GUMKA工房記

模型の企画・設計と資料同人誌の販売をやっている「GUMKAミニチュア」の備忘録を兼ねたブログです。雨が降ると電車が止まるJR武蔵野線の新松戸と南流山駅の中間辺りに事務所はあります。近所に素材や塗料が揃う模型店がありません。最近、昔からやっている本屋が閉店しました。

2020年06月


 香港のドラゴンモデルズとの初仕事だった1/35 IS-2重戦車のキットが発売されて、その派生型のIS-2 1944年型(商品名:JS-2m)やISU-122やISU-152自走砲などが出た後ですから1994年の話です。

 発端はバイトYさんが受けた一本の電話でした。いつもの様に応対すると、ちょっと聞き取りづらい声で

「高田だけど、高田裕久はいるかな」

声からすると60~70才くらいだったのでYさんが

「高田さんのお父さんですか?」

と尋ねると

「いや、本人だよ。高田裕久はいるかな」

という、やりとりがあって、今は留守で夜に来る予定ですと伝えるとムニャムニャ言って電話は切れたそうです。

 夕方、私が店に行くと「お父さんから電話がありました」と伝えられたので、すぐ父に連絡してみると電話してないとのこと。たぶん間違い電話だったんだろうと、その日は終わりました。

再び電話があったのは数日後の昼間でした。

「もしもし、高田裕久はいるかな?」

60~70才くらいの老人で、ちょっと聞き取りづらい声です。もしかしてと思いながら

「失礼ですが、どちら様ですか?」

と尋ねると「本人だよ」と、ぶっ飛ぶような返事が。

「あのね、私はね、高田さんの書いた戦車マガジンのソ連戦車の記事を読んで覚えたし、ドラゴンの模型も買ったし、昔の記事も神田の古本屋で立ち読みしたから高田裕久になったんだよ。それでね、この前の日曜日、直接、本人と話して認めてもらおうと思ったら、変な若増が、お父さんですか?なんて、人を馬鹿にした事を言うんだ。だから今日という今日は、直接、本人と話をしてだね、認めてもらうんだよ。だから、とっとと本人と変われ」

今まで、いろいろアレな人を見てきましたが、これは遭遇したことがないパターンです。

「あのー、年齢的には私の父位ですから、それは無理からぬことでは」

「あんた、本人か?」

「はい」

「ずいぶん、声は若いが何才なんだ?」

「35才ですけど」

すると、いきなり激高し始めました。

「35だと? ふざけるな!じゃあ、おまえ、戦争に行ってないじゃないか!なのに、まるで見てきたかの様に記事を書いてたのか?」

「確かに私は戦後生まれですけど、見てきた様にと言われましても」

「じゃあ、おまえは戦ったこともない戦車の模型を作ったわけか?この戦車に火炎瓶ぶっつけた訳じゃないのか?どうして、それで形がわかるんだ!それじゃ本物に似ているかわかんないだろが!俺は、てっきり、あんたは、陸軍の戦車兵か何かで、ノモンハンの生き残りで、シベリア抑留もされたから、記事やら模型やらで、ソ連の事をやっていると信じていたんだぞ。おまえ、よくも俺を騙したな!どうしてくれるだよ!おい!」

 言っている意味がわかりません。そもそもドラゴンのキットは第二次大戦後期に実戦投入されたIS-2重戦車で1939年のノモンハン戦の頃は影も形もないし、ディーゼルエンジンだから火炎瓶攻撃は有効ではないぞ、などと思いながら、とりあえず、この手の人への対応のセオリーどおり言いたいことを吐き出させることにしました。騙したな、俺は戦前の生まれだ、本物の日本兵や米兵も見ているぞ、終戦直後のひもじさがわかるか!など散々、怒鳴り散らした挙句、

「いいよ、誰がお前になんかになってやるもんか。そんな事は、こっちから願い下げだ!いいか今から、なってくださいって頼まれも、もう俺の腹は決まったからな。もうお前には興味がない。言っとくけど、これまでに辻正信(旧陸軍参謀)や五味川純平や司馬遼太郎にもなったんだぞ!」

「俺に選ばれるのが、どれほど名誉かわかっているか?馬鹿な奴だよ、お前は。もういい、電話で話すのも汚らわしいわ。もう、二度と電話なんかしてやらん。死ぬまで後悔しろ馬鹿野郎!」

一方的に興奮しまくって電話は切れました。その言葉どおり二度と電話はなかったです。話しぶりから辻正信や五味川純平、司馬遼太郎だけでなく、これまでにも、いろんな作家や旧陸軍関係者、評論家、政治家になってきたようです。理解できないのは本人に連絡して本人だと認めてもらうって、存在の矛盾を感じないんですかね?


