GUMKA工房記

武蔵野線新松戸~南流山の中間辺りにあるGUMKAミニチュアの備忘録を兼ねたブログです。

2017年05月


新松戸駅から帰宅する途中、なんか赤い虫が飛んで来て、
靴にとまりました。


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ベニカミキリでした。

まだ長女が幼稚園の頃、市川市の里見公園に家族で遊びに行ったとき、
見たのが最後だから、20年ぶりくらい?

すぐに、どっかに飛んで行きました。


富津・君津方面に出掛ける用事があったので、木更津アウトレットの「中華蕎麦 とみ田」にて特製つけそばを。


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地元松戸の超が付く有名なラーメン店ですがいつも大行列ですが、木更津アウトレットのフードコートに出店しており、そちらは平日で昼時以外なら、割りとすんなりと食べられます。

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内房方面に出かけたとき、このアウトレットには食事目的で寄りますが、買い物をしたことはありませんw 


日清食品出前一丁は、香港で一番人気のあるインスタント・ラーメンです。香港で生産されており、日本では売ってない味も豊富で、香港出張の御土産の定番になっています。

昨年末の出張のときも、帰国時のスーツケースの一角を出前一丁占めておったのですが、知り合いに配ったり、自分で食べたりして、とうとう最後の一袋に。

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 以前、香港人出前一丁について話していたとき「袋の説明では500ccの水を沸騰させろとあるが多過ぎる。400~450ccが適量だ。麺の茹で時間も3分は長くて、2分20~30秒がいい。あと九州濃湯 豚骨湯味には日本の醤油を一掛けすれば最高だ!」と力説しておりまして。

たまたま最後の1つが、まさに、その九州濃 湯豚骨湯味だったので、彼のアドバイスどおり、少なめなお湯と短めの茹で時間で作り、最後に醤油を一掛け。

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いや、本当においしかったです。さすが香港人、インスタント麺も全力で探求していました。


 GT380コレクターのタケベ・スズキさんから届いた大きめな封書の中身はMr.Bike誌の2008年9月号。4月末にあった倉庫撤収を手伝ったとき、古いバイク雑誌を何冊かもらったので、そのお裾分けだそうです。

 現在、Mr.Bike誌は紙媒体としての発行は終了し、Webマガジンに移行しています。

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 巻頭特集は「激動のハチマル」で、1980年代は、どんなバイクが売れていたのか各排気量のベスト10を年毎に紹介しています。「GSX250Eは何位だろう?売れていたのか?いないのか?」と思いつつページを進めましたが、これが意外や意外な結果でした。

 まずは1980年から。この年の1月にGSX250Eは発売されました。


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 1位がCB250T/Nですが、これは同じフレームとエンジンを使い、外装が異なる二車種を合計した数字なので、個別に集計すると2位のXS250SPLや3位のXL250Sに抜かれそうです。

 GSX250Eは5位で8000台も売れていました。1980年式はスポークホイールのGSX250(輸出専用)とキャストホイールのGSX250E(国内・輸出両用)がありますが、総生産台数は10,776台なので70%以上が国内登録されたことになります。

 爆発的ヒットとなったRZ250は意外にも8位ですが夏頃に発売されたので、4か月しか販売期間がないので、この結果なのでしょう。

そして翌年の1981年になると…

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 RZ250がぶっちぎりトップなのは当然として、2位はなんとGSX250Eという大健闘ぶり。販売台数も前年より5000台以上も上乗せしています。現在、通称「ザリ」と呼ばれるGSX250E初期型の中古車は、この1981年型が多いのですが、これだけ売れたのなら納得です。

 5年ほど前、スズキバイク販社OBの方とお話ししたとき、「RZ250が出たので、やむなく、スズキはGSX400Eの装備だったアンチノーズダイブ機構とギア・インジケーターを250Eにも導入した「そしたら、すごく売れたが、400Eの登録台数は半減して、旧型の250Eと400Eを在庫してた販売店からは散々、文句を言われた「千葉、茨城、埼玉で売れまくったので、地方から在庫を集めて回した」と聞きましたが、どうやら事実のようです。

 1982年からは、GSX1100S刀のデザインを取り入れて、外装を一新した通称「ゴキ」ことGSX250E KATANAに替わります。この年は、ホンダがVT250Fを発売するので1位がVT、2位がRZで鉄板ですから4位か5位辺りかな?


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 意外や意外、4位はGSX250Tで前年の250Eを凌ぐ14000台越え。そしてGSX250E KATANAは8位…しかも販売台数はガックリと落ちて4700台に…う~ん、街中ではGSX250Tを見た印象があまりないのですが?KATANAに乗っているお姉ちゃんを結構見たけど、初期型では見ることはなかった女性ライダーが増えたから、目立っただけで台数的には大したことなかったんですね。

 御礼がてら、タケベ・スズキさんと電話で話したのですが、1980年代は250ccバイクを仕事用やレジャー用に使っていた中高年層が沢山いて、ホンダのCB250TやCM250、スズキのGSX250T、ヤマハのXS250SPL、SR250は乗車姿勢が楽で燃費も良くバイク店での値引き額も大きかったので彼らの御用達だったそうです。

