GUMKA工房記

模型の企画・設計とロシアのレッドアイアンモデルズの代理店をやっている「GUMKAミニチュア」の備忘録を兼ねたブログです。雨が降ると電車が止まるJR武蔵野線の新松戸と南流山駅の中間辺りに事務所はあります。近所に素材や塗料が揃う模型店がありません。最近、昔からやっている本屋が閉店しました。

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前回の続きです。岡田さんが御厚意で、私物のローランド社製「モデラ」を使い、
部品をプラ板から切り出してくれたので、さっそく、それを組みます。

車体はシャシー部と車体上部で分割しました。
一品物のスクラッチビルドと異なり、レジンキットの原型の場合、樹脂注型のために、
部品の肉厚の確保や変形防止の桁を考慮せねばなりません。
特に肉厚の確保作業は、プラ板を張ったり、エポキシパテを盛ったりと、意外と時間がかかります。

ざっと組んで感じたのは、とにかく「でかい」ということ。
もちろん、最初の形状検討の段階で、それはわかっていたのですが、
サイズ的には、ドイツのパンターやケーニッヒス・ティーガーとほぼ同じです。
いくら側面装甲が35mmしかないとは言え、本当に自重37トンに収まったのでしょうか?

また五式中戦車のキット内容が、ほぼ決まりましたのでお知らせします。
商品名と品番は暫定ではありますが「五式中戦車(V-05)」で、
今回も足廻りにはインジェクション成型品を採用します。

* 《レジン》 車体本体(シャシー&車体上部)、砲塔本体
* 《ホワイト・メタル》 起動輪、誘導輪、機銃、工具など
* 《エッチング》 フェンダー、排気管カバーなど
* 《インジェクションパーツ》 履帯、転輪、上部支持転輪

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まずは基本形状の決定から。数少ない実車写真や図面を参考にして、
CADで基本図を作成し、画面上で展開図に分解します。

今回はプラ板の切り出しに、ローランド社製の「モデラ」を使用します。
この機械、私が持っているのではなく、戦車模型設計者の岡田さんの私物です。
皆様に支えられての開発です。もちろん、いきなりプラ板を切り出すのではなく、
まずはケント紙でテストです。

プリンターでケント紙に展開図を印刷しカッターで切り出します。
それをテープでペッペッと組んで、木型ならぬ紙製の形状検討模型が完成します。
ここからが一番、大事な作業です。
実車写真と照らし合わせながら、スタッフ三名で意見を出し合いながら形状をチェックします。
「高さが、おかしいね」とか「この傾斜角度では、こうは写らない」などと、
気になる点を出し合って、やって修正点を明確にします。

それを基にデータ修正をして、再度、ケント紙を切り出し、納得いく形状が確定できたら、
「モデラ」を使ってのプラ板の切り出しです。切り出したプラ板を組むのは人間の作業です。
まずは砲塔から始めます。ここからの作業は、普通のスクラッチビルドと変わりません。
砲塔は、とにかく大きいです。これだけで、軽戦車の車体くらいあります。
組み上げて、ケント紙製の車体に載せてみました。

写真ではケント紙製の車体に謎の模様が入っていますが
「実は形状検討には欠かせない、特殊な模様」ではなく、
単にその辺にあった用済みケント紙を使ったからで、深い意味は全然ありません。
車体はキングタイガーと遜色ないサイズです。

五式戦車の実車写真を見ると砲塔を後ろに回すと砲塔右部が車体からはみ出します。
これはターレットリングの中心が、砲塔の中心線上にないためです。
もちろん、それも再現します。

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 五式中戦車は昭和18年(1943年)から開発された帝国陸軍最後の戦車です。それまでの歩兵支援目的の戦車ではなく、三式、四式中戦車と同様に対戦車戦闘を主眼としており、試作車は主武装として砲塔に75mm砲、車体前面に副砲として37mm砲を装備していました。

 重量は九七式中戦車の2両分に相当する37トンで中戦車としては最も重い車重でした。これだけの重量を動かす戦車用エンジンがなかったため、航空機用のガソリンエンジンを車載用に改修して使用しました。1両の試作車が製作されましたが、未完成のまま終戦を迎えました。米軍に捕獲されたときは砲塔に武装がない状態でしたが、これは主砲を四式中戦車の試作車に転用していたからです。