 模型店時代の旧店舗でのエピソードで当時の常連さんたちには有名だった話です。

 あるとき店番をしていると、女優の富田靖子、それも極初期型ではなく初期型に似た若い女性が、ふらりとやって来ました。手には当時でも珍しい風呂敷包みを持ち、目は洗脳された人特有のトロンとした視線で作り笑顔です。

「お仕事中に申し訳ありません。私どもは、この地区の皆様が幸せになれるように、◯◯様の御言葉をお伝えしています。なにか仕事の事や人間関係で悩みはありませんか

と、まあ、ありがちな勧誘トークをしてきました。駅前ビルの2階に引っ越す前の戸建て店舗時代は、ありとあらゆる飛び込み営業や宗教勧誘がありました。いつものように興味がないし、営業中で迷惑だと断ろうとしたら、

「もし奇跡を目の前で、お見せしたら、私共の話を聞いていただけますか?」

と言うやいなや、風呂敷包みを開いて、20cm四方くらいのサイコロ状の木製の箱を出します。上部に10㎝ほどの丸穴が開いていて、箱一面に細かい梵字が墨で書かれており、小道具としては満点です。

「これから、◯◯様のお力を御借りして、あなたに奇跡をお見せします。私は、あなたのために祈りますので、あなたは、もう一度、会いたい故人を一生懸命、頭の中に思い浮かべてください。私が『どうぞ』と言ってから、この丸い穴を覗き込むと、あなたの思い浮かべた方の顔が見えます」

 これは今までにない掴みのパターンです。「やめておけ追い返せ」という自分と「おもしろそうじゃないか。どっちに転んでも話のタネになるぞ」の自分が葛藤し、結局、好奇心が勝ち付き合うことにしました。


 バッタもんの富田靖子、さっそくブツブツ祈り始めます。死んだ祖父を思い浮かべつつ「どのくらい待たされるのかな?」と思っていると、1分足らずで、いきなり

「どうぞ」

えー、いくらなんでも早くないか?ちょっと芸が雑過ぎるぞと思ったものの、とりあえず箱の丸穴を覗きました。

「どうですか?顔が見えますか?その方は思い浮かべた方ですか?」


「うん。箱の底が見える」

「もっとよく見てください」

「底板の木目が見える」

「………」

これは、あなたの気持ちが足りなかったとか反論するパターンかな?と思っていたら案の定、

「その方を思う念が強くなかったからダメなんですよ」

「私も、最初は何も見えなかったんですが、◯◯様の下で、ずっと修行をしたら、力を頂けて見えるようになりました。ですから、あなたも◯◯様の御指導を受ければ、会いたい方にいつでも会えるように

人間、ない物が見えるようになったら終わりです。もっと他の生き方あったろうに可哀そうに。もちろん、お引き取りいただきました。



 マークB中戦車の銃塔側面には前面に2個、左右と後面に各1個ずつ貼視スリットがあります。でもキットは

「へへへへ、Pカッターでフリーな気分で罫書いたぜ~♪」

みたいなヘロヘロモールドで位置は適当、長さもバラバラ。左側面なんか1個のはずなのに何をどう勘違いしたのか2個モールドがありました。これは全部パテ埋めしてモールドし直しです。

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 スリットを加工する前に銃塔にサフェーサーを吹いたら、レジンの表面に歪みやヒケがあったのでパテ埋めを。この手の薄いパーツのキットは、こういう微妙な変形が、たまにあります。

 
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 某大型スーパーに行ったら、ペットボトルのアイスコーヒーが沢山並んでいるコーナーで、東南アジア系の若い女性から「すみません、甘い、どれ?」と尋ねられまして。

 売っているボトルを見ると確かに英語表記がないので、これじゃわからないよなと思い、加糖と低糖のボトルを「甘い」「少し甘い」と教えてあげたら加糖を選択。こっちから「学生さん?お仕事?」と質問したら



「ワタシはベトナムから来た。チクワにチーズとキュウリ入れる」


と笑顔でシュールな返事を。

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 「え?!」と思ったものの、相手が「ありがとうございます」と行ってしまったので、それ以上は聞けず。

 その後、居酒屋で働いているのか?でも、居酒屋なら掃除とかホールとか他にも仕事があるだろうし、仮に調理場だとして、なぜチクワ?と悶々としていましたが、某SNSでネタにしたところ「工場勤務では?」とアドバイスいただき、おそらく居酒屋チェーンのセントラルキッチン勤務で、主にチクワチーズとチクワキュウリを仕込んでいるのではないかと。それなら、このコメントでも納得です。


 


キットの銃塔ハッチは、なぜか形状も位置も変だったうえに、上面装甲板もレジンが変形して窪んでいたので、モールドを落としてパテ埋め後、プラ板で新造しました。

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  マークBの銃塔ハッチは把手やレバーなど一切なく、外から開けるときはどうするんだ?と不思議でしたが乗降は車体左右側面のドアから行い、ハッチは車長が外を見るときに内側からしか開けないので不要だと気付きました。同様の理由からホイペット中戦車のハッチにも把手がありません。

 


 以前の職場の模型店に行く用事があり市川へ。せっかく来たのだからと、トンカツ屋のカツトラに久々に行きました。 

 まだ市川にいたときは、トンカツが食べたくなると寄っていました。お店の佇まいは以前と変わらず。カウンター席のみですが、昨今の新型コロナウイルス感染防止策で厨房とカウンターの間にクリアビニールのシートがあり、客席も2席おきにシールドが設置されていました。

 いつも、なににするか迷うのですが、今回は「厚切りロースカツ定食」を。
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 メニューに偽りなしの厚切りロース肉。これで1080円は絶対にお得です。

普通に食べても十分に美味しいですが、私は懐かしさがトッピングされて、最高の味わいでした。

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