GUMKA工房記

千葉県南流山にあるGUMKAミニチュアの備忘録を兼ねたブログです。

2018年05月


 途中、東京大学での講演などがあり、途切れましたが、前回の続きです。私自身、GSX250Eのオーナーでありながら、あのサイドカバーには違和感があり、ブラックを選んだ理由は黒横線が目立たないからです。

 私のGSXは、前オーナーがサイドカバーにブレーキフルードをこぼしたらしく、塗膜がぽっこり膨れている箇所がありました。まあ、そのうち再塗装してやろうと思っていたのですが、ふと例の噂どおりサイドカバーがスリット状だとどうなんだろうと考えていたところに、某ネットオークションで80年代に憧れたBEETのアルミ製サイドカバー、通称アルフィンカバーが出品されていました。

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 BEETのアルフィンカバーは長らく生産中止となっており、欲しい人は部品交換会やネットオークションで中古品やデッドストック品を捜すしかなかったのですが、最近、スズキGS400やホンダCBX400Fなど幾つかの人気車種用が復刻されました。

 ただ、当然ながら不人気なGSX250E用は復刻の兆しすらありません。なので入札&落札し、数日後、現物が届いたのですが、とある事情があって、そのまま倉庫に封印。

 5月の連休中に引っ張り出してきて、もう一度、車体に取り付けてみると、これが、なかなか良い。アルフィンカバーを車体色ブラックではなく、エンジンシルバーで塗装すれば、オリジナルの横黒線サイドカバーよりいい感じになるかな?と。

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 ただ、このアルフィンカバーには問題があり、車体にちゃんと固定できないのです。倉庫に封印した理由はこれでして、具体的に説明しますと、写真は左側ですが、本来、赤丸部分が車体に固定する取付ピンの正しい穴位置ですが、全然、違う場所に開いています。

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 まあ、でもネジ穴を埋めて新たに穴を開け直せばなんとかなりそうですが、どうしようのないのが、右側。

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 そもそも穴を開けるためのベース位置からしてズレています。これはアルミ溶接で肉盛り後に加工するか、今あるベースを削り落して、新しいベースを溶接するしかありません。

 アルフィンカバーは町工場レベルで簡単に作れるアルミの砂型鋳造品なので、当時はコピー品が流通しており、中には粗悪品もありました。コピー品に対する意識や状況も今とは根本的に違い、値段が安いから敢えて買うという人もいたし、ちゃんとしたバイク店で正規の値段で買ったのにコピーだったという、今なら炎上必至なケースもありました。

 コピー品の多くは、キチンと取付ができなかったので、これもコピー品なのかな?当時物でなくて、誰かが、最近、中国辺りで作らせたのかもしれませんね。

 ただ、私の手元にある状況は変えようがなく、何とか使えるようにしたいので、どなたかアルミ溶接が得意な加工屋さんを御存知ないですか?


 

 

 5月20日東京大学五月祭での講演用の原稿を書いているとき、過去の資料を確認するうち、いろんな物を発掘しましたが、その中で「これは!」というネタを紹介します。

 
 私の持っている資料の多くは、社会主義国時代の東欧やソ連の友人から送ってもらったもので、PCもメールもなかったので、郵便でやりとりをしていました。

 チェコポーランド、東独など東欧から発送される郵便物は、手紙も本も写真も問題なく届くのに、ソ連からは雑誌や本はともかく、手紙は遅配や行方不明が、たまにあり、特に戦車の写真が同封される手紙は高い確率で行方不明(未着)になりました。

 ロシア人の友人によれば、本来、第二次大戦中の戦車の写真に関しては、機密もなく問題ないはずなのに、西側行きの手紙に写真が同封されているとわかると、当局によって検閲のため開封され、検閲官は大戦中の戦車か現用戦車かの区別ができないので、とりあえず没収するとのことでした。