 捕獲された試作車の末路については定かではなく、輸送途中の船が台風に遭遇したため、やむなく、海中投棄されたという説やアメリカ本土に運ばれ、調査されたという説もあります。

 意外にも、日本戦車が好きという人でも、五式中戦車だけは例外という人は多いようで「実戦に出てないばかりか、完成もしてない」のが主な理由のようです。

 こうした背景もあってか、将来のリリース予定として、五式中戦車の名前を挙げたところ、「未完成の戦車より、ちゃんと実戦に出た車両を模型化して欲しい」との声が多くありました。確かに、一理ある意見です。

 我々としては、八九式中戦車をキット化したので「この古めかしい戦車が、最後は、ああなるのか」という思いから、形にしたいという意識がありました。

 また、マウスやE100、E25、E10などのドイツの計画戦車はプラモデルがあり、レジンキットでは、E50やE75などもあり、連合軍物では大戦末期のT28突撃砲やトータスなどもあるので、日本のレジンメーカーが五式を出すのは「有り」ではないか?と考えたのです。
さらに、現状の資料だけでは、プラモデルメーカーが、五式を出すのは不可能ですから、
これは、レジンメーカーが対応すべきアイテムでないでしょうか。

 五式中戦車では、これまでにない原型の製作方法を採用しました。それは、ローラント社の「モデラ」を使ってのプラ板の切り出しです。これは以前、アーマーモデリング誌で、自衛隊の装軌式多連装ロケットランチャーをスクラッチされた方が、部品の切り出しにモデラを使っていたのがヒントになっています。

 スクラッチビルドをやっていて、意外に気を使うのが、左右で同じ大きさのプラ板を切り出す作業です。うまく、切ったつもりでも、合わせてみると「あれ?」という経験、誰にでもあると思います。

 今回はモデラでプラ板切り出して、それを組む作業と細部工作を原型師の手で行う方法を採用しました。まずは砲塔の形状出し作業が終了しましたが、満足いく成果になったと思います。今回はプラ板切り出しだけですが、使えるようであれば、将来的にはサイコウッドの削り出しなどにも使用したいです。

 出来上がったシート&テールカウルをフレームに載せて、タンクとのバランスを確認します。空前のバイクブームだった1980年代には、タミヤやバンダイ、アオシマ、グンゼ産業などから続々とバイクのプラモデルが発売されたし、モデル化されていないバイクをスクラッチしたり、他の型へ改造するモデラーが私の周囲にも沢山いました。

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 やがて、メーカーからの新製品が減ると彼らも違うジャンルに鞍替えしたり、完成品を買うコレクターになったり、模型を止めたりと様々でしたが、その頃の、みんなの作品を思い出してみると、タンク、シート、エンジン、ホイールの各バランスが完成度に大きく影響しており、すぐに思い出せる傑作は、いずれも、このバランスが良いのです。

 微妙な曲面で構成されるバイクの場合、実車の寸法どおりに部品を製作しても、組んでみたら、なんとなく変というケースが間々あり、これを手際良く、うまくまとめるのが、熟達技術者のセンスと技量です。私は到底、そのレベルに到達していないので、このマッハの原型を眺めつつ、もっと勉強せなければイカンと痛感する次第です。


 そろそろ10年経つから、この話を書いても良いでしょう。模型店時代の御客さんにロレックスの贋作職人がいました。昔、夜のJR駅前とかでイスラエル人露店商が売っていたチープなパチモンではなく高級時計店や骨董店のガラスケースに鎮座坐しているアンティーク・ロレックスの贋作です。

 あるとき、下町のインテリ風の風貌の東洋系外国人がイギリス製模型用塗料ハンブロールやセーブルの極細面相筆を買いに来ました。

「あなたの店は、ハンブロールを置いているから気に入りました」

 日本語が堪能で、その後も何回か買い物に来ましたが買う商品はいつも同じでした。面相筆は在庫の毛先を全て確認後、5本から10本程度をまとめ買いし、ハンブロールの塗料はホワイト、レザー、グレーなど決まった色しか買わないのでモデラーではないと思っていましたが、やがて身の上話をするようになりました。

 彼は香港人で日本に語学留学し、そのまま広東語と英語の通訳として日本で働いていました。実家は祖父の代からの機械式腕時計職人で、祖父は戦前にイギリスで腕時計の分解整備技術を学び香港に戻ってから腕時計修理店を開業する一方で多くの弟子たちにその技術を伝授したそうです。彼の父も時計職人で、その途を極めようとしたものの、祖父の域には及ばず諦めて時計販売店を開業したところ大成しました。

