GUMKA工房記

模型の企画・設計とロシアのレッドアイアンモデルズの代理店をやっている「GUMKAミニチュア」の備忘録を兼ねたブログです。雨が降ると電車が止まるJR武蔵野線の新松戸と南流山駅の中間辺りに事務所はあります。近所に素材や塗料が揃う模型店がありません。最近、昔からやっている本屋が閉店しました。


 現在、販売中のアーマーモデリング誌9月号の連載記事「ライド・オン・タンクス」でアルパインのフィギュアに絡めて第二次大戦中のソ連戦車兵の軍装について解説しました。

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 作例の担当は國谷忠伸さんで、各段階ごとに撮影した写真を使い、ステップ・バイ・ステップでわかり易く解説しているので、ぜひご覧ください。

 本号の巻頭特集は「水」の再現方法ですが、今までも集大成ともいうべき内容で、一読の価値ありです。 

 神社からの帰路、子供心に「一つくらいは自分にくれるだろう」と期待したが祖父は竹細工を全て仕舞い込んで、一切触らせてくれなかった。

 高校年のとき祖父と子供時代の思い出話をしていると、この竹細工露店の話題になった。まとめて買った竹細工は浅草の紙箱屋に綺麗な和紙を貼った小箱を別注し、季節の句や謝辞を沿えて、取引先やら偉いさんへの配り物にしたという。

「おもしろいもんでな、箱の蓋を開けて、嬉しそうな顔をした奴は、大概、大成している。なんだこれは?という顔をした奴は、その時、どんな偉そうな肩書きでも、後々、ロクなことになってない」

 長年の謎だった竹細工職人は祖父に連絡してきたのか?連絡があったなら、何を作らせたのか?を尋ねると、祖父は書斎からアルバムを持ってきて、一枚の写真を見せてくれた。それは見事な竹製の手長エビであった。

 本体だけで10cmくらい。長いハサミを入れると25cmほどの大きさで、細い竹の節を生かしたハサミや足、どう加工したのかわからない頭部の細工、胴体の節々や尻尾など見事な作品であった。祖父は展示用の塗り台とガラスケースをあつらえさせ、会社の自室にしばらく飾っていたが、どうしても欲しいというある企業の取締役に根負けし、譲ったという。

「アホな奴はこの細工物を見て、名のある方の作品ですか?とか聞きよる。無名なら、この素晴らしさがなくなるんか」

「美術商や画廊で売っている物だけが芸術と勘違いしている奴が多いがそうやない。演劇や料理、風景、音楽、言葉、行為、行動、製品、感動をさせてくれる物は全てが素晴らしい」

「昔、評論家がTVでヨーロッパの家庭では油絵を飾る習慣があり、芸術に理解がある。我が国も見習わねばみたいなことを言ってたが、私は無知ですと公言しているようなもんだ。春になれば桜を眺め、夏になれば雲を望む。秋には菊の花を愛で、冬には雪をも慕う。庶民ですら素晴らしいと思った小物を傍に置き、江戸時代から根付け細工やキセル金工に血道を上げる。折り紙一つ、盆栽一つとっても、素晴らしいものが国内に沢山あるのに、それに気づいとらんとは哀れや」


 祖父は、この竹細工職人を重用し、その後も、幾つかの一品物を作らせた。自分が幹事となった料亭での会食では、季節の植物をあしらった箸置きを作らせ、最後に、それを参列者のお土産にしたところ、大変に好評で、そこの女将も気に入り、是非にと請われて、料亭に四季折々の箸置きと、揚げ立ての天麩羅を飾る編み籠を納めた。さらに、その箸置きを見た華道家からは竹製の花器を依頼されたという。

 それならばこの職人さんは、今では有名になったんですかと尋ねると、ちょっと寂しそうな顔をした。

「まあ、お前が社会人になったら詳しく話してやるが、結局、この職人は道を踏み外した。才能と努力の積み重ねが一時の欲望に負けた」


 結局、私が社会人になる前に祖父は他界してしまい、詳しい顛末を聞くことはできなかった。ただ祖父の言い回しだけで、彼の身の回りに何が起きたのかは粗方想像がつく。あのとき神社の露店で一生懸命、竹細工を売って旦那さんを支えていた女性は、どうなったのだろう。どれほど真面目な職人であるかを説明してくれた叔母さんは、どう思ったのだろうか。

 桜の季節になると思い出す。


 私が大学生の頃に亡くなった父方の祖父は、ある橋梁会社の重役でしたが、業界では趣味人というか変人として有名だったようです。その業界の御年輩の方と会って自己紹介すると、大概、驚かれ、生前のエピソードを聞かせてもらえました。