 受取る側の私は「まあ、ソ連だからな」と諦めていましたが、発送元である彼は、この仕打ちに、かなり腹を立ており「当局の裏をかく」と息巻いておりました。
 
 ある日、彼から「次回は、雑誌と一緒にIS-3の写真を送る」と手紙が届き、翌月、ソ連の模型雑誌と共に一冊の切手帳が送られてきました。
 
 
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 大祖国戦争がテーマの切手ばかりだったので、最初はプレゼントかな?と思いましたが、一枚の切手が浮いているなと思い、何気なく触ると
 
 
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 あ、IS-3のカラーポジがこんなところに…
 
 
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 これじゃ、まるでスパイ小説です。

 彼によれば、IS-3は第二次大戦中の戦車とは言い切れない微妙な存在なので、当局に没収されないよう工夫したとのことですが、いやいや、そういう問題じゃなくてさぁ…

 このままエスカレートされると彼が逮捕されかねないので、なんとかせねばと考え、ソ連から東欧に写真を送るのは問題なかったため、一旦、チェコの友人宛に送ってもらい、そこから日本に転送する方式に変更し、以降、時間は余計に掛かるものの、無事に写真が届くようになりました。

 もし、私が同じ状況なら、当局に目を付けられるような真似はしませんが、彼曰く「この程度なら逮捕はされない」「万一、呼び出されたら、もっとルールを勉強して社会主義を担う労働者たる誇りを以て職務を遂行しろ、と抗議してやる」とのこと。逞しいのか、アホなのか、反骨精神なのか、はたまた、そういう国民性なのか?

 あまりに衝撃的だったので、切手帳ごと30年くらい保管しておきましたが、講演のネタに使わせていただきました。


 20日に開催されました東大戦史研主催の東京大学五月祭講演が無事に終了しました。御足労いただいた皆様、ありがとうございました。

 講演内容と使用するスライド画像の事前提出があったため、原稿を用意せねばならなんのですが、仕事の都合上、ホビーショーが終わってから、本格的に原稿を書き始めました。書いてる途中、確認するため、過去の資料やアルバムを引っ張り出すと、懐かしさの余り、読みふけってしまったり、ノスタルジーに浸るので、完成がずるずる遅れ、結構、タイトなスケジュールでした。

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 10時から始まった講演は、学生さんや一般の方向けということで、なぜソ連軍とソ連戦車にハマったのか、冷戦時代、どうやって資料収集したのか?資料収集からのレジンキットメーカーの起業と模型店の開業など、濃い狭い話題を避けて構成しましたが、講演後の質疑応答では、かなり突っ込んだ質問が多く、もっと内容を絞り込んでも良かったかな?とも反省しております。

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 久々に再会できた方も多く、中には模型店時代のお客さんで、この講演のために新潟から上京された方もいらっしゃいました。

 終了後、何人かの方々から講演内容に絡めてメールやメッセージを頂戴し、やりとりするうちに、またKV-85やIS-2を作りたくなりました。模型の仕事は、そろそろ引退ですが、趣味の模型製作は一生続きますからね。

 来場いただいた皆様、講演に機会を御用意してくださった
主催者である東大戦史研の方々には、ひたすら感謝です。本当にありがとうございました。


 GSX250Eを見たとき、多くの人が違和感を感じるサイドカバーの謎の黒横線。

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 シリーズ中、最多販売数のGSX250E2にも引き継がれています。

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 80年代バイクブームの頃に現役だった世代なら、当時、一度は聞いているであろう「GSX250Eのサイドカバーは、当初のデザイン画ではアグスタMV350 Sportのようにスリット状だったが、結局、コストの関係であんな残念な結果になった」ネタ。

 アグスタMV350 Sportとは、こんなバイクで、確かにこんなサイドカバーだったら、デザインの評価は全然、違っていたでしょうね。

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 ただ、この噂はスズキがGSX250Eの初期デザイン画を公表していないので、本当かどうかわかりません。数年前、スズキの販社OBの方と話したときにも尋ねてみましたが「バイク店や一般のお客さんから何度も聞いたが、メーカーに確認したことはない」「(ネタとして)おもしろいから販促になると思ったので、当時は否定も肯定もしなかった」「自分としてはチグハグなデザインがスズキのバイクらしいと思った」とのことで真偽は不明でした。

(続く)


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