GUMKA工房記

模型の企画・設計と資料同人誌の販売をやっている「GUMKAミニチュア」の備忘録を兼ねたブログです。雨が降ると電車が止まるJR武蔵野線の新松戸と南流山駅の中間辺りに事務所はあります。近所に素材や塗料が揃う模型店がありません。最近、昔からやっている本屋が閉店しました。

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 私がやっていた模型店時代のHPを読んでいた方は御存知でしょうが、中西さんという変な友人がおりまして。身長を含めて、外見は元ヤクルトの古田選手似な几帳面な性格で、あだ名は見た目そのまんまの「のびた君」

 昔は毎年、沖縄や奄美諸島に採集旅行に行っていたほどの昆虫採集マニアでしたが結婚して止め、今は1/43欧州レジンカーを作りまくっています。そのあまりに几帳面な性格に起因する伝説を沢山持っている愛すべき人物ですが、今回また新たな伝説が。

 新年早々、中西夫婦連名で宅配便が届きました。年末に「ほんの気持ちだけど、引越しのお祝いを送るから」との電話があったので、すぐに開けてみるとセンスの良いペーパーナイフ、革製キーホルダーや北欧製の調味料入れセットが。

 N氏の奥さんは旅行会社に勤務しており、添乗員として各地を巡っているので、こういう物のセレクトは見事で、どれも嬉しい品物でした。ふと箱の底を見ると大きめな茶封筒があり、中には1冊の本が。タイトルは「増補版 世界のザリガニ飼育図鑑」「なぜに?ザリガニ??」

 御礼の電話がてら、ザリガニ本を送った意図を尋ねると「昔、フィンランドに行ったら、現地でザリガニの解禁シーズンだったけど、やたら値段が高くて、あんなモンに高い金を払うフィンランド人の気が知れないとか言ってたでしょう?」

 確かに言いました。2004年にドイツ軍の8,8cm対空砲の取材で8月末にフィンランドに行ったら、丁度、ザリガニの解禁のシーズンだったようで、スーパーや市場で沢山売られていました。日本の松茸や中国の上海蟹同様、ザリガニはフィンランド人にとって季節の高級食材で、スーパーで一尾600~1,000円、レストランで食おうものなら一尾1,500~2,000円ほど請求されます。
 子供の頃、スルメの足やら塩鮭の皮で、アメリカザリガニをワンサカ釣った私にとっては「なんで?」もちろん食べてはいません。だってザリガニですよ、ザリガニ。

「話を聞いて気になって調べてみたんだけど、彼らが食べているのは、ターキッシュ・クレイフィッシュっていう冷水系ザリガニで、日本にいるアメリカザリガニとは根本的に種類が違うんだよ」

「北欧では天然物は厳しく保護されていて、養殖が行われていたりロシアや東欧から輸入もしているんだよ。んで、その本に本物の写真や詳しい生体が載っているから、きっと喜んでもらえると思って贈ったんだよ。これで長年の謎が解けたでしょう?」

 まあ、生き物は好きだし、キレイな写真満載なので、おもしろい本だとは思いますが、ザリガニの種類が違うとかいう話は電話やメールで済むんじゃないかい?

一昨年の夏、定休日に野暮用で店に行った。急ぎという用件でもなかったのに、どうして、わざわざ出掛けたのか自分でも、よくわからない。思えば虫の知らせだったのかもしれない。

帰ろうとしたら電話が鳴った。奥さんから買い物の依頼かな?と思い、出てみるとちょっとパニック気味の声で
「ターさん、ターさんのお店がないよ、今、前にいるけど、お店ないよ」

私をターさんと呼ぶのは、シンちゃんしかいない。昨年、譲渡した店は10年前に一度移転したのだが、シンちゃんは知らないだろう。旧店舗と新店舗は5分と離れていないので、すぐ迎えに行った。柴犬の子犬が人間になったような顔のシンちゃんが立っていた。ちょっと太り、頭に白いものが増えていたが、顔はそのままだった。

「ターさん、マー兄(まーにい)のお店ないよ。俺、マー兄のお店、行ったけど、マンションになっていたよ。マー兄、どこ行ったか、わからないからターさんのところ来たら、ターさんのお店もないから哀しかったよ」

シンちゃんは社会生活は、なんとかできるものの、ちょっと知恵遅れだ。マー兄とは、このブログ「友人の死」で書いた他界したM氏のこと。

まだ旧店舗の頃、M氏はシンちゃんを連れて何度か店に来た。約20年前の話だ。シンちゃんは車が大好きだが、学科試験が通らないので免許は持っていない。だから、代わりに車のプラモデルを買っていた。
「名字の頭をとって、こいつは模型屋のターさんだ」M氏はそう言って、私を紹介した。

シンちゃんは母一人、子一人の母子家庭で、M氏より年下ながら家が近所だったので、子供の頃から、みんなと一緒に山や川で遊んでいたそうだ。小学4年生の頃、学校側から特殊学級(今でいう養護教室)への転入を勧められたが、母親は普通学級での授業を強く望み、市民団体まで引っ張り出して騒いだため、そのまま中学生まで普通学級に通えた。ただ本人は小学3年生程度の学力しかないので、かなり苦労していたらしい。

