GUMKA工房記

武蔵野線新松戸~南流山の中間辺りにあるGUMKAミニチュアの備忘録を兼ねたブログです。

2013年03月

ブログ記事を読んで、

H2B、ありますよ。取材もOKです」

と連絡してくださった、ましまさんのガレージにお邪魔しました。

念願の実車取材ですよ

挨拶をし、世間話モードに入ったとき、ましまさんから質問。

ましま「バイクのキットを売って、生活ってできるんですか?」

このブログを通じてお会いした方の、ほぼ全員に尋ねられますね。

私「本業は別にあって、これは趣味ですね」 

世の中、甘くはありませんからね~


「ああ、やっぱり…」

「でも将来的には、これで食べていくのが夢なんですよ

こういう世の中だからこそ、希望を持って生きたいよね~


「いいですね~そういうの」 

でしょう?でしょう?


「…でも厳しそうですね

……

そう現実は、とっても残酷です


H2Bなんか出して、大丈夫なんですか?」

……

真実も、とっても残酷です


ましまさんのH2Bは現在レストア中で、エンジンを降ろし、
外装も外した状態なので、フレームやスイングアームなど、
普段なら見えない箇所がわかるので、模型の取材にはうってつけでした


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外観からだとH2、H2AH2Bが同じグループで、
KHに似たデザインのH2Cだけが別物に思え、
H2/H2Aの外装を変えたら、H2Bは簡単に作れそうです。

私も、ついこの前まで、そう思っていました。

ところが、これは全くの誤解で、H2Bは外観とは裏腹に、
構造的にはH2Cに近いバイクで、各部がH2/H2Aと微妙に違っており、
模型としてもH2から流用できる部品は僅かしかありません。


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また、同時期のZ1やH1Eと共通部品が多いようですが、

私「この部品、Z1と同じですかね?」

ましま「ああ、似ているけど、長さが違うみたいですよ

全然、違うなら諦めて、新規に原型を作る腹も決まりますが、
似て非なるが、モチベーションが上がらず、一番困ります

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肝心のタンクですが、前の記事でH2/H2Aよりも側面が膨れているのでは?と書きましたが、
実物を触ってみると、タンク上部の角が、若干、丸味があるかな?という程度で、
極端に側面が膨らんでいることはなく、単に写真でそう見えただけのようです。

やはり、実車を見ると発見が多いですね。

ラフな溶接ラインとかカワサキらしいな、と思う箇所も間々ある一方、
ホイルベースを延ばし、走行安定を図りつつ、
キャブにオイルラインを追加したり、
クランクケース下部にオイルのチェックバルブを設けたりして、
焼き付きや抱き付き防止を考えるなど、H2B/C、
意外と良いバイクかもと思うようになりました。

しかし、人気は微妙なので、フレームを新規にするべきかとか、
しばらく、悩んでみたいと思います。

御協力いただきました。ましまさん、ありがとうございました。



長年、欲しかったロータリーバイク Van Veen OCR1000のカタログを入手しました。
 
う~ん、幸せだぞ~! 実車はどこをどうやっても、絶対に買えないからね。

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A3二つ折のA4サイズで、裏表も入れて、計4ページ。
画期的なエンジンのバイクなので、エンジンの断面図や
四面図を期待していましたが、そんなモンはなし。
国産の250ccクラス程度のあっさりした内容です。

70年代当時の値段で300万円以上したバイクのカタログとは思えません。


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カタログの住所は、まだ西ドイツ。時代を感じますね。
ちなみに、工場のあったドゥダーシュタットは、東ドイツ国境に近い街だそうです。

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以前も記事にしましたが、Van Veen OCR1000は、
オランダに新設されたOCRモーターズ社にて、当時の残存部品を組んで、
10台のみ生産されます。

御値段は約850万円。もう2台は予約が入ったそうです。


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写真向かって左が、今回の復活プロジェクトの中心人物である、
アンドリース・ヴィエリンガ(Andries Wielinga)氏。


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同じロータリーバイクのスズキRE5と共に、死ぬまでに1/12でキット化するのが夢です。

でも無理かな…

しかも、全く売れないんだろうしな…

ロータリーバイクとか、T-64戦車とか、銀塩カメラレニングラードとか、
「アイデアや機構は革新的だったけど、ダメだったね~」の
偉大なる失敗作系のメカはロマンがありますよね~


 先月末、高知のYさんと上越新幹線に乗って、降りた駅が終点の新潟。乗り換えのローカル線の出発まで2時間もあるので、取り敢えず昼御飯を食べることに。
 行く前、元トラベル・ライターだったWさんから、新幹線の改札を出た駅ビルCoCoLoの中に地魚の握りを出す回転寿司店があり、美味しいと聞いていたので、Yさんに提案。新鮮な魚を日々、食べているだけあって、相づちをうちつつも、Yさんの顔には、

「あぁぁ~ん? 回転寿司を食えだぁ? オマエ、正気かぁ?」

の文字が浮かび出てましたよ。

昔、一緒にモスクワ行ったとき、朝飯に半分発酵したイワシの塩漬けが出てきたとき、
ぶち切れて、ロシア人を呪っていたのを思い出しました。

ぐるりと駅ビルCoCoLo内を一周し、他に良い店もないので、結局、そこに入りました。


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 事前情報どおり、店内の品書に関東では見ないネタが。まずは、高級魚のノドグロ

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 Yさんも同じネタを頼んだのですが、顔に「う、美味い!」 の文字が浮かびました。アオサ海苔の味噌汁を頼んで、今日の御勧めの天然ブリ

