GUMKA工房記

模型の企画・設計とロシアのレッドアイアンモデルズの代理店をやっている「GUMKAミニチュア」の備忘録を兼ねたブログです。雨が降ると電車が止まるJR武蔵野線の新松戸と南流山駅の中間辺りに事務所はあります。近所に素材や塗料が揃う模型店がありません。最近、昔からやっている本屋が閉店しました。


マークB中戦車のデカール自作記事で手持ちのALPS純正Mac OS7.6.1用のドライバを使うために格安中古のPowerBook2400c3400cを物色したところジャンク品は数千円なのに、ちゃんと動く物は意外と高かったので断念した話は書きましたが、実は以前はPowerBook 3400cのオーナーでした。

 模型店時代、原稿の締切が近いと店頭で必死になってカタカタやっていたので覚えている方もいるかもしれません。僅か1年しか生産されなかった短命な機種ですが、デスク機と変わらない性能のノートPCということで、とても重宝していました。

 ところが15年前のある日、突然起動しなくなりました。マニュアルに書かれているトラブルシューティングを試みるもダメで、
すぐに秋葉原にあったMacintoshの修理専門店に持ち込みました。診断結果は2.5インチHDDが逝ったとのことで、提示された見積もりはHDD交換とデータ復元で結構な金額だったため、修理は諦めてiBook G4を買いました。


 ただ様々な仕事をPowerBook 3400cでやったので、売ったり処分する気にはなれず、そのまま手元に残しておいたのですが、令和のこの時代に、
PowerBook 3400cを修理する記事を見つけまして。


 それによると起動しない場合に真っ先にやることが内臓バッテリーの遮断とあったので分解して試してみたら、それだけで、あっさり起動して15年ぶりに懐かしい画面を見ることができました。

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 大日本絵画から出版されているオスプレイ出版の翻訳原稿はクラリスワークでしっかり全冊分が残っていました。CANVASで作成した1/35シュビムワーゲン128や八九式中戦車のレジンキットのパッケージやインストの原稿もあって、私とGUMKAミニチュアの歴史そのもの。某修理専門店はHDD破損との診断でデータ復元とか言ってたけど、全然、問題ないよ?

 あとはALPS純正のMac OS7.6.1用のMDプリンタードライブを探し出してインストールすれば、MD-1300が使えることになるのですが、マークB中戦車用の馬鋤とハンマーの国籍マーク、もう作っちゃったんだよね。


鯉、ニジマス、川エビ、イカ、タコ、カレイなど魚介の唐揚げは好物なのですが、ドムドムハンバーガーがカレイの唐揚げをバーガーにした「丸ごと!!カレイバーガー」を期間限定で販売中と聞き野田運河プラザ館店に食べに行きました。
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 1970年にダイエーが創業したドムドムハンバーガーは、日本初のハンバーガーチェーン店で、ダイエーの躍進と共に店舗数を伸ばしてきましたが、紆余曲折ありまして、現在はダイエーとは無関係なドムドムフードサービスが運営をしており、店舗数は全国で27店に。昨年9月に日本最古の遊園地「浅草花やしき」に新規出店したことが話題になりました。

 千葉県内には4店と東京都や神奈川などと共に店舗が多いのですが、自宅から一番近いのは野田運河プラザ館店で、実は宗教法人「霊波之光」の本部敷地内にあります。

 東部野田線運河駅で降りて徒歩5分ほどで霊波之光本部に到着。入口に立っている教団の白い作務衣姿の方に「信者ではないけどドムドムバーガーを利用したいので中に入れますか?」と尋ねると「どうぞ。誰でも入れますよ。中に誘導の者がおりますので詳しい場所は案内してもらってください」と笑顔で。