中学卒業後、近所の工場に就職したが、シンちゃんが21才のとき母親はシンちゃんを勝手に保証人に仕立て、多額の借金をし男と蒸発した。シンちゃんは借金を背負わされて、母親に捨てられたのだ。住んでたアパートはもちろん、職場にも借金取りが来るようになった。今と違って、規制する法律などなかったので、取り立ては容赦なかった。やがて、シンちゃんは職場をクビになった。収入がなくなっても取り立ての厳しさは変わらない。

シンちゃんに元本やら利息やらは理解できるわけがなく、相手の言うままに、お金を払った。それをいいことに、昼夜を問わず取り立ては続き、怒声がアパートに響いた。それでも、シンちゃんはアパートに居続けた。

「お母さん、戻ってくるから」

取り立てが目に余るようになった頃、大家がM氏に相談し彼は動いた。
シンちゃんを父親の経営する運送会社の寮に移し、法的手続きを会社の弁護士に依頼。
すぐに借金取りは来なくなった。シンちゃんは、そのまま雇われた。

この辺りまでの話が、生前のM氏自身の口から聞いた話である。

(続く)

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昨年、香港に出張中、某模型メーカーの人々が晩飯を御馳走してくれるというので、車で九龍半島郊外の新興住宅地である沙田(シャティン)へ。

沢山の高層団地が立つ街並みに忽然と現れたのは、まばゆいばかりの光。なんじゃ、あれは?香港のラブホか?とか思っていたら、目的地の海鮮料理店「明星海鮮舫」でした。

街の中心を流れる河に突き出るように位置するので船が停泊しているようにも見える立派な建物。ゴージャスと悪趣味の境界線です。

中に入ると1階は海鮮料理店の御約束で沢山の水槽。ここから好きな材料を選んで調理してもらい、2階・3階の客席で食べる香港の海鮮レストランではお約束なシステム。

様々なサイズの海老やカニ、シャコ、イカ、アワビなどの中華料理には欠かせぬ食材から寿司ネタでもお馴染みの穴子やバカ貝、ミル貝、ウニ、サザエ、さらに日本では水族館にいるカブトガニ、綺麗な模様のハタ、変な形のカニ、エイ、小さなサメに加えて、ヒトデ、大きなフジツボ、気味悪いくらい大きなミドリガメなど。全て値札が付いているので、ここでは食材です。

「この大きいミドリガメとか、どうやって食べるの?」

と引率の香港人に尋ねると

「香草と一緒に蒸して、甲羅から外れた肉を炒めたり、揚げたりします。他にも何日間かきれいな流水の中で餌断ちをして、泥臭さを抜いて血抜きしてから野菜や生姜、香草などと鍋で煮れば、おいしいスープになりますよ。注文します?」

まさかご冗談を。

もちろん、炒麺や炒飯など通常のメニューもあります。客席は大きな結婚式もできる広さでした。

料理は、安くておいしゅうございました。もちろん、当たり前の食材しか選んでませんけど。

 世の中の大概の男は揚げ物が好きですが、もちろん私も例外ではありません。コロッケやトンカツ、カキフライなど数ある揚げ物の中でもエビフライ、それも大きいヤツが好き。レストランでビッグとかジャンボとか付いたエビフライのメニューがあると、ついつい注文します。もちろん、大半はスーパーで売っている冷凍食品よりは大きい程度で、「ああ、そう。ビッグね、うんうん」で終わりですが、たまに「タイトルに偽りなし」もあります。

 最初に巨大エビフライを食べたのは25年以上前で、東名高速道の静岡インター近辺にあった店。ツーリングの途中で偶然に入ったレストランで店名を覚えていないのですが、店内には、そこで食事中の中曽根総理大臣(当時)の写真が飾ってありました。エビフライの長さは25~28cmくらいあり、それまで見たことがない大きさでした。その後、模型店を始めてから、毎年5月に静岡ホビーショーがあるので、行く度に、地元の人に尋ねましたが誰も知りません。どうも、かなり前に閉店したようです。

 次は、まだ市川市に住んでいた頃、近所にオープンしたトンカツ屋。店名は失念しましたが、メニューに「ジャンボ・エビフライ定食」があり、幻の静岡の店と同程度のエビフライが食べられました。残念ながら街道沿いにファミレスが乱立したら、あっさり閉店。

 時は流れて2006年11月、ライラック・オートバイのミーティングを見学すべく、浜名湖に行った際、友人から「絶対に食え」と教えられたのが、静岡県浜松市三ヶ日町にある「お食事処 磯の串」の「スーパージャンボ・海老フライ定食」


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 コロモで誤魔化しなど一切ない30cm強のエビフライ2本とイカリング・フライ2個、それに刺身やモズク酢、みそ汁などが付いた盛り沢山な内容で(写真上参照)。しかも、おいしく、台湾から来た同行のH3氏と大喜び。

 *この記事の「お食事処 磯の串」は閉店しました。

 いろんな人に磯の串の話をしていると地元千葉県にも有名な店があるという情報が。それが千