神社からの帰路、子供心に「一つくらいは自分にくれるだろう」と期待したが祖父は竹細工を全て仕舞い込んで、一切触らせてくれなかった。

 高校年のとき祖父と子供時代の思い出話をしていると、この竹細工露店の話題になった。まとめて買った竹細工は浅草の紙箱屋に綺麗な和紙を貼った小箱を別注し、季節の句や謝辞を沿えて、取引先やら偉いさんへの配り物にしたという。

「おもしろいもんでな、箱の蓋を開けて、嬉しそうな顔をした奴は、大概、大成している。なんだこれは?という顔をした奴は、その時、どんな偉そうな肩書きでも、後々、ロクなことになってない」

 長年の謎だった竹細工職人は祖父に連絡してきたのか?連絡があったなら、何を作らせたのか?を尋ねると、祖父は書斎からアルバムを持ってきて、一枚の写真を見せてくれた。それは見事な竹製の手長エビであった。

 本体だけで10cmくらい。長いハサミを入れると25cmほどの大きさで、細い竹の節を生かしたハサミや足、どう加工したのかわからない頭部の細工、胴体の節々や尻尾など見事な作品であった。祖父は展示用の塗り台とガラスケースをあつらえさせ、会社の自室にしばらく飾っていたが、どうしても欲しいというある企業の取締役に根負けし、譲ったという。

「アホな奴はこの細工物を見て、名のある方の作品ですか?とか聞きよる。無名なら、この素晴らしさがなくなるんか」

「美術商や画廊で売っている物だけが芸術と勘違いしている奴が多いがそうやない。演劇や料理、風景、音楽、言葉、行為、行動、製品、感動をさせてくれる物は全てが素晴らしい」

「昔、評論家がTVでヨーロッパの家庭では油絵を飾る習慣があり、芸術に理解がある。我が国も見習わねばみたいなことを言ってたが、私は無知ですと公言しているようなもんだ。春になれば桜を眺め、夏になれば雲を望む。秋には菊の花を愛で、冬には雪をも慕う。庶民ですら素晴らしいと思った小物を傍に置き、江戸時代から根付け細工やキセル金工に血道を上げる。折り紙一つ、盆栽一つとっても、素晴らしいものが国内に沢山あるのに、それに気づいとらんとは哀れや」


 祖父は、この竹細工職人を重用し、その後も、幾つかの一品物を作らせた。自分が幹事となった料亭での会食では、季節の植物をあしらった箸置きを作らせ、最後に、それを参列者のお土産にしたところ、大変に好評で、そこの女将も気に入り、是非にと請われて、料亭に四季折々の箸置きと、揚げ立ての天麩羅を飾る編み籠を納めた。さらに、その箸置きを見た華道家からは竹製の花器を依頼されたという。

 それならばこの職人さんは、今では有名になったんですかと尋ねると、ちょっと寂しそうな顔をした。

「まあ、お前が社会人になったら詳しく話してやるが、結局、この職人は道を踏み外した。才能と努力の積み重ねが一時の欲望に負けた」


 結局、私が社会人になる前に祖父は他界してしまい、詳しい顛末を聞くことはできなかった。ただ祖父の言い回しだけで、彼の身の回りに何が起きたのかは粗方想像がつく。あのとき神社の露店で一生懸命、竹細工を売って旦那さんを支えていた女性は、どうなったのだろう。どれほど真面目な職人であるかを説明してくれた叔母さんは、どう思ったのだろうか。

 桜の季節になると思い出す。