 びっくりするくらい広い敷地内は入口の撮影スポット以外は撮影禁止。中に入ると政治家の自宅前に立つ警官詰所みたいなボックスがあり、白い作務衣の女性(信者さんでボランティアの誘導スタッフ)がドムドムバーガーまで案内してくれました。途中、すれ違う信者さんや教団スタッフの方から次々と「こんにちは!」と元気一杯に挨拶されるのでビビりましたが、挨拶に重きをおく教えですからとのこと。
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 ドムドムハンバーガーは敷地内のプラザ館という建物内のフードコートにあり、肝心のカレイバーガーは店頭のフライヤー画像に噓偽りなしのバンズからはみ出すほど大きなカレイの唐揚げが揚げたてで、ソースの相性も良く美味しかったです。
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 白状すると失礼ながら、敷地内で教団の白い作務衣姿の信者を見てから頭の中でTRICKのテーマソングと阿部寛演じる上田次郎教授の「なぜベストを尽くさないのか!」「こいつは3776番助手の山田奈緒子です」と仲間由紀恵演じる山田奈緒子の「つるとまるとお見通しだ!」「にゃー」がエンドレスでループしてましたが、フードコートの席には信者さんたち以外にも隣接する東京理科大の学生と思われる若い男性や嫁の不満を愚痴っている御近所のオバさんグループが食事をしており安堵。ハンバーガーを食べ終わる頃にはテーマ曲も上田次郎も山田奈緒子も消えていました。非日常メニューを非日常空間で食べられて楽しい一日でした。 


 労農赤軍の馬鋤とハンマーの国籍マークの自作ができず、長らく製作が中断していた1/35 マークB中戦車ですが、約半年の紆余曲折と試行錯誤の末、なんとか見られるデカールが出来上がりました。これまでの経緯は以下のとおりです。

*象のロケットWindows10用ドライバ+MD1300プリンター

 マイクロドライ・プリンターの駆け込み寺的存在である「象のエンジン」。ALPS製MDプリンターの修理やメンテの他、インクカセットや専用デカールなどの部材も販売し、さらに独自にWindows10用のMDドライバも提供しています。

 私はALPS純正Windows7用ドライバを持っていないので、このドライバをインストールしましたが、どうやっても黒しか印刷できず。
 仕事仲間のタヌタヌ岡田さんから「象のロケットのオリジナル・インクカセットはプリンターが黒と認識する仕様となっているので、それのワインを使えば赤いデカールが印刷できるのでは?」との、ありがたいアドバイスをいただき、さっそく試すもワインはワイン色で赤ではなく、おそらく、これにイエローを合成すれば赤になりそうだけど、合成方法がどうしてもわかりません。

 さらに、このドライバでMDプリンターの使用後、電源をシャットダウンした翌日にパソコンを起動するとブルースクリーンとなり、デバイスの接続もしくは解除方法に問題があったという内容のメッセージが表示されて再起動を求められることがしばしば。ただ、これも常に出るわけでないので対処できず。
 詳しい方によるとWindows10にはキヤノンやエプソンなど各社プリンターの登録機能があるものの、ALPSのマイクロドライ・プリンターは、そもそも登録できないため、幾つかの条件が重なった場合、PC側が問題のあるデバイスを接続したと判断するのでは?とのことですが、私レベルでは完全にお手上げでございます。

*Windows7ノートPC+海外のALPS販売サイトからDLしたドライバ

 次女が学生時代に使っていたWindows7ノートPCをくれたので、海外のALPS販売サイトからWindows7用ドライバをダウンロードしインストールしたものの起動せず。実はドライバは32bit専用で、次女の使っていたPCは64bit。たぶん、起動しない原因はこれかな?これも私レベルではお手上げ案件なんで次へ。

*格安Windows7 32bitノートPC+海外のALPS販売サイトからDLしたドライバ

 「どっかに格安のWindoes7 32bitノートPCないかなか?」と探していたら某ネットオークションにOSのみ、ソフト一切なしのノートPCが3000円で出品されており、ライバル不在で開始値で落札。前回同様、海外のALPS販売サイトからWindows7用ドライバをダウンロードしたものの、ZIPファイルを解凍してインストールしようとすると途中でエラー表示されて、なぜか実行できず。再び私レベルではお手上げ案件。この段階でマイクロドライ・プリンターに見切りをつけました。


