GUMKA工房記

模型の企画・設計と資料同人誌の販売をやっている「GUMKAミニチュア」の備忘録を兼ねたブログです。雨が降ると電車が止まるJR武蔵野線の新松戸と南流山駅の中間辺りに事務所はあります。近所に素材や塗料が揃う模型店がありません。最近、昔からやっている本屋が閉店しました。

2009年12月

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前回のシート製作の続きです。だいたい形状が出たところで、
ビニールレザーのシワ再現とパイピングを加工します。

最初、いつもの調子で、ちょっと強めにシワを入れたのですが、
どうも、ビニールレザー特有の安っぽい感じが出ないので、
一旦、パテ埋めして、やや、浅めにしたところ、良い雰囲気になりました。

実物ではビニールのパイピングは、0,5mmの真鍮線を曲げて、再現しました。

最後に車体本体に載せて、様子を確認します。


 ここ数年、多くの外資企業が日本市場に見切りをつけて撤退したり、営業拠点を成長が見込まれる上海やシンガポールに移していますが、2008年2月、ロシアのバイクメーカー「IMZ」の日本代理店「ウラルジャパン」が都内にオープンしました。メインの商品は「ウラル」として知られるサイドカー。今年1月に倉庫と営業部を福井県に移転し、都内は広報オフィスだけになったようですが、この不景気&バイク不振の日本で、様々なショーやイベントに参加したり、ウラル・マラソンと呼ばれる走行PRを催したりと頑張っています。

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 かつては品質的に問題のあった旧ソ連・ロシア製サイドカーですが、最近は改善され、信頼性も向上したようです。ウラルの原型は、その特徴的なエンジン形式からもわかるとおり、1930年代後期に開発されたBMW R71です。1941年からドイツとの戦争に突入したソ連軍は、開戦当初、旧式の軍用オートバイしか装備していなかったため、IMZは急遽、捕獲したドイツ製のBMWサイドカーのコピーを命じられました。翌1942年1月に「M-72」の試作車が完成するとすぐに量産が開始され、多数のM-72が偵察や伝令用に前線で活躍しました。

 戦後もIMZはM-72サイドカーの生産を継続しましたが、1961年に後継モデルのM-62に切り替わります。以後、M-63、M-66、M-67、IMZ-8-103と徐々に改良されて現在のスタイルとなりました。1950年から57年までIMZは、M-72のソロタイプであるM-52を生産しました。さらに、20台のレーサータイプのM-52Sも1957年から61年まで造られたのです。

 写真のバイクは、その貴重なM-52Sの現存車です。モスクワ郊外の博物館の所蔵車で完全にレストアされており、ガソリンを入れ、軽整備すれば、いつでも走れるそうです。M-52Sの車重は170kg、494ccで最高速度は160km/hとのこと。

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 今月末で、全店舗閉鎖だそうです。

 初めて海外旅行で、モスクワ経由にてロンドンのホテルに到着した頃には、もう夜遅い時間帯でした。若かったせいか、お腹が空いて眠れなかったので、遅くまでやっているレストランかスーパーマーケットはないかと外に出たら、運良くホテルの目の前がウェンディーズでした。

 愛想も何もない、アフリカ系女性の店員の流暢な英語を当時の私は半分くらいしか聞き取れなかったのですが、それでも、なんとか晩飯にありつけました。

 メリーランド州のアバディーン兵器試験場に行ったときも昼飯に使ったし、結婚前には奥さんと一緒に、よく行きました。古い友人のマンションがある地下鉄の新宿御苑駅の傍や市川市にある大型ショッピングセンター内にも店があったし、引っ越した先の新松戸や、ららぽーと柏の葉にもあったので、
自分の中では、割と見掛けるイメージだったのですが、全国に71店舗しかなかったのですね。

 他のハンバーガーチェーン店よりも、ずっと思い出が多いので今回の決定は本当に残念です。一度、撤退したバーガーキングが最近、再上陸した例もあるので、それに淡い期待を。

終わりの日までに、あと数回、足を運ぶつもりです。

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一番上の写真は、やはりmonchichiさんのコレクションである、
貴重なラビットS-25のシートです。S-1の後継車種ですが、
御覧のようにシートベースが木製で、そこに昔の事務椅子みたいな、
ペラペラのビニールレザーが貼られています。
良く言えば、質素で実用本位。悪く言えばチープで、
そこはかとなく、昭和の香りが漂います。
終戦後、間もない時代だから仕方ないんですけどね。

S-1では、フロント部の内側にあった登録書類入れが、
盗難されるという理由から、写真のようにシート裏に移動します。
しかし、シート裏の材質が木だったため、今度は雨が降ると水を吸って、
登録書類が湿気でボロボロになったり、インクが滲んで読めない、
という別の問題がおきたそうです。今聞くと、笑い話ですが、
当時は笑えない出来事だったんでしょうね。

原型は、まず、2mmのプラ版を積層します。
実物はシートの中央が膨らんでいるので、
1/35スケールのプラモの軍用車輌から、シート部品を接着し、
周囲をエポパテで埋めて、盛り上がりを再現します。

