かに吹き付けると印刷時の滲みは改善されました。自社のミラクルデカール専用を謳っていますが、ハイキューパーツのデカールにも問題なく使えました。
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R1125127
 てなわけで完成したデカールを貼ってみました。いろいろ課題が残るものの、ようやく途が開けました。


 今年の4月の出来事ですが、電車に乗ったとき向かい席にシニア女性とそのお孫さんの小学校2~3年生の女児が座っておりまして。その女性の話す標準語が関西弁アクセント混じりで、ときどき語尾や問いかけが関西弁になるのですが、実は亡き祖父が同じ話し方だったので、数十年ぶりに聞く懐かしさでした。
 もともと大阪堺市に住んでいた祖父は1936年に勤務先の橋梁会社が東京支店を開設したため、同僚たちと共に引っ越してきて、それ以降はずっと関東暮らしでした。

 言葉に関して同僚たちの対応は様々だったそうで、営業担当の人たちは仕事柄、ほぼ全員が標準語をマスターした一方で、設計や技術系など社内に籠る人は関西弁のままが圧倒的で、祖父はその中間で標準語だけどアクセントや語尾が怪しく、話に興じると関西弁に戻るので、子供の頃は周囲の大人とは言葉が違うので不思議でした。
 ちなみに祖母は、毎日の買い物や近所付き合いもあるためかキチンとした標準語を話し、生まれは堺市だけど物心ついたときには関東暮らしだった父は全く関西弁を話しません。

 女性は短い革ジャンにアニマル柄ロングスカート(関東ではレアなアイテムです)、編上ブーツというファッションで黒髪混じりの長い白髪をポニーテールにしている一方、女児は全く普通の小学生で、そのギャップも面白かったのですが、聞くとはなしに聞こえる会話によると女児のお母さん、つまり女性の娘さんの誕生日プレゼントを買いに行く途中でした。それまで通う学校の様子や友達について女児に尋ねていた女性が突然、話題を変え、

「なあ●●●ちゃん、土屋アンナ、知ってるか?」と。

 お孫さんが「知らない」と返すと女性は、自分が若い頃は土屋アンナに似ていたので沢山の男性から求婚されたと話し、

「●●●ちゃんのお母さんも御婆ちゃんの若い頃とソックリで、しかもバッチリ土屋アンナがリアルタイムな時代に学生だったんで、そりゃーもう信じられんほどモテモテやったよ(だったよ、にならない)」

この後、どんだけモテていたかの驚愕のエピソードを語るのですが、これがなかなか凄く、女児のお母さん、電車内で勝手に過去を暴かれ大迷惑だったと思います。

「●●●ちゃんもお母さんに似とる(似てる、にならない)から、大学生やOLになったら(みんなが奢ってくれるので)、財布持たんでも街で御飯食べ放題、酒飲み放題できるで」(こんな直情的表現は関東ではあまり聞かないし、そもそも土屋アンナが何たるかを説明してないまま小学生相手に何を言うのやら)
 女性はスレンダーな体型で目が大きく、マスク越しでもきれいな鼻筋と細面がわかり、土屋アンナが60代になったら、こうなるんだなと納得してしまう容姿でした。

 お孫さんが「御婆ちゃん、声が大きいよ(お孫さんは極めてマトモ)」と注意したら「御免、御免、御婆ちゃん、●●●ちゃんとお出掛けできるが嬉しくて、興奮しているのよ(これはキレイな標準語)」

となって、一気に会話が大人しくなりましたが、とにかく楽しく、そして懐かしい数十分間でした。

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