 彼自身も8才から父と祖父から技術を学び、高校生の頃には大抵の機械式腕時計をOHできたそうです。あるとき、ちょっと特殊な塗装について相談され、話しているうちに、ある腕時計の文字盤のリダン(書き直し)だと気付いたので、それを尋ねると仕方ないなという顔をして笑いながら

「実は父の代からアンティーク・ロレックスを作っています」

 よくよく話を聞くと彼ら親子二代の贋作作りには単に金儲けだけが目的ではない、奇妙な誇りと哲学と良心がありました。まず本物をヨーロッパから購入し、分解して歯車のサイズや材質、ケースや削り出し部品にある旋盤跡のパターン、組み立て時に職人が書き込むマーキング、刻印を全てマクロ撮影と手書き写生し、お手本となった本物は再組み立てして整備後、「OH済みアンティーク・ロレックス」として店に並べます。あとは同時代の腕時計を分解し部品を集めて加工し、ない部品は専門業者に製作を依頼します。

 部品の完全再現のために業者には、戦前の時計旋盤を与えて当時と同じ製法で作らせ、職人が組み立て時に鉛筆で書くマーキングを再現するために、1930年代から50年代までの各時代の鉛筆をストックしてあるという徹底ぶり。現代の鉛筆は書き易くする成分を添加しているので、知識のある人には見破られるので使用はNGとのこと。

 ポイントは本物と同じ品質ではなく、必ずより良質かつ高精度にすること。なにせ真鍮部品は狂いを嫌って、新しい真鍮材は絶対に使わず、自店の奧で3年以上寝かせた材料を業者に提供するという念の入れようです。時計が長持ちすれば買った人は「良い買い物をした」と満足するし、万一、真贋鑑定で他の職人に分解された場合ても、これだけ手間の掛かる高品質の部品を使っているなら本物だろうと判断されるからとのこと。

 真偽は不明ですが、彼の父親の傑作品は海外の著名な時計研究家も本物だと信じ、その著書に写真が掲載されているばかりかヨーロッパの高級時計店の店頭に長らく展示されていました。

 後日、彼の作品を見せてもらったが見事な仕上げでした。ちょっとくすんだ色合いの文字盤、音まで同じと豪語するムーブメント、適度に傷があり、使い込んだ感じながら、決してボロい感じのしないケース、私レベルでは、どう見ても本物にしか見えません。もちろん誰に売るのか、などという野暮は聞きません。

「偽物じゃないです。良き時代のヨーロッパの技術の復刻です」

 贋作屋の詭弁、言い逃れと言われればそれまでですが、胸を張って言われると「ああ、そうかも」と納得してしまう立派な製品でした。


 自宅兼工房の住所は松戸市の端っこで、すぐ隣が流山市です。地図で見ると、1943年夏のクルスクの突出部みたいに流山市に突き出た松戸領。万一、松戸と流山で戦争になったら、きっと挟撃・包囲されて孤立でしょう。そうなったら、松戸市は物資を空中投下してくれるかな?(不要な妄想)

 目の前と横は畑で、自宅敷地に5台分の駐車スペース有り。以前は住宅建設会社の事務所兼自宅だったので、念願の広めの工作室も確保できました。最寄り駅までは不動産屋の話では徒歩11分ですが、もちろん、絶対に11分では着きません。

ちなみに周辺環境は

* 緑や自然が豊かです(←物は言いよう)
* 近所の公園がどこまで公園敷地なのかわかりません(←都会では、まずない光景)
* 夜になると謎の四つ足動物が近所の畑に出現するそうです(←狸?ハクビシン?)
* 道幅が広く並木道になっています(←開発が遅れた証拠)
* 工場みたいに巨大な某自動車ディーラーがあります(←土地が余っている証拠)
* 近所に石窯焼きのパン屋が2軒もあります(←煙出し放題でも平気な環境)
* 全然、おいしくないケーキ屋が商売できています(←まともな店が来たら一撃必殺)
* すぐ近所にはコンビニがありません(←車で流山街道まで出ればあるけど)

お気づきのとおり、田舎と言っていい環境ですね。引っ越しが今から頭イタイです。

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