 几帳面と真面目、緻密、仕事熱心が服を着たような父とは対照的に、食通、粋、洒落者、達筆、趣味人、目利き、物知り、伊達者、驚くべき頭の良さで、孫の自分から見ても本当に格好良く、到底、真似できない人物でした。
 当然、女性が放っておくはずがなく、そちらの話も様々な方から聞かされたので、つくづく祖母は大変だったと思います。

 そんな祖父と小学生の頃、近所の神社に散歩に行った際、参道に通じる道端で若い女性が露店を出していました。ミカン箱くらいの木箱の上に竹細工のトンボ、エビ、カマキリが置いてあって、前を通ると


「坊ちゃん、トンボよ。どう?見てって、」

と声を掛けてきて、その中の一つを差し出します。

祖父は「ちょっと見せてくれ」とそれを受け取り、しげしげと眺めると「これは、子供のオモチャじゃないだろう」とその女性にこの竹細工について話を聞き始めました。

 作者は彼女の夫で、埼玉県で竹製の籠やザルを作っている職人とのこと。親方の下で修行し独立したものの安価なプラスチック製品に押されて注文は減るばかり。指先の鍛錬と趣味半分で作った虫やエビ、カニなどの竹細工を土産店に売って生活費の足しにしており、この日、店開きしている場所は、叔母さんの家の前で神社の桜が咲き始めたので、週末は人出があると聞き、埼玉からわざわざ行商に来たそう。

「お若いので、てっきり娘さんかと思っていましたが御婦人だったとは。失礼しました」

祖父はそう言いながら竹細工一つ一つを手にして「これで全部ですか?」と尋ねます。


 女性がすぐに裏の家から風呂敷包みを持ってきて広げると、一個づつ綺麗に人形紙に包んである竹細工が幾つか入っていました。

「どうぞ、お好きなのを選んでください」

彼女は丁寧に人形紙を開けてくます。アイテム自体は店頭と同じで、それが複数個ありました。

「うん。じゃあ、全部もらおうか」

 祖父が財布から数枚の千円札を取り出すと、彼女の驚きと喜びようはなかったです。

「釣りはいらないから、旦那さんに美味しいもんでも買ってあげなさい」

 彼女が声を掛けると裏の家から叔母さんが出て来て、二人で何度も御礼を言った後、お茶を御馳走したいので、ぜひ上がってくれと請われた。祖父は丁重にそれを断ると、名刺を出し、

「あんたの旦那さんに作ってもらいたいものがある。ここに連絡するよう伝えてくれ」

 彼女は、まるで割れ物でも扱うように丁寧に名刺を仕舞います。

「必ず連絡させます」


 そう言う彼女の横で叔母さんは彼女の旦那さんが、いかに良い腕を持っていて、真面目な職人であるかを一生懸命に説明していました。


 「古き良き日本」というフレーズを聞くたびに思い出すのは、子供の頃に見たこの光景です。丁寧な仕事をする職人、それを献身的に支える妻、若い夫婦を応援する叔母、そして祖父の粋。 あたかも調和がとれた映像作品のようでした。


(続く)


 帰宅途中、公園を通ると小学2~3年と幼稚園児ほどの男子、3歳くらいの女児、母親らしき女性が桜の木の脇に立っており、弟君が「早くしないと逃げちゃうよ」「遅いよ」と半泣き駄々をこねています。
 見ると桜の木の低い位置にアブラゼミがとまっており、どうやらそれを採りたい様子です。ああ、お母さんを含めて、誰も虫を触れないんだなと思い「セミ、採りたいの?」と声を掛けると、男子二人が「今、お母さんが網と虫籠を取りにマンションに行ったけど帰ってこない」「逃げちゃうよ」を同時に堰を切ったように喋り始め、一瞬わけがわからず。

 お母さんだと思った女性は、実は男子二人の母親と同じマンションの住人(女児のお母さん)で、絶好の位置にいるセミを採りたいと兄弟が望んだため、母親が自宅まで網と虫籠を取りに行き、その間の二人の監視役を頼まれたけど、戻りが遅くて二人がイライラしていると説明してくれました。

 ああ、それならとパッと手で捕まえたら「手で捕まえた!」「すごい!」「手だ!」と二人とも興奮しまくり。

「おじさん、セミ、手で捕まえれるの?」そうか、今は「ら」抜き言葉なんだね。
「おじさんの子供の頃は、みんなセミを手で捕まえていたよ」
「どうして手で捕まえれるの?」
「昔は普通だったよ」
「どうして、昔は手で捕まえれたの?」
 二人とも初めて見る光景にアドレナリン出っ放しで瞳孔開いて、同じような質問を繰り返す面倒くさいモードになっていたので、冗談で「おじさん、前世が猫だから、手で捕まえられるんだよ」と言ったら、女性は笑ってくれたけど、二人はさらに興奮して
「おじさん、猫なの?」「いや冗談だよ」
「猫はセミ、手で捕まえれるの?」「いや冗談だって」
「今でも猫の言葉、話せるの?」面倒だから合わせて
「人間になったら、猫の言葉はわからなくなるんだ」と言ったら
「そうなんだ」
 お兄ちゃんにセミを渡して帰ってきましたが、渡すとき「このセミ、鳴かないからメスだね」と言うと「猫だからわかるの?」いや、鳴かないからって説明したろうが!

