GUMKA工房記

千葉県南流山にあるGUMKAミニチュアの備忘録を兼ねたブログです。

2017年12月

 徳之島に滞在中は、生憎と曇天が多かったのですが、時折、晴れ間が覗くと海の色が一気にブルーに変わります。島の観光シーズンは4月から9月のため、12月は完全にオフシーズンとなり、どこもガラガラ。
 
 キレイなビーチも貸し切り状態でしたが、40~50代のおっさんグループなんで「キレイだね~」「誰もいないね」「夏は混むんだろうね」で終わりです。
 
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 前回、訪問した戦艦大和の慰霊塔にも行きました。
 
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 びっくりしたのは、夜、山あいの道を車で走っていたら、なんと道の真ん中に天然記念物のアマミノクロウサギが!山沿いの道路では「アマミノクロウサギに注意」の看板があっちこっちに立っていましたが、島内に200~300匹程度しかいないので驚きました。去るまで車を止めて待ちましたが、とにかく、可愛いかったです。
 
 
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 結局、滞在中に合計三匹のクロウサギを見られたので、とってもラッキーでしたが、いずれも路上だったので、自動車に轢かれる事故が多いのに納得でした。徳之島の山沿いの夜道を走るときは要注意ですね。
 
 

 
 恒例の年末行事「おっさん忘年会旅行」ですが、2015年に続き再び徳之島に行きました。
 
 徳之島に決めた理由はいくつかありまして、まず、前回行ったとき、島全体の空気がユルく、宿泊施設や観光施設も良い意味で商売っ気がなく、観光ズレしていない点が好印象だったこと。

 現在、羽田ー徳之島間は、直行便のある奄美大島とは異なり、羽田ー鹿児島ー徳之島と乗り継いで行きます。鹿児島ー徳之島間は、長らくプロペラ機ボンバルディアDH-8が1日4便運行していて、二年前、我々もお世話になりましたが、今夏から小型ジェット機のエンブライエル170が導入されたため、DH-8は1日1便となり「乗れなくなる日が近いな」というメカ好きおっさん特有の焦燥感が盛り上がったことや島料理の「鶏飯(けいはん)」がまた食べたくなったことと、島民の生活を支えていた地元コンビニの「エブリワン」が全国チェーンのファミリーマートに吸収されたというニュースを聞き、エブリワンの「卵巻きおむすび」はどうなったのか確認したかったことなどでした。
 
 私事ですが、10月中旬頃から滅茶苦茶に忙しくなり、1日フルに休めたのは3日くらいという有様で、12月に入ってからは「もうすぐ徳之島だ!」と旅行を餌に自分を鼓舞していたので、羽田ー鹿児島便のシートで離陸を待っているときは最高の気分でした。

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 12月15日の午前中に羽田を出発して、鹿児島空港には正午頃に到着し、約1時間のトランジットがあって、待望のボンバルディアDH-8へ。

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 決して広いとは言えない客室ですが、絶え間ない振動と音が、一生懸命飛んでいるぞ感をビシビシと伝えてくれます。ただ、島民と思われるグループが搭乗前に待合所で「ジェット機だったら、もっと早く帰れた」「はずれの便だ」という内容の会話をしていたので、生活の足として使う方々には機種更新は当然で、プロペラ機を喜ぶのは観光客のノスタルジーでしかなのでしょう。


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 一時間余のフライトで目的地の徳之島に到着しました。二年前は到着したら22°もあって、暑くて上着とセーターを脱ぎましたが、今年は気温15°と関東地方の秋のような気候でした。

 レンタカー店のスタッフの方に「今日は、この季節としては寒いの?」と尋ねたところ「だいたい12月は、このくらいです。昨日、一昨日は雨が降って、もっと寒かったですよ」と言われ、どうやら二年前が異常だったみたいです。