*中古PowerBook 2400cか3400c+OS7.6.1用ALPS純正ドライバ+MD1300プリンター

 これは考えただけで実行できなかったのですが、ALPS純正のMac OS 7.6.1用ドライバディスクは持っているので、程度の良さげなPowerBook2400cか3400cあたりを入手してインストールすれば、MDプリンター専用機として使えるじゃないの?と思って中古価格を調べたら、今から20年以上前の機種にもかかわらず、ちゃんと動いて程度の良いものは15000~30000円もするので諦めました。なんでも古いMacintoshはデスク機もノートも熱心なコレクターがおり、特にPowerBook2400cは思い入れがある人が多いのでWindowsノートPCのような値崩れはしないんだそうです。

*ハイキューパーツ製インクジェット用デカール+canonインクジェットプリンター

 結局、大回りして原点に戻り、ハイキューパーツのインクジェットプリンター用のホワイトデカールシートに国籍マークを印刷しました。多くの方々が指摘されているようにデカール自作にはインクジェットプリンターはベストではありません。私もデカールシートに国籍マークを印刷する段階でインクが滲んだり、貼るときに水に浸けたらインクが溶け出したりなど失敗の連続でした。
 インクの滲みは、K-トレーディング製のデカールベーススプレーで改善されると聞きましたが既に絶版品。ところが、仕事のついでに寄ったタムタム千葉店で売っていて(残っていて?)即買い。現在、タムタム千葉店は京葉線の稲毛海岸駅前に移転しており、その際に盛大な在庫処分セールをやったらしいので、今でも売っているかは不明です。「インクのにじみが強力に抑えられる」のコピーは半信半疑でしたが確かに吹き付けると印刷時の滲みは改善されました。自社のミラクルデカール専用を謳っていますが、ハイキューパーツのデカールにも問題なく使えました。

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 てなわけで完成したデカールを貼ってみました。いろいろ課題が残るものの、ようやく途が開けました。



 今年の4月の出来事ですが、電車に乗ったとき向かい席にシニア女性とそのお孫さんの小学校2~3年生の女児が座っておりまして。その女性の話す標準語が関西弁アクセント混じりで、ときどき語尾や問いかけが関西弁になるのですが、実は亡き祖父が同じ話し方だったので、数十年ぶりに聞く懐かしさでした。
 もともと大阪堺市に住んでいた祖父は1936年に勤務先の橋梁会社が東京支店を開設したため、同僚たちと共に引っ越してきて、それ以降はずっと関東暮らしでした。

 言葉に関して同僚たちの対応は様々だったそうで、営業担当の人たちは仕事柄、ほぼ全員が標準語をマスターした一方で、設計や技術系など社内に籠る人は関西弁のままが圧倒的で、祖父はその中間で標準語だけどアクセントや語尾が怪しく、話に興じると関西弁に戻るので、子供の頃は周囲の大人とは言葉が違うので不思議でした。
 ちなみに祖母は、毎日の買い物や近所付き合いもあるためかキチンとした標準語を話し、生まれは堺市だけど物心ついたときには関東暮らしだった父は全く関西弁を話しません。

 女性は短い革ジャンにアニマル柄ロングスカート(関東ではレアなアイテムです)、編上ブーツというファッションで黒髪混じりの長い白髪をポニーテールにしている一方、女児は全く普通の小学生で、そのギャップも面白かったのですが、聞くとはなしに聞こえる会話によると女児のお母さん、つまり女性の娘さんの誕生日プレゼントを買いに行く途中でした。それまで通う学校の様子や友達について女児に尋ねていた女性が突然、話題を変え、

「なあ●●●ちゃん、土屋アンナ、知ってるか?」と。

 お孫さんが「知らない」と返すと女性は、自分が若い頃は土屋アンナに似た美人だったので、沢山の男性から求婚されたと話し、

「●●●ちゃんのお母さんも御婆ちゃんの若い頃とソックリで、しかもバッチリ土屋アンナがリアルタイムな時代に学生だったんで、そりゃーもう信じられんほどモテモテやったよ(だったよ、にならない)」

