香港で贔屓にしていた占い師がおりまして。的中率が80%くらいで、2005年1月の出張のときに運勢を見てもらうと「3年以内、2008年12月までに自宅の引っ越しをするから覚悟しておけ」と。

 当時は経営していた模型店も順調だったし、模型設計の仕事も新規を断るくらいの状況だったので、自宅の引っ越しなんぞあるわけない。まあ、これは外したなと思っていました。

 2008年5月に義母の癌が判明し、夏頃に担当医師から、このケースだと余命は数ヶ月から1年と言われました。
 当時、義父が糖尿病治療を行っており、食事の管理を義母がやっていたので、万一、亡くなった場合、誰が面倒を見るんだ?となって、言われたとおり、模型店を譲渡して、12月23日に義父母が住む新松戸に引っ越しました。

 実娘と孫二人が近所に越してきたこともあってか、義母は辛い治療に耐えて、数ヶ月後に退院し、担当医師は奇跡と驚いていました。ただ、5年以内に再発する可能性が高いと言われ、我々も覚悟はしていました。

 その後も義母は元気に生活を続け、一時期はパートにも出掛けるようにまでなりました。

 昨年、癌とは関係なく、膝関節を悪くして、年明けから歩行不能の寝たきり状態となり、介護認定の見直しをしてもらおうと言ってた矢先の先月末、急逝します

 義父の葬儀の際には、コロナ禍以前だったので、鹿児島から大勢の親戚が訪れましたが、今回はそれは無理で、将来、コロナ騒動が収まったら、御線香をあげに行くからと皆さんから言われました。

 この4年で旦那さんと長男を見送り、昨年6月には次女の結婚式にも車椅子で参列し、曾孫を見るまで頑張ると言っていましたが、それは叶わず。

 引っ越しから13年余、ずっと面倒を見ていた家内が一番大変だったと思います。彼女には、お疲れ様を言いたいです。


 ちなみに冒頭の香港の占い師、昔は割と暇で、顔見知りになったら、お茶と御菓子を出してくれたり、昼飯食べながら世間話したり、帰ろうとしたら郵便物を渡され「地下鉄駅に行く途中のポストに投函しといて」と雑用を頼まれるなど、のんびりとした雰囲気でしたが、やがて評判が評判を呼び、コロナ禍前は、予約がとれない有名人になっていました。