GUMKA工房記

模型の企画・設計と資料同人誌の販売をやっている「GUMKAミニチュア」の備忘録を兼ねたブログです。雨が降ると電車が止まるJR武蔵野線の新松戸と南流山駅の中間辺りに事務所はあります。近所に素材や塗料が揃う模型店がありません。最近、昔からやっている本屋が閉店しました。

2009年09月

学生時代の友人で、香港に住んでおり、
市民権も保有しているO氏が「新生タイタニック号沈没」という
香港アレンジの笑い話の最新版を教えてくれました。

以下どうぞ

{新生タイタニック号沈没}

新生タイタニック号が、ようやく完成し、初航海に出ましたが、
不運にも、またもや氷山と衝突しました。

急いで救命ボートが降ろされましたが、最新の大型客船だけあって、
甲板から海面のボートまでは高さがあり、
乗客は飛び移るのを躊躇しています。

一計を案じた船長は、国別に一言づつ耳打ちし、
見事に全員を飛び降りさせました。その言葉とは

イギリス人には「飛び降りた方は紳士ですよ」
アメリカ人には「飛び降りた方は英雄ですよ」
ドイツ人には「飛び降りるのが規則ですよ」
イタリア人には「飛び降りたら、女性にモテますよ」
フランス人には「別に、飛び降りなくてもいいんですよ」
ロシア人には「救命ボートでは、ウォッカが無料で飲み放題ですよ」
日本人には「皆さん、飛び降りましたよ」

この辺までは、有名なので御存知の人も多いでしょう。
ここから先が香港アレンジ。乗客には日本人以外のアジア系もいました。
もちろん船長は、彼らにもニコニコ顔で耳打ちします。

韓国人には「飛び降りの起源は、韓国だそうですね」
北朝鮮人には「将軍様は、船に残るそうですよ」
香港人には「北京の中央政府は、この船は沈まないと言っています」
マカオ人には「飛び降りた方は、カジノの正社員に優先採用されます」(注)
シンガポール人には「飛び降りないと、罰金ですよ」(注2)
台湾人には「台湾総統の不信任投票を救命ボートでやっていますよ」(注3)
中国の一般人には「救命ボートに移ったのは、全員が共産党の方ですよ」
中国の共産党幹部には「中国人の一般旅行者には、船に残るように言ってあります」

(注)マカオでは、カジノの正社員が高給で好待遇な職業
(注2)シンガポールは、ゴミのポイ捨てなどの罰金が高額
(注3)台湾は国民の政治意識が高く、常に現職の総統に不満を持っているそうです。

朝夕が涼しくなって、だんだんと秋らしくなっています。

実は私、汗腺の数が普通の2/3程度しかなく、夏の暑さは大の苦手です。
母方の親戚に同体質の人が何人もおり、長女も同じです。

20年以上前、検査してくれた医師が、

「汗腺の少ない人は熱中症になり易いので、暑い日の運動には注意して」

と的確なアドバイスをくれました。

しかし、当時は、熱中症という単語が今のように知られておらず、
アホだった私は、

「え~?、汗かかないと、脱水にならず、むしろ平気なんじゃないの?」

と不思議がっていたのですが、その後、

「ああ、なるほど。熱を逃がしづらいから、体温が下がらず、死にそうになるのか」

を幾度か身を以て体験し、納得しました。

先月中旬、市川市の銀行に外為関連の用事があって、
久々に出掛けたのですが明らかに気温が、南流山より高いです。

引っ越したばかりの頃、気温が市川より1~2度低く、寒い思いをして、
子供らにも文句を言われたのですが、こと夏に関しては、
こちらの方が、暮らし易いです。

やはり高層ビルが一切なく、緑が多く、道が広いからでしょうか。
(平たく言えば、田舎なんだよね)

 まだ地球上にソ連という国が存在しており世界は西側と東側に二分された冷戦という時代の1987年、奥さんが、陶磁器で有名なマイセンに行きたいというので、今は亡き東ドイツを旅行し、ドレスデンにあった軍事博物館に寄りました。


イメージ 1




 展示物の中に、ZSU-57-2対空自走砲がありました。当時、まだ、若くてパワーに溢れていた私はメーカーの新製品も無かったこともあって競うように、友人らとソ連AFVのスクラッチ合戦をやっておりまして。柵の中に展示されているZSU-57-2を眺めながら、

