GUMKA工房記

模型の企画・設計と資料同人誌の販売をやっている「GUMKAミニチュア」の備忘録を兼ねたブログです。雨が降ると電車が止まるJR武蔵野線の新松戸と南流山駅の中間辺りに事務所はあります。近所に素材や塗料が揃う模型店がありません。最近、昔からやっている本屋が閉店しました。

2015年12月

あと数時間で2015年も終わります。
思い返すと、今年は仕事面が良くなく、
ここ数年で一番、気疲れした年でした。

何かを手掛ける、もしくは信頼していた人に
仕事を依頼するとトラブルがあり、
その対処に追われて、他が疎かになり、
結果、また新たな問題が生じる…という具合で。

一方、プライベートでは、青森や南会津
裏磐梯に年末の徳之島と楽しく旅行ができたうえ、
旧友と数十年ぶりに再会できたり、
新しい友人が増えたりと、良い1年でした。

それを思えばプラス・マイナス、ゼロですかね?(笑)
そういう風に考えると、さほど悪くもないのかな?

来年は、仕事面でも、この写真のように
雲の切れ間から、明るい光が差すことを期待しています。

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それでは皆さん、よい御年を!



海洋堂の神藤さんが上京されたので、浅草の「じゃじゃおいけん」で、盛岡の御当地麺「じゃじゃ麺」を食べました。

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冷麺やわんこそばと比べると知名度は今ひとつの汁なし麺ですが、卓上の調味料を駆使して自分の味を捜していくという独特の味わい方や、最後に玉子とスープを入れた「チータンタン」で締めるという食べ方はハマりますね~


残念なことに、2016年5月29日に閉店しました。


 羽田発の早朝便に備えて、今日は空港傍のホテルに前泊。夕食は蒲田に行って「パンダ」でタンタン麺を。

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 今ではモデラーよりも甲冑研究家として有名になった呉光雄さんの御自宅が蒲田にあり、学生時代から模型店を開業したばかりの頃は、よく遊びに行き、寒い日などに寄りました。その後、店が忙しくなって蒲田に行けなくなったまま、約20年の歳月が…

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 一般的なタンタン麺とは全く異なり、全然、辛くなくて、胡麻味の強い独特のラーメンです。久しぶりにで食べたのですが、懐かしかったですね。


 今は1/43レジンカーモデラーとなった友人の中西さんは、かつては、かなりの昆虫採集マニアで徳之島には採集旅行のために何度も行っているので、旅行前に島の情報を尋ねてみました。
 
 島内には鉄道はなく、バスも本数が多くないので、移動にはレンタカーが便利だそうです。道は幹線道路以外、すれ違い不可の狭い道が多いので、借りるなら軽自動車がお勧めとのこと。
 
 全国チェーンの日産レンタカーやタイムズ・レンタカーも支店がありますが、もっと価格が安い地元資本の会社を紹介してくれたので、そこに電話して「カーナビ付き軽自動車」を事前予約しました。現地に到着し、レンタカー会社が手配してくれた車の距離計を見たら20万km越え!次回のオイル交換は205599kmのシールが貼られているけど、まだ使う気なのか??

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 ロシアや中国で、とんでもない距離を走っている日本車を見ますが、改めて国産車の丈夫さを知りました。ホイルのハブ・ベアリングがすり減っているらしく、走っている間、ずーっと足回り付近から、ジャーーーーという不快音がします
 
ブレーキを踏むと後輪のドラムブレーキがキ~~と鳴き、なかなか止まりません 怖いから50km/h以上、スピードがだせません エアコンのスイッチを入れるとダッシュボードの奥からキュルキュルキュルと秋の虫みたいな音が… ナビは地図が古くて幹線道以外では使いものにならず、結局、スマホナビ頼りでした。いくら値段が安いとはいえ、これはちょっと…こんな車、貸すかな?
 
島内の走る自動車の多くは潮風の影響からか、ボディが錆びたり、穴が開いていたりしていたので、自動車の程度に関する認識が違うのかもしれませんけど。帰宅してから、中西さんに大変だったという話をしたら、
 
「…そういえば、俺、レンタカーは採集場所までの移動と仮眠に使うだけで、あとは、ず~と林や森を踏破していたから、程度とか走行距離とか全然、気にしていなかったわ」
 
ちょっと尋ねた相手が悪かったみたいです。次回は、普通に全国チェーンのレンタカーを借ります。

20日に下北沢で開催された「東京AFVの会」に行きました。

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沢山の素晴らしい完成品が見られたり、
懐かしい方々に会えたりと、とても楽しかったです。


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 午後から約束があったため、途中退出したのですが、
最後までいたかったです。


 今回の徳之島旅行でどうしても行きたかったのが犬田布岬にある戦艦大和の慰霊塔です。中学生の頃、祖父が慰霊塔や慰霊碑には三つの役割があり、一つは、文字どおり犠牲者や戦死者の慰霊のため。二つめは、その遺族の心の拠り所のため。三つめは、その非劇を後世に伝えるためだと説明し、この慰霊塔を教えてくれました。
 
 慰霊塔のある徳之島についても江戸時代からの歴史や風土を教えてくれ、とても、おもしろかったのですが、悲しいかな所詮は中学生なので、帰宅する頃には忘れていました。
 
 終戦から40年が経った1985年、戦艦大和の正確な沈没位置が判明し、それまで信じられていた徳之島沖ではなく、実は屋久島の西方だったという衝撃的なニュースが流れ、当時はすでに亡くなっていた祖父の「いつかは行ってみるといい」という言葉と共に、徳之島の慰霊塔を思い出しました。


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 大和が撃沈されたのは1945年4月7日。今でも、毎年、この日には慰霊祭が行われるそうです。


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 70年目となる今年、この場所に行き、祖父の話を思い出していたら、様々な記憶が胸を過りました。訪問できて、本当に良かったです。

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