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う~ん、磯の香り~

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 天然ブリは、脂と身のバランスが良く、中トロみたいでした。ホウボウは千葉では、煮魚や干物にしますが、寿司は初めてです。

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 ヤリイカ(姿)と品書にあったので頼んでみると、ヤリイカの子供がそのまま。ぷりぷりで美味しいかったです。
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秋田では、季節の鍋ダネのハタハタも握り寿司に。

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これが美味しかった~ Yさんも笑顔で大満足でした。

台湾人のH3さんが、前々からお願いしていた、
H2のインスト用下絵を送ってくれました。

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これがあると、インスト製作の作業が助かります。

少し前、彼は1/35スケールのM48A3戦車の設計を終えたのですが、
この仕事を最後にAFV(装甲戦闘車輛)のプラモデル設計を辞めます。

台湾の模型メーカーであるAFVクラブの設計スタッフとして、
この世界に係わり始め、7年前に独立してフリーに。

プラモデルの設計に興味を持ったのは、
子供の頃に読んだ田宮模型の紹介記事に金型の写真があって、
その金属美に魅了されたから… ちょっと変わっていますね。

私を含めて、多くの模型設計者や原型製作者は、実物の外寸、
つまり、外側から形状を追いますが、彼は逆にマニュアルなどを読んで、
頭の中で、シリンダーヘッド→エンジン→ミッション→補器類→機関室→戦闘室
という風にイメージ上で各部品を組み上げて、内側から形を認識していきます。

機械式腕時計のキャリバーの設計者が、同じ思考パターンらしいのですが、
この特異な脳内回路を持っている御蔭で、普通の設計者が苦手とする、
大砲やオープントップの自走砲が得意でした。
AFVクラブの大砲プラモデルに秀作&傑作が多いと評価されるのは、この才能の賜物です。

フリーになった後も、しばらくは同社の外注設計者として仕事をしていましたが、
ここ数年は、一緒に香港のドラゴンモデルズのプラモデル開発をやってきました。

ドラゴンのリャン社長と同じく、戦前の上海出身者の末裔とあって、
二人でよく話しをしており、仕事面でも重用されている印象で、
社長のお気に入りアイテムだったイギリスの25pdr砲も御指名での依頼でした。

この辺は、香港人や台湾外省人独特の同郷同胞意識の絆ですね。

おそらく、今回の引退は、リャン社長にとってもショックでしょう。



なお、辞めてしまう理由が実に彼らしく、

「設計したかった戦車を全てやってしまったから」

一種の燃え尽き症候群のようです。 

ちょっと、もったいないな…

今後ですが、私のH2の複合素材模型を手伝ったとき、
その泥沼ぶりがおもしろいと感じたそうで、
同じような製品を手掛けたいとのこと。

並行して実物のバイクのリプロ部品を手掛けるようです。

もともと、ベスパのレストア・コンテストで優勝するほど、
台湾バイク界では、有名な人物なので、これは頷ける転身かな?

決意した進路については止めないけど、
H2の一次原型みたいの造ってちゃ、ダメだよ~ 
あと、バイクの模型は売れないからね~(本当!)

AFV模型分野としては大きな人材損失ですが、
個人的には、彼のバイク原型製作技術が、
どれほど進化したのか、今から楽しみだったりします 



 都心より、少し気温の低めな南流山でも、土曜日には桜が満開となりました。
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都内の有名な桜の名所と違って、この辺は静かで、ゆっくりと花見ができます。
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寒かったのが急に暖かくなったせいか満開の桜の根本につくしが芽を出していました。
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例年だと、 つくしが出てから桜の順番ですが、今年は、ほぼ同時のようです。やはり、ちょっと気候がおかしいのでしょうね。


近所の「貸店舗」の看板が掲げられた店の前に恰幅のいいインド人の中年男性が立っていて、前を通ると声を掛けられました。
印「すみません、ちょっと、イイですか?」 「ワタシ、このお店、気になってイルンですが、ここにインド料理店できたら嬉しいですか?」

なんともダイレクトなマーケット・リサーチ。

南流山駅周辺なら、インド料理店より先に喫茶店とか定食屋、天麩羅屋、イタリア料理店、回転寿司店牛丼屋などが開店して欲しいけど、まあ、できたら嬉しいかな…

私「南流山は、飲食店が少ないから、できたら嬉しいですね」

印「そうネ、少ないネ、ラーメン屋さんは沢山あるネ。インド料理店できたら食べに来てくれますか?」

私「おいしければ行きますよ」

印「味はダイジョウブ!ワタシ、東京で三軒もインド料理店やっているですよ。OLさんや学生さん、サラリーマン、評判、とってもイイですよ」

来日して15年目で、三軒のインド料理店のオーナーだそうです。最近、各店の商圏内に同業店が増えてきて、競争が激しくなったので、将来を見越して新天地の開拓中とのこと。

印「この辺はインド料理の店、アリマすか?え?隣駅の新松戸に二軒?ドッチも古いですか?え?!、一軒は五年以上ヤッテる?ホントウ?」「そこ、オイシイ? え?!、オイシイ、あ~ソウデスカ…「今は、どこに行っても競争なりますね…」

難しい顔しながら、新松戸や北小金のインド料理店について味や値段、盛りつけ、店の様子を尋ねてきて、ノートに暗号みたいな文字でメモしていました。日本に来る前は、香港にいたというので、親友が10年ほど住んでいると言ったら、話がはずんで、しばらく、世間話をしました。

あれから、一カ月余、未だに貸店舗のまま…インド人にも見捨てられたぞ、南流山!

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