GUMKA工房記

模型の企画・設計と資料同人誌の販売をやっている「GUMKAミニチュア」の備忘録を兼ねたブログです。雨が降ると電車が止まるJR武蔵野線の新松戸と南流山駅の中間辺りに事務所はあります。近所に素材や塗料が揃う模型店がありません。最近、昔からやっている本屋が閉店しました。

2019年07月

 
 8月1日(木)から4日(日)まで夏季休業で、南の島(もちろん、国内)で命の洗濯をさせていただきます。
 
 んで、旅行に備えて、豊洲市場の水産仲卸売場棟4階にある老舗長靴店「伊藤ウロコ」に行って、約1万円のゴム長靴を買ってきました。
 
 
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 6月に行った台湾のフィールド観察旅行で、リーダーの方がこれを愛用していまして。お高いマリンブーツやトレッキングシューズよりも水やぬかるみに強く野外の長時間歩行に適しています。


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  6月に台湾にフィールド観察に行ったとき、リーダーの方が、これを履いており、お高いマリンブーツや防水トレッキングシューズより水や泥濘に強く、歩き易く、長時間の観察行脚に適しているそうです。さらに過去にハブに足首を咬まれたとき、この長靴の丈夫なゴムのお陰で何ともなかった実績もあるとのこと。
 丈夫だけど重いダンロップ製(雪掻きや洗車で活躍)や軽量で持ち運びし易いけど、薄い日本野鳥の会の長靴(フェスや旅行用)も持っているけど、これは履き心地からして根本的に違います。御値段はお高めですけど、市場で鍛えられた納得の逸品です。
 


 28日は、幕張メッセで開催されたワンダーフェスティバルへ行きました。今までディーラーや企業ブースのサポートで参加してきましたが、今回は普通の御客さんとして会場へ。

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 事前にガイドブックを買って、目ぼしいアイテムをマークして、会場の各ブースに行くのですが、途中で思いがけない物を見つけて嬉しい散財をしたり、知り合いに声を掛けられ話し込んだり…

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 会場はいつもより、人が少なめに感じました。週末は台風が来ると言う情報が流れていたので、遠方から来る人が断念したり、当日の朝が土砂降りだったことも影響したのかもしれません。


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 会場で偶然、10年以上前に真冬のモスクワ~ペテルブルグを旅行した波多野さんと六鹿さんと再会でき、しばし当時の話で和み&盛り上がり。

「また、アイスクリーム食べたい!」

キエフスカヤ駅の傍のピザ屋、まだやっているかな?」

「どんだけ西側ナイズされたか確認せにゃならんから、今年辺り、行きますか?」

ということで意気投合。とりあえず情報集めて、お金も貯めよう!

てなわけで行ってよかったです。


 発端は去年の4月、模型店時代のお客さんだったYさんから「ズリーニィの資料本、GUMKAでやりませんか?」と提案されたことでした。
 その後、ハンガリーの研究家コヴァーチュハーズィ・ミクローシュさんの原稿が届き、読んでみると非常におもしろく、当初は原稿を翻訳して、30枚ほどの写真解説を書くだけだから、秋には出版できるなと気楽に考えてスタートしました。
 
 しかし、翻訳文の裏取り作業(地名や階級は正確なのか、他資料との整合性はどうかなど)と、それに伴う加筆修正をしていたら、どんどん時間が過ぎて、その間に収録できる写真も増えてきたので
 
「ズリーニィの本なんて、そうそう出す機会はないんだから、どうせ出すなら開発史だけでなく、構造も詳しく解説して、写真も各生産タイプごとに分け、細部写真も掲載しよう」
 
 かくして1年以上となりました。自分でも悪い癖だなという自覚はあるのですが、こればかりは治りそうもありません。

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 予想外だったのは原稿・写真解説が全て終了し、あとは編集だけという段階で、担当予定だったデザイナーさんより、本業が多忙で手が付けられないと言われたこと。

 これは秋まで出版が遅れるなと一時期は諦めたのですが、フェイスブックの告知記事を読んだ編集者の加藤武さんが急遽、作業を引き受けて下さり、レイアウトをし直して90ページ以上あった原稿を74ページに減らし、印刷所まで手配してくれて、ただ、ひたすら感謝しかありません。
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 内容は開発史と構造の解説、ロシアに残る実車の細部写真、試作車、先行量産車、第1生産ロット(1943年型)、第2生産ロット(1944年型)それぞれ形式別の写真、新考証に基づくカラー塗装図など。

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 B5版74ページ(表紙を入れると78ページ)カラー9ページ、カラー正面図4点、カラー三面塗装図3点、インテリアのカラー写真、貴重な大戦中のカラー写真2枚の他、収録モノクロ写真は100枚以上。頒布価格は2000円です。 