2018年12月10日補記
日本エアコミューターのボンバルディアDH-8 Q400は、
2018年11月30日を以て全機が退役しました。

 先日、秋葉原模型店で、カンプの会員だったTさんと久々に会いまして。50代のモデラーであれば、Tさんがスクラッチしたソ連のT-35重戦車ジオラマを覚えている方も多いでしょう。

 総武線沿線に住んでおられたので、私が市川で模型店をやっていた頃は、お客さんとして来てくれましたが、南流山に引っ越してからは交流が途絶えてしまい、模型店などで会ったとき、近況報告をし合う程度に。そういえば、前回会ったのも同じ模型店で、KV-85重戦車の話をしましたっけ。

 今から35年ほど前、会のメンバーでソ連戦車好きだったのは、呉光雄さんとTさんと私の三人くらいで、しかもTさんとは同年齢だったので、よく話しました。Tさんは、古いプラモデルのコレクターとしても有名で、会長だった十川さんと黎明期プラモの話を始めると、私なんぞは横で聞いてて、お手上げ状態なほど知識豊富でした。

 当時はネットオークションとか絶版キット専門店などなく、古いプラモデル捜しは自分の足に頼る時代だったので、電話帳を頼りに、いろんな模型店に行って個性豊かな店主からプラモを入手する話はワクワクしたし、タチの悪いコレクターから、キット交換で外れを掴まされ「やられた~(泣)」という話も盛り上がりました。パッケージデザインの変遷などを紹介するホームページもなかったため、箱や印刷文字の変化をコレクター目線で解説してくれる蘊蓄話は役に立ちました。

 前に会ったとき、近々自宅を引っ越すので、プラモのコレクションをどうするか頭が痛いと悩んでいたので、その後の様子を尋ねてみると、引っ越しは無事に終わり、コレクターとしては断腸の思いながら、在庫の1/3を処分し、新居になんとか収納できたそうです。しかしまだ、御自身が管理されているアパートの部屋に手つかずの在庫が残っており、それも早めに片付けねばならないのが目下の悩みとのこと。いやいや、すごいぞコレクター魂!

 記憶を手繰れば、私も2008年の引っ越しの際、飛行機と車のプラモは全て処分し、タミヤのMMシリーズは作りかけも含めて、埼玉の知り合いに引き取ってもらい、ドラゴンやサイバーホビー製品、自分の趣味とは外れるレジンキットはネットオークションに出品して、なんとか半分程度に減らしましたが、まあ、言いかえれば半分は残ったわけで…

 んで、残った在庫を見ると、まともなプラモより、チェコ・トンダのVFキットとか体制崩壊直後のロシア製レジン&メタルキットとか「そんな物を残してどうするんだ?!」「お前、本当に、これを作る気あんのかよ」と自分自身を半日くらい問い詰めたくなるアイテムが50%くらい占めているのですが、その話をしたら、Tさんが「わかる!わかる!」「私も同じ」と嬉しそうに。


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 まあ、モデラーとは実に因果な生き物でございます。




 ホームページ宛に届くメールの大半は、GUMKAとレッドアイアン製品の内容の問い合わせや在庫確認で、残りは新製品リクエストが少々という感じですが、先日届いたメールは、直販サイトに掲載されているレッドアイアンの「1/35 マンホールの蓋 1961年型」の画像が誤って1947年型となっていますよ、という指摘でした。

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 確認してみると確かに間違っており、すぐに訂正して、御礼のメールを送ったところ、モデラーではなく、マンホールの蓋を研究されている方で, 同好の士を求めて検索してて、偶然、レッドアイアン製品に辿り着いたとのこと。

「日本は各自治体によってマンホール蓋のデザインが異なり愛好家が育ち易い環境で、画像交換などの交流が盛んに行われています」

 マンホール蓋の愛好家は世界中にいて、日本のマンホール蓋の画像を送って欲しいとリクエストされるそうです。

 ありとあらゆる物に研究家や愛好家がいるのだなと驚きました。

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