あとは、サンドペーパーで削り込む単純作業です。
プラモから流用したシートの表皮パターンが、
そのまま生かせることを期待しましたが、やはり、
1/12スケールだと繊細過ぎなので、結局、ヤスリで加工し、
それらしく、凹みやシワを再現しました。

途中、他の部品と合わせて、様子を見ます。

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 ペンキ屋のタケさんから電話があり。「アオシマの新製品のスーパーホークIII、がんばってんよ。これ買いだよ。スーパーホーク、好きっしょう?」

 ホンダのスーパーホークIIIは好きです。T-34で言えば1943年型みたいなモンで火力や全体形状など基本的には1942年型のままだけど、キューポラが付いたり無線機が全車装備になったりと同じで、前身モデルのCB400N ホークIIIの性能向上型です。

 エンジン形式や全体形状には、ほとんど手を付けず、トリプル・ディスクブレーキ、セミ・エアサス、ジュラルミン鍛造セパレート・ハンドルなど装備の充実を図り、カワサキ、ヤマハ、スズキの四気筒軍団と二気筒エンジンで戦ったバイクです。

 ただ、当時は1本でも排気管は多い方が偉い時代でした。マルチであれば、遅かろうが重かろうが、取り回しが悪かろうが、全てが許された時代ですから、結果は予想どおりの大苦戦。この前、岐阜から買ったCB400LCは、このスーパーホークIIIのクルーザー仕様という位置付けです。

 今回、アオシマが出したのは、その中でもスズカ8時間耐久レース記念モデルとして、1981年に販売された「スーパーホークR」という限定車。今となっては恥ずかしい「紅白カラー」が特徴です。おそらくCB1100Rがイメージベースでしょうが、昔からホンダは、こういう限定車のカラーリングセンスが変です。

 キットは実車同様、古いCB400Nをベースにして、新規金型のホイール、タンク、テールカウル、シート、トリプル・ディスクブレーキ、メーター、ジュラルミン鍛造セパレート・ハンドルなど3ランナーをセット。なかなかの意欲作です。CB400Nが20年以上前の製品なので、新規パーツとの水準差はあるものの、タケさんじゃないけど出すという姿勢が偉いです。

 さっそく「買ったぞ」電話をタケさんにして、キットを手に、タケさんと電話越しで会話していると、

「ちゃんと、ホイール、ウラコムになっているね、ん? あれ!?これ成型不良だ!俺の買ったキット、不良品だよ、タケさん、」

「ははは、日頃の行いが悪いんだよ。どれどれ、どのパーツ?フロントのウラコム?パーツ番号は76? えええ!俺のも微妙に先っぽが溶けてんよ」

なんと同じ個所が成型不良。幸い私は模型店で買ったので対応してもらえましたが、タケさんは大型ホームセンターだったので泣き寝入り。

この辺のQCも含めてアオシマかな。

微妙度★★☆☆☆

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ヘッドライト、ウインカーレンズなどの部品は
クリアーパーツのランナーのみを購入可能か、
ある程度、原型が出来上がってから、
国内模型メーカーと交渉する予定でしたが、
一つ問題がありました。

それは、1/12スケールでは、H2/H2Aに流用可能なテールライトレンズが、
どこからもインジェクションパーツ化されていないことでした。

仕方ないので、テールライトレンズだけ、
クリアーレジンで成型することも考えましたが、
むくむくと頭に湧き上がったのは、

「いっそのこと、インジェクションパーツ化すればいいんじゃない?」
「どうせ金型を興すんだったら、ウインカーやヘッドライトも新規かな?」
「そうそう、将来のためにH2BやH2C用の部品も入れようか?」

てなわけで、試しに仕事のクライアントである香港某社に、
こういうことをしたいのですが、金型とか成型とか、
やってもらえますか?と打診してみたら、意外にも

「いいよ。まずは図面を見せて。見積もり出すから。それを見て決めて」

さっそく、岡田さんに作図してもらうことに。
ウインカーレンズやテールライトレンズは、今でも新品が入手可能なので、
バイク店に注文し、絶版・廃版になったパーツは、部品交換会巡りや、
ヤフオクで手配して渡します。

実車取材するために、わざわざ海外の博物館に行かねばならない、
AFVとは大きく違い、バイク模型開発の良いところは、
部品は本物が手に入るし、実車も大概は国内にあり、
しかも、取材OKのオーナーの方が多いので、格段にやり易いです。

部品を集めているとき、気付いたのがヘッドライト。
同じサイズは現在も入手可能ですが、改良が加えられてしまい、
レンズのカットパターンが、1970年代当時と今では違うのです。

そこで、ここはGUMKAの心強い協力者、gool36jpさんに、
コレクションの写真撮影と採寸をしていただきました。
お忙しいところ、いつも、ありがとうございます。

先頃、全ての図面が出来上がったので、香港某社に送り、
さっそく見積もりをしてもらいます。

将来、キットが発売されて、蓋を開けたとき、
どっかで見たことのあるインジェクションパーツと、
レジン製のテールライトレンズが入っていたら

「ああ、香港の見積もり、思ったより高かったんだな、」

と哀れんでやって下さい。

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