GUMKA工房記

武蔵野線新松戸~南流山の中間辺りにあるGUMKAミニチュアの備忘録を兼ねたブログです。

2009年01月

リーマンショック以後、世界中の経済が大混乱となりましたが、それまで経済成長率7%以上だったロシアも例外ではありません。

まだ空前の好景気を謳歌していた2007年の3月、ロシア人の友人が仕事で来日しました。当時のモスクワは和食ブームで、市内だけで約500軒の日本食レストランがあり、郊外に位置する彼の自宅の近所にもオープンしたので、家族で行ったそうです。以下、彼との和食談義。

彼 「レストランの名前は『タヌキ』だ。日本人にとってラッキー・ワードだろう?」

私 「それは動物の名前だ。raccoon dog のことだ」

彼 「え?、ラッキー・ワードじゃないのか?」

私 「古い料理屋の店頭にはタヌキの焼き物が置いてあって、商売繁盛、千客万来の意味だけど。まあ愛嬌のある動物という印象かな」

彼 「ふーん」

私 「どんなメニューがあるの?」

彼 「寿司、天麩羅、焼き鳥、麺類、すき焼き、なんでもある。私が注文したのは、すき焼きだ。ちゃんと三種類ある。」

私 「え? すき焼きが三種類?」

彼 「(やや自慢げに)そうさ。ビーフ・ソイソース・スキヤキ(これはノーマルだね)、サーモン・ミソスープ・スキヤキ(石狩鍋?)サハリン・ スキヤキ(???)だ。私は、サーモン・ミソスープ・スキヤキとスシ・ノリマキ(海苔巻き寿司?)を注文した。とても、おいしかったよ」

私 「サハリン・スキヤキって、何?」

彼 「おいおい、サハリンには沢山の日本人が住んでいるだろう。えっ?それは戦前の話だって?あ、そうなんだ。いや、サハリンの日本人が食べているという話だったけど、タラバ蟹と海老、魚肉、野菜が入ったシンプルな塩味スープだったよ。(海鮮鍋?)」

私 「普通、すき焼きはビーフ・ソイソースだけど」

彼 「肉が煮えたら、鍋に溶き卵を入れるんだろう」

私 「いや、煮えた肉を溶き卵に浸して食べるんだよ!」

彼 「溶き卵に浸す? なんだって!何の意味がある?」

私 「いや、そういう食べ方なんだから」

こんな調子で、延々とパラレル・ワールドの日本食話を。文化の伝達は難しいですね。

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エアークリーナーのハウジングの再製作を始めました。
まずは、流用できそうな丁度良い直径の円盤状の部品はないかと、
ストックのプラモの箱を片っ端から開けて調べます。

結果、1/35スケールのドイツのIII号戦車の転輪がぴったりであることが判明。
転輪部品を三枚重ねると、直径も幅も丁度なので、張り合わせ、上部に吸気孔を開けます。

製作途中、工業部品の試作屋の友人が遊びに来て、作り掛けの部品を見るなり、
「こんなの旋盤で挽けば、ものの5分じゃん、なにモタモタやってんの?」

うん。言いたいことは充分にわかるけど、
この原型は、なるべく手作りしたいんだよと答えると、
怪訝そうな顔で帰って行きました。
彼らは、常に納期に追われるプロだから、理解できないでしょうね。

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香港のドラゴンモデルのフレッディ・リャン社長と香港の田舎へ行ったとき、

途中のあまりキレイと言えない風景に、私の腕を掴み、「見てくれ。香港島や九龍半島の繁華街も、私が子供の頃は、裏に回れば、こんな街並みだったんだよ」そして、しみじみと「懐かしい」と

高層ビルや巨大なショッピングセンター、綺麗なホテルが立ち並ぶ現在の街並みからは、ちょっと想像できません。

また、香港島の高級マンションに住むリャン社長が、こんな景色に懐かしさを感じるとは意外でした。

 数年前、実家に置いてあったグンゼのハイテックシリーズの1/12バイクを両親に勝手に御近所フリマで売り払われました。「もういらないかと思った」そうです。同様の苦い経験をされた方は意外にも多く、この話をすると様々な方から、励ましやら同情の声をいただきました。しかし、その中に「これに比べたら、自分など軽傷」と思える話がありました。