「ZSU-57-2も造りたいけど、柵の中だし、車体にも上れないし、肝心の砲塔上面はシートで覆われているしな、」

などと考えていたら、やおら現れた数人の職員が周囲の柵を撤去し、車体に梯子をかけ、砲塔のシートを外し始めたではないですか。

 え?!と思って成り行きを見守っていたら、2人の職員に付き添われながら車椅子に乗った30才くらいの小太りの男性が現れ、数名の職員が介助して、その人を車上に乗せました。男性は持っていた東独製一眼レフカメラで砲塔内部や車体上面を優雅にパチリ、パチリと始めたではないですか。

 ダメもとで片言のドイツ語で、手近にいた人の良さそうな職員に「日本から来たモデラーで、私も、この車両には興味がある。できれば車体上面の撮影をさせてくれないか」 と問うと車上にいた一番、偉そうな老職員に聞こえたようで、すぐに「Nicht gut!(だめ)」と言って両手でXのジェスチャーを。

 「そうか、身体障害者への特別優遇か。社会主義国のメンツにかけてサービスしているのかな」と一瞬、感心しかけたら、話しかけた職員が英語で"He is writer of MBH"「彼は、MBH(東独の国営模型雑誌)のライターだ」そして、顔を近づけてコソッと小声で"His father is great in party" (親父さんは党のお偉いさんだぜ) と言って、ウインクを。

 なるほど共産党の偉いさんの御子息への特別サービスか。あんたたちも、大変なわけやね。冷戦が終わるなんて思ってもいなかった時代の話です。

*写真は、当時の東独の入国ビザです。

 H3氏のKZ1000ST改Mk.IIですが、最終的に御覧のような形になりました。ホイールは時代に合わせて、7本スポークのキャストを選択。フロントフォークとスイングアームも倒立ではなくノーマルタイプとし手堅くまとめた雰囲気です。

イメージ 1


イメージ 2


イメージ 3

 カラーリングはZ1000Hタイプのままですが、いずれ、ノーマルにしたいそうです。ただ、8月末に待望の長男が生まれたので、しばらく、バイクいじりどころではなさそうです。

イメージ 1


イメージ 2


イメージ 3


 前回に続き、帰国便の機内食を紹介します。往路の逆で香港ー台北ー成田という経路でした。香港ー台北間は、五目焼そば、ミネラルウォーター、スポンジケーキでした。焼そばには、ピリ辛味のソースが別袋で付いており、周囲の香港・台湾人乗客の様子を見ていると麺を半分くらい食べた後に、ソースを掛けて、二種類の味を楽しんでいるので、真似をしました。ちなみにソースのない方が、シンプルな味わいで美味しかったです。

 台北ー成田間は、エビサラダ、パン、バター、メインディッシュ、ナッツ入りスポンジケーキというメニュー。メインディッシュは、甘辛く味付けした豚肉飯とハムのホワイトソースパスタが選択できましたが、なぜか、付け合わせの茹で野菜は両方共、同じでした。パンが良く言えば、結構、柔らかく、悪く言えば、スカスカでした。

 香港人によれば、香港・台湾人乗客は、不味い機内食を食べさせると暴れたり、航空会社に苦情メールを沢山、送るので、中華系航空会社にとっては「安全性より機内食」が大事なんだそうです。(おいおい、本当なのかよ?!)

 那覇空港での火災爆発事故とか見ると、ちょっと笑えない冗談ですが、これまで、キャセイ・パシフィック、中華航空、香港ドラゴン航空、シンガポール航空の中華系航空会社に乗りましたが、米国系や国内某社のような「こりゃ、ダメだ、」という機内食には当たったことはありません。

イメージ 1


イメージ 2


イメージ 3


 今年5月の香港出張は、中華航空を使って成田ー台北ー香港という経路でした。那覇空港での火災爆発事故は記憶に新しいところですが、往復航空券の料金が燃料サージ、空港使用料込みで、
2万円に届かないという格安さに負けて選びました。

 成田ー台北間は、サーモンサラダ、パン、クラッカー、バター、チーズ、メインディッシュ、チーズケーキというメニュー。メインディッシュは、天丼とハンバーグが選択できましたが、天丼はかき揚げ丼でした。ハンバーグは結構、ボリュームがあり、付け合わせにフライドポテトと茹でニンジンが付いていました。

台北ー香港間は、イカ団子付きのビーフン、オレンジジュース、
スポンジケーキ。ビーフンにはピリ辛味の肉味噌が掛かっていました。

このページのトップヘ