GUMKA工房記

武蔵野線新松戸~南流山の中間辺りにあるGUMKAミニチュアの備忘録を兼ねたブログです。

2014年11月

1997年にモデルアート社から出版された
別冊本「スターリン重戦車モデルヒストリー」を
ネットオークションにて入手しました。

作例はやっていないものの、実車写真を提供したり、
解説文も書いたので、出版社から献本は頂戴しました。

当時は、まだ模型店をやっていましたが、
あるとき、お客さんから、この本を貸して欲しいと頼まれました。

割と頻繁に来店されるし、キチンとしているようにも見えたので、
大丈夫だろうと思って、御貸ししたのですが、
なかなか返却してもらえず、最後は引っ越されて音信不通に…

仕方ないので買おうとしたら、既に版元では絶版…


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今回、IS-3を作ったので、いい機会だと思って入札しました。
90年代のモデルアート社のAFV別冊は中身が濃いですね。

表紙のIS-3は、当時、うちの模型店のバイトだった山下君の作品です。
今でも活躍されているライターさんだけでなく、
懐かしい方の作品も多く掲載されていて、当時の思い出が蘇りました。



久々に姿を見ました。

近寄ると一瞥し、あとは無視です。

元気そうですが相変わらず不敵です。

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この猫、やたら毛艶が良いのですが、写真で伝わりますかね?

油を塗ったみたいにツヤツヤしています。

バイクの模型開発が諸々あって発表できる物がないので、気分転換に久々にAFVの原型を作っています。
 
アイテムはソ連重戦車IS-3の1945年型砲塔です。1996年に発売されたタミヤのキットの砲塔が、私の実車イメージとは異なっていたので、いつかは作りたいと思っていましたが、当時は競合他社の模型開発の仕事をしており、立場上、それをやると、色々とマズイので、「やっぱり、できないよね~」と延び延びに。
 
ところが、昨年10月、20年以上も仕事をしてきたその会社が、台頭する大陸の新興模型メーカーへの対抗上、AFVモデルの開発コンセプトを「アイテムの珍しさと開発スピード優先」へと路線を転換し、我々を含めた社内外の企画・設計・開発の人材を一掃しまして。
 
あれから丁度、1年過ぎたし、キットの発売から18年も経つから、そろそろ、いいかな?と思った次第です。タミヤのキットは、外箱の側面に実車写真が掲載されていますがポーランドポズナニの軍事博物館で実車取材したそうです。
 
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1946年、ソ連ポーランドに2輌のIS-3を供与しますが、ポズナニに残る実車は、このときの1輌です。


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現在、ロシアやウクライナベラルーシなど、旧ソ連圏に残るIS-3は、ほとんどが、1950年代末に近代化改修されたIS-3Mばかりですが、ポズナニ実車は改修されていない貴重な1946年型です。
 
 
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タミヤは、この実車を取材し、車体側面などを変更して、1945年型としてキットを発売しましたが、砲塔は完全に1945年型にはなっていません。例えば、砲塔後部の雨どいは、1946年型の特徴で1945年型にはありません。
 
砲手用ペリスコープ基部は、ポズナニ実車のままでなく、なぜかアメリカのアバディーン兵器試験場に展示されているIS-3Mのように大型化してペリスコープの取付位置も、やや外側に移動した形状です。
 
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この大型ペリスコープ基部は、1946年型砲塔の後期生産型から導入されたので、最初の量産型である1945年型砲塔なのに、なぜ、こうしたのかは不明です。
 
その辺も含めて、いろいろ手を入れてみました。
 
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当初は、シリコンゴムで型取して、10個ほど注型したら、ソ連戦車好きで完成品を製作している友達に配って残りをワンフェスで売ればいいかな?と思っていたのですが、
ある模型店から、まとまった数を卸売して欲しいとのリクエストがあったので、キチンとした製品にすることにしました。
 
AFV好きな皆様、発売されましたら、よろしくお願いいたします。
 
 

 
恒例の秋の旅行は、今年も福島県裏磐梯へ行きました。初日の昼食は新蕎麦の季節なので、手打ちそば処「おおほり」に寄ることに。
 
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昼食を外した午後2時過ぎに到着したのに、駐車場は県内外のナンバーの車で満車。考えることは、誰しも同じようです。せっかく来たのに…と思っていたら運良く1台空きました。ただ順番待ちの人は店の外にまでいて、結局、ありつけるまで30分以上。
 
しかし、それを補って余りある十割蕎麦の香りと菜種油の軽い天麩羅、濃厚な蕎麦湯。
 
 
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こちらは、ニシン蕎麦。会津の特産品のニシンの山椒煮が載ります。
 
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生前、祖父は、まだ東北道もない時代に40代の聞き上手な女性にカルマン・ギアの運転をさせ、自分は助手席に座って、国道4号線を北上し、那須・塩原付近で一泊して、何度か福島まで蕎麦を食べに行ってたようです。
 
初めて食べた福島の蕎麦は、磐梯山の麓の蕎麦屋だったそうで、麺は太くて不揃いで短かめ、量は山盛りで、つゆは濃くて甘目。人懐っこそうな女将は、見慣れぬ赤い車で現れた二人に興味深々で、ず~っと質問されっぱなしだったそうです。
 
女将の話を適当に交わしながら、日頃の癖で、箸ですくった蕎麦を下のほうだけ、蕎麦つゆにつけてすすっていたら、女将が不思議そうに
 
「あらら~、お客さん、ずいぶん、せっかちな人なんだね~。 お蕎麦は、どっぷりとツユに浸して、ゆっくり食べたほうが美味しいよ」
 
試してみたら、太麺に甘いつゆが、ほどよく絡んで旨かったので、なるほど、食べ物には各地方の流儀があるのだな、と感心したとのこと。
 
さすがに今は盛りも普通で、蕎麦が不揃いということはありませんが、蕎麦つゆは甘めで、伝統は引き継がれているようです。もちろん、どっぷりとツユに浸し、ゆっくり食べました。
 
きっと祖父の食べた蕎麦より、かなり洗練はされているのでしょうけど「こういう系統の味だったんだろうな」と思いに深けました。
 
 

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