この後、どんだけモテていたかの驚愕のエピソードを語るのですが、これがなかなか凄く、女児のお母さん、電車内で勝手に過去を暴かれ大迷惑だったと思います。

「●●●ちゃんもお母さんに似とる(似てる、にならない)から、大学生やOLになったら(みんなが奢ってくれるので)、財布持たんでも街で御飯食べ放題、酒飲み放題できるで」(こんな直情的表現は関東ではあまり聞かないし、そもそも土屋アンナが何たるかを説明してないまま小学生相手に何を言うのやら)
 女性はスレンダーな体型で目が大きく、マスク越しでもきれいな鼻筋と細面がわかり、土屋アンナが60代になったら、こうなるんだなと納得してしまう容姿でした。

 お孫さんが「御婆ちゃん、声が大きいよ(お孫さんは極めてマトモ)」と注意したら「御免、御免、御婆ちゃん、●●●ちゃんとお出掛けできるが嬉しくて、興奮しているのよ(これはキレイな標準語)」

となって、一気に会話が大人しくなりましたが、とにかく楽しく、そして懐かしい数十分間でした。

 ライド・オン・タンクスでは、ざっくりと戦車帽全般について書きましたが1920~1940年代の戦車帽は、極初期のブジョノフカ型(1920年型?)、1931年型、1934年型、1936年型、1941年型の五種類がありました。

 ソ連邦が建国して間もない頃の労農赤軍の戦車兵は「シェルム(ヘルメット、保護帽)」と呼ばれるブジョノフカ型の革製戦車帽を使っていました。下の写真の向かって右側は士官用の黒色、左は下士官・兵士用のカーキ色の戦車帽で、どちらも正面に赤星が付いています。
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 黎明期の労農赤軍らしいスタイルですが、本来の目的である頭部の保護には有効でなかったようで、1931年に緩衝用パッドを十文字配置した新しい戦車帽に切り替わります。この1931年型戦車帽は写真が極めて少ない珍品です。
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 実際に使ってみると1931年型戦車帽でも頭部の保護に不十分だったようで、1934年に緩衝用パッドのレイアウトを全面的に見直した戦車帽が登場します。
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 中央部と側面に各三本の緩衝用パッドが付いた1934年型戦車帽はイヤホンの装着ができないだけで、戦後まで続くソ連戦車帽の基本的なスタイルを既に確立しています。1936年型が登場した後も無線機を搭載していない軽戦車の戦車兵は、1934年型戦車帽を使い続けたため、情報が少なかった冷戦時代には「軽戦車用の戦車帽では?」と推測する西側の研究者もいました。

(続)



*戦車帽以外の軍装についてはアーマーモデリング誌2020年9月号を読んでください。


 今月号のアーマーモデリング誌のライド・オン・タンクスでソ連戦車兵の軍装について解説しましたが、当然のことながら文字数に限りがあったので補足です。軍装全般については敢えて書かないので、アーマーモデリング誌を読んでください。

 ソ連戦車兵用の手袋は「コジェヌィエ・ペルチャトキ・ス・クラーギ」、略して「コジェヌィエ・クラーギ(クラーギ手袋)」と呼ばれます。クラーギとは何ぞや?と露和辞書で調べると革製ゲートルとか長手袋の腕周りと書いてあるので、昔から「長い革手袋のことだろう」と漠然と思っていたのですが、今回、記事を書くにあたり、詳しいロシア人に教えてもらいました。
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 「クラーギの語源は、オランダ語のKraag(クラーク)で、もともとは襟という意味だ」「18世紀に甲冑のガントレットが手首に襟が付いたように見えたので、このように呼ばれるようになった」「ガントレットと同じ形だから、この形の手袋のこともコジェヌィエ・クラーギと呼ぶ。つまり、ガントレットグローブのことだ」

 いや~長年の精神的残尿感が解消しましたとも。御存知の方も多いと思いますが、ガントレットは剣道の籠手に相当する西洋甲冑の防具です。
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 言われてみれば、コジェヌィエ・クラーギは、バイク用のガントレットグローブと形状が同じですね。いつも身近に見ていたのに全然、繋がらなかったです。

 

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