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 同人誌のため一般書店での取り扱いはありませんが直販サイトの他、下記の模型店でも販売しています。
 
 イエローサブマリン秋葉原本店☆ミント スケールコーナー(東京都:秋葉原
 キヤホビー(東京都:荻窪
 サニー(東京都:下北沢)
 ホビーランド(大阪:本町)
 マキシム(千葉県:市川)
 
同人誌専門店「コミックとらのあな」でもお求めいただけます。

 

 
 台北郊外の烏来の猫は顔が小さくて耳が長く、脚も尻尾も長め。生物観察のために夜道を歩いているとき、いきなり出てきた野良猫は、特に耳が長くて「山猫?!」と一瞬、勘違いしたほどでした。
 
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 早朝、街を歩いていたらアパートの玄関の前で猫が座りながら、こっちを見てニャーニャー鳴いて、開けて欲しいアピールをしてまして。どうやら閉め出されたらしので、ドアを開けてやろうとしたら鍵が掛かっておりビクともせず。立ち去ろうとしたら、寄って来て「もう一度やれよ!」と言いたいのかニャーニャー鳴いてます。
 
 
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 私がダメだとわかると、前を歩いていた他の参加メンバーのところに行ってアピールしましたが顛末を知らないので「あ、猫だ」「なんか日本の猫と違いません?」「昨夜の野良猫もこんなだったよね」で終わり。
 
再び、元の位置に戻って座っていました。
 
 

 
 台湾には多くの原住民が住んでいますが、その中でも2番目に人口が多いのがタイヤル族(泰雅族)で、日本でも有名なビビアン・スーさんのお母さんもタイヤル族の出身です。
 
 彼らが住んでいる烏来(ウーライ)の街は台北郊外の温泉地で、台北からバスに乗るだけで気軽に訪問できる観光地です。昼間は原住民文化と温泉目当ての観光客で溢れていますが、台北行き最終バスが出た後は誰もいなくなります。

 日本の温泉地とは違って宿泊客は、夜の温泉街を湯ざましにそぞろ歩きするとか、地元のスナックで飲む習慣などはないらしく、街中から観光客の姿が消え、道端に椅子を置いて車座になって世間話をしている老人たちや、民族衣装の上だけTシャツに着替えて、スマホいじりながら軽食を頬張る仕事終わりの若い男女など、それはそれで楽しい地元の人たちの生活を見ることができました。
 
 
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そんな烏来を早朝に歩いていたら、お婆さんに日本語で呼び止められました。
 
「あなたは日本人?じゃ、写真撮りなさい。良い物ある。こっちこっち」
 
手招きされ、お婆さんに付いて行くと街を流れる川の対岸の建物を指差し
 
「あれ、戦前に日本人が建てた発電所。今でも使っていて電気作っている」
 
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「今から80年以上も前、日本人、発電所を建ててくれた。もっと山奥にも発電所あった。日本人、道を作って学校も建てた」
 
御歳89才とのことでしたが、御自身の足でスタスタと歩く元気なお婆さんでした。
 
 初めて訪れた土地なのに、日本人というだけで、声を掛けてくれ、感謝されるというのは先達の偉業のお陰です。
 
「あなた方、どこ住んでますか?東京?」「また、烏来に来てください」
 
いつか、また必ず再訪しますとも。


 6月20日から23日まで台湾に行ってました。模型絡みや仕事ではなくフィールド観察の達人の方々に付いて行って、様々な生物(今回は主にカエル)を見てきました。

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 日本では、あまり報道されていなかったようですが、今回、台湾のエバー航空を使ったところ、我々が到着した翌21日から客室乗務員のストが始まり、多くの国際線のフライトがキャンセルに。

 帰国日までには解決するだろうと当初は楽観的に考えていましたが、帰国前日、ホテルに戻ると旅行代理店の台北支店から、我々が搭乗予定だった「台北(松山)ー羽田」便がキャンセルになったため「台北(桃園)-大阪(関空)」便に振り替えましたというFAXが届いてました。

 参加者は全員が関東地方に住んでおり「なんで関空に?!」と困惑でしたが、調べてみたら関空への到着時刻だと最終上り新幹線に乗れないことが判明。

 これでは大阪に一泊かな?いや、私は24日から仕事があるので夜行高速バスに乗ります、私は大阪の旧友を頼ろうかな…などと皆で相談していたら、生粋のフィールド観察家の方が「どうせ大阪に着くなら、私はレンタカー借りて、そのまま和歌山のフィールド探索に行く」と。どんなトラブル下でも趣味を貫く姿勢はスゴいと思いました。

 翌日、桃園空港のエバー航空のカウンターで事情を説明し、なんとか関空ではなく、成田便に変更できないか交渉したところ、カウンターのお姉さん(重盛さと美似)があっちこっちに電話してくれて、成田便への変更がOKに。なんとか無事に帰国することができました。

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