 そういえば、休日の川の土手や湖、池の駐車場には釣り人が乗ってきたであろうCM125やXS250SPLが沢山、停まっていたし、蔵前の問屋街ではカブやヤマハのメイトに混じり、リアキャリアに積載法違反だろ~突っ込みたくなるくらい山積みの荷物を乗せたCB250TやCM250が元気良く走っていました。建築現場にも職人の通勤の足であろう125ccのビジネスバイクや和メリカン250ccがいたのを覚えています。

 今、この層は雨風を凌げる軽自動車に移行してしまい、この手のおっさんバイク市場も壊滅しましたが当時は、馬鹿にならない規模だったんでしょうね。

 こんな、おもしろい号をなんで、当時、俺は買っていなかったんだろう?と思いましたが、2008年夏と言えば、義母の病気が発覚し、店を譲渡して引っ越し先を捜していた最中だったので、余裕はなかったんでしょうね。

パラパラとページをめくっていたら、こんな写真が…

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ハーレーで二人乗りするほど仲の良かった夫婦が今や…9年の歳月とは、そういうものなんですね。



先週の金曜日、電話が鳴ったので、受話器をとると、いきなりどなり声で

「おい!どうなってんだよ!」

声の感じから50代位?の男性です。いきなり喧嘩腰、しかも、フルスロットルとは穏やかでありません。

「お前のとこのキングタイガー用エッチング、キットに合わないんだよ!」

キングタイガーのエッチングは、ドラゴンモデルズの製品に合わせて、ポルシェ砲塔用とヘンシェル砲塔用の二種類を出しました。

今では絶対に考えられませんが、十数年前まではAFVプラモデルが売れまくっていた上に、まだ中国の金型代も安価だったので、ドラゴンはキングタイガーの金型を複数組製作して量産対応していました。近年、ポルシェ砲塔とヘンシェル砲塔を各1組づつロシアに売却したので、うちのエッチング自動的にズヴェズダにも対応となりました。

ポルシェ用もヘンシェルも吸排気グリルのメッシュは同じですが、機関室上面と砲塔下部の隙間に爆発物の投入を防止するためのメッシュは、面積や形状が異なっており、最初はポルシェ用とヘンシェル用を間違って買って、そこが合わないので怒っているんだと思いました。


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電話口で罵詈雑言まくし立ては続いていましたが、まずは確認からと思い、やや落ち着いた頃合いを見計らって、今、お作りになっているキットはドラゴンですか?それともズヴェズダですか?と尋ねると癇に障ったのか再び怒りMAXに。

「ふざけんなよ!タミヤに決まってんだろうが!何、責任逃れしてんだよ!」


おいおい!そもそも、そこからの勘違いかよ~!

本人は自分の勘違いに微塵も気付く様子なく、吠え続けます。

「製造者責任って知ってんだろが!メーカーというのはな★xφ#○%▲&;@」

「申し訳ありませんが、パッケージの袋はありますか?」

パッケージに適合キットを記載したシールが貼られています。

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そんなモン、捨てたよ!今はエコで、俺は意識が高いんで●v$&☆K#%▽」

「それでは、説明書は御持ちですか?」

「目の前にあるよ!お前、俺を馬鹿にしているのか☆#?/■%&*@~◎」

「説明書の上の部分に品番があると思うのですが何番ですか?」

「T-11だよ!」(ポルシェ砲塔用の品番)

「品番の右横に適合キットが書いてあるのですが、わかりますか?」

説明書のヘッダーには品番と「for Dragon's King Tiger」と書いてあります。

「……」

急に黙ったと思ったら、いきなり電話が切れました。ようやく自分の間違いに気付いたみたいです。散々、人を詰りまくったんだから「すいません」とか「失礼しました」くらい言って欲しかったですけどね。



 これまで1/35スケールでソ連時代の建機やトラックを販売していたロシアのレジンキットメーカー、レッドアイアンモデルズが、ソ連無人月面探査車「ルノホート1号」を発売しました。

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 鍋に車輪が付いたようなレトロな外観ですが、1970年11月にルナ17号によって月に運ばれ、人類史上初の他天体での観測活動を無線による遠隔操作で行った探査車です。当時、ニュースや科学専門誌はもちろん、小・中学生向けの学習雑誌でも大々的に取り上げられ、学校の掲示板に貼られる壁新聞でも記事になったので、50代以上の元科学少年ならば感涙アイテムでしょう。


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 パッカリと開いているザルみたいな円盤は太陽電池内蔵バッテリーを充電してモーターを駆動して走行します。月面は夜間の気温が-160℃から-170℃まで下がるため、放射性同位体ポロニウム210の崩壊熱を利用するヒーターで機械の凍結故障を防いでいました。

 ルノホート1号は、月面の「雨の海」で11ヶ月間(月の時間では11日)も観測を行い、総移動距離は10.54km、2万枚の写真と200枚のパノラマ写真、500回以上の土壌調査を行い、データを地球に送信しましたが、1971年9月に電波発信が止まって位置特定ができなくなったため、1971年10月4日に観測任務を終了しました。

その40年後の2010年4月、NASAによって再発見されました。

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 実車の全長は約2.3mなので1/35だと、さほど大きくはありません。大判エッチングを使って、あの特徴的なスポークホイールを再現するようになっており、組み立て用冶具もセットされています。

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