その方はKさんといい、この話を聞いたときの年齢は30代半ば、御職業はDTPオペレーター兼CGデザイナーで都内の編集デザイン会社に勤務。御実家は茨城県の古くからの農家で畑作主体ですが、所有する土地は広く、かつては牛や鶏も飼っていたそうです。兄弟は妹さんが1人いましたが、遠く離れた地方に嫁いでしまい、実家には御両親だけが住んでいました。

実家の敷地には、トラクター置場と作物の仕分け作業場だった木造の小屋があり、Kさんが高校を卒業する頃には使わなくなっていたので、両親の了解をもらって自分の模型倉庫にしました。Kさんは模型なら、戦車から飛行機、車、ガンダムまで集める人なので、広い保管場所が必要だったのです。

 専門学校卒業して社会人になってから始めたのがオートバイのレストア。友人から不動のホンダCB250をもらい、修理して走れるようにしたのがきっかけで、近所から数台が集まったそう。やがて解体屋巡りをして、部品取り用に不動車や事故車を買う位、夢中になったそうで、何台買っても、もらっても、広い模型倉庫に入れるだけですから自然と台数も増えます。

 一方で模型収集も止まりません。社会人となって杉並区のアパートに引っ越し、電車に乗れば都内の主要な模型店という好立地では、在庫が増えないわけがありません。買った模型は宅配便で実家に送り、模型倉庫に放り込んでもらうよう電話しておくか、帰省の時に持って行けばいいだけです。

 難点は都心の自宅と実家との距離。同じ関東地方とは言え、実家に帰るには、途中まで高速道路を使っても車で片道約3時間。それでも、バイクの再生作業や模型の整理のために最初は月2回は土日に帰っていたそうですが、数年もすると次第に足が遠のき、毎月が2~3ヶ月に1度になり、結婚してからは、世間並みに御盆と正月だけになったそうです。そして悲劇は、ある年の夏休みに起きました。

 実はKさん、その年の正月は年末から子供さんと奥さんが風邪で伏し、自身も仕事の切れも悪かったので、結局、帰省はせず、1年ぶりの家族での里帰りとなりました。道路が混む御盆時期をずらして、8月の最終週に実家に付くと、模型倉庫があった場所に4階建てのマンションが80%くらい完成して建っています。

「え?!、と、とうちゃん、こ、これは一体?ど、どーしたんだよ!」

「ああ…、お前に言うと、絶対、反対すると思ってな、黙ってたんだよ。何の心配もいらないよ。このマンションは、お前のものだよ。俺も色々考えてな。お前も今は働き盛りだからいいけど、年とってからも、徹夜だぁ、会社に泊まれだぁ、正月や盆にも帰れないような仕事を続けられるんか?かといって、いきなり帰ってきて働けいっても、コンピューターで絵書く仕事なんて、この辺にはねえ」

「嫁や孫の事も考えると、なんか収入の入る事をしてやらねばと思ってな。全部、おめえのためなんだよ」

 実家の御両親は、御墓を守ってもらいたいので、Kさんに戻ってきて欲しかったのですが、お嫁さんの手前、農家を継いでくれとは言えず、悩んだ末、マンションを建てたのです。建設会社や不動産会社の人と敷地のどこに建てるか相談したところ、模型倉庫のある場所が、公道に面していて日当たりも良く、ベストであるという結論に。

「い、いや、そーじゃなくて、あの小屋の中にあった、俺のバイクやプラモは?」

「あはは、そんな事、なーんの心配もいらねえ。とうちゃんが、ちゃんとやっておいたよ」

「お前も知っている●●さん、今、長男と建物の解体屋やっているんだよ。その●●さんに頼んで、全部、きれいに処分してもらったよ。走らないバイク、40台もあったってよ。走れば売れるけど、動かねえバイクは、ただのゴミだってさ(笑)」

「プラモはユンボが来て、小屋と一緒にバリバリと潰してくれて、ものの10分さ。面倒がなくってよかったよ。金の事は心配いらねえぞ。ちゃんと、とうちゃんが払っておいたよ。お前に迷惑かけねえって決めたからなぁ。どうだ喜んでくれるか?」