 きっと母親が戻って来たら「前世が猫のおじさんがセミを捕まえてくれた」とか言ったんだろうな。

 今から10年前、近所に痩せた若い野良の黒猫がいました。目の上の毛が海老茶色なのが特徴で、よくうちの事務所の駐車場で遊んでいました。
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 しばらくすると見なくなって、その四ヶ月後、デブの黒猫が現れます。「そういえば、あの瘦せた黒猫、どうしているかな?」と思ってよく見ると、目の上の毛が海老茶色で耳の形も同じ。違うのは倍近くに膨れた体型とテラテラと輝く毛艶で、僅か四ヶ月くらいで猫は、ここまで太るものなのか?と思い、詳しい方に伺うと「餌をてんこ盛りで与えるオバさんと遭遇して」「若ければ十分にあり得る」「毛艶が良いのは餌もさることながら、シャンプーとブラッシングの成果で、たぶん誰かに飼われている」とのことで、驚きと共に「林寛子」と命名しました。
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 そして命名から10年が経ち、海老茶色の毛の色が少し薄くなりましたが、体型はますます立派になっていました。顔なんて目鼻が小さく見えるほど、まん丸です。首にリボンを付けているときがあるので、やはり飼い猫に昇格したみたいです。たまにしか見ないのは、ほとんど家の中にいるからでしょうね。
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 10年前の林寛子は太っていても動きが機敏でしたが、さすがに年齢には勝てないのか、最近はじっとしていたり、デベデベと歩くだけです(猫の話ですよ。くれぐれも誤解なきように)


 現在、某書の翻訳をやっており、文中で気になる記述があったので裏取りをすべく、カプリコーン・パブリケーションズの「The Czechoslovak Army  1945-1954(チェコスロバキア軍 1945-1954)」をM.S.モデルズさんより通販にて購入しました。

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 恥ずかしながら、こんな本が出ていたことを知らず、検索して見つけて海外通販しようと思ったら、たまたまM.S.モデルズさんに在庫がありまして。注文すれば2~3日で届くという利便さと、すぐ読みたい欲望が勝ってポチりました。
 
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 首都プラハがソ連軍によって解放されたためか、チェコスロバキアは、戦後すぐに共産化されたと思われていますが、ソ連の影響力こそあったものの、戦時中にロンドンに置かれていたチェコスロバキア共和国亡命政府の長であったエドヴァルド・ベネシュが1945年に帰国して大統領に就任し、国民戦線内閣が成立したため、東西どちらの陣営にも属さないという立場でした。
 独自の国産戦車の開発も目指しており、1948年には軍から提示された仕様に基づいて、CKD社とシュコダ社が競作で30t戦車の試案を出していました。

 この本では空軍と陸軍を紹介していますが、そんな政治的な立場を反映して装備もソ連とイギリスからの供与と旧ドイツ軍の置き土産(使える物は最後まで使おう精神?)で、戦車はクロムウェルとT-34-85とIV号戦車、飛行機もスピットファイアやモスキートがあるかと思えば、ソ連のラヴォーチキンLa-5FNやペトリヤコフPe-2爆撃機がいたり、メッサーシュミットBf109のエンジンを換装したCS-199がいたり、輸送機はタンテだったりと闇鍋のような状態です。

 歩兵の訓練中の写真では、戦車はクロムウェルで歩兵の手にはMP44突撃銃、被っているのは戦前のチェコ陸軍用のM34ヘルメット。もし、このジオラマ作って、どっかの展示会に持って行くと「時代考証が出鱈目ですね」とか言われること必至です。

 終戦の翌年に行われた選挙でチェコスロバキア共産党が第一党となると企業の国有化が推進されるなど国全体の雰囲気が怪しくなり、1948年6月のベネシュ大統領の辞任後には、共産党議長のクレメント・ゴッドワルドが大統領となって共産党の単独政権に。あとは1949年にはT-34-85のライセンス生産が始まり、転げ落ちる石の如く東側陣営の一員となり、当然、当初目論んでいた独自の国産戦車案も彼方に消え去ります。

 終戦直後の東側軍隊という、なかなか陽の当たらない題材ですが、こういう本はなくなると二度と手に入らないので、気になる方は入手しておくと損はないと思います。

 これを読むと、チェコスロバキア軍のクロムウェルMk.IVとMk.VIIがカッコよくて、タミヤのキットがあるのにSKPが簡易インジェクションでクロムウェルを出した理由がわかります。

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