 奥さんが横で喜びの余り、泣き出したので、とても、あの模型やバイクは手に入らない貴重なものばかりで、どーしてくれる!とはいえなかったそうです。ショックの余り、無言で立っていたら、おとうさんが勘違いして「喜んでくれるかぁ、よかった、よかったよ!」

 と泣き始め、おかあさんも、もらい泣きし始めたので、もう仕方ないと思った途端、

「ありがとう、とうちゃん。うれしいよ、おれも、あのガラクタ、どうしようかと困ってたんだ」

と、心にもない言葉が、すらすらと出てきたそうです。歴史上の悪徳政治家や独裁者が、革命や暴動で民衆に囲まれて、心にない宣言や布告をするって、こういう気分なんだな、と思ったそうです。

 この話を聞いてから、私も実家から模型を回収してきました。とは言っても、部屋に入りきらないので、量にして全体の1/4程度です。おかげで私の部屋は通路を残して一杯状態に。家内に暫定処置で、物置とか、階段下に置かしてくれないか?と頼んだところ、ニヤリと笑って「ユンボが来て、バリバリと潰して、ものの10分ねぇ」

何も言い返せなかったです。


 模型店をやっていた頃は一部の商品を直接、海外から仕入れていました。特にロシアの模型雑誌や資料本はモスクワの本ブローカーであるセルゲイ氏が良く対応してくれたので積極的に扱ってました。

 あるとき、とある模型店からロシアの航空関連の書籍を仕入れたいと相談を受けたので、セルゲイ氏を紹介しました。半年後に、その方から苦情が来ました。

「信頼できる人物という紹介だったけど、全然、話しが違う」

 セルゲイ氏は、いいかげんな奴が多いロシア人の中では、かなりまともで注文しても、入手不可能な本は「それは、もう無理」とすぐに返事をくれるし、自分が受けた注文については、時間が掛かっても必ず捜し出してくれます。ロシア名物である荷物の行方不明にも、誠意を以て対応してくれるし、ときどき、掘り出し物を探してきて案内もしてくれます。

 そこで、なにがあったのか詳しく話しを聞くと、

「メールを送っても、返信が、すぐ来ず、ひどい時は2週間くらいかかる」
「本を頼むと、すぐに無理とか不可能という。やる気があるのか?」
「荷物の発送が遅い。文句を言っても待てくれ、ばかり」
「バカンスとか言って、1ヶ月近くも連絡がとれない」
「本の表紙が汚れていたので、交換を要求したら、在庫がないから我慢してと言われた」
「こっちが頼みもしない本を、珍しい本とか言って、押し売りしようとする」等々

 え?どこが問題ですか?それは、彼の普段のビジネス・スタイルですよとなだめても、

「そんなやり方は日本じゃ通用しない!」

「日本人相手の商売なら日本の習慣に従うべきだ」etc

 模型商売を始めて25年、その半分以上をロシア人やら香港人と取引し、友人も多いので自分の物差しや基準が、少々、日本の平均とずれているのは仕事仲間の岡田氏からも指摘されるし、自覚もしています。でも、連中に闇雲に日本の納期や商慣習を強要しても無理だと思う。

 結局、その模型店とセルゲイ氏との取引は、すぐに終わりました。セルゲイ氏に、あまり良い商売にならなくて、残念だったねと声を掛けると

「彼は、商売に情熱を持っていたと思います。僕も一生懸命やったけど、彼の人生のスピードと、僕のスピードは違い過ぎたみたいですね」

人生のスピードかぁ。確かに違うよね。

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2007年5月ヤフオクにて、セルモーター付きエンジンを入手。
出品者によれば、かつて実動品だったそうで、外観状態は良好。
「エンジンは大概、かつては実動だろう」
という野暮はさておき、セルモーター欠品のモトグッチ254と合わせれば、
なんとか実動車が1台作れるか?

あとは、こんな酔狂なバイクをレストアしてくれる店を捜すだけ。
ちなみに某有名モトグッチ専門店に電話したら、
モトグッチ254だけは勘弁してください。あれはベネリです」
と簡単に断られました。前途に立ち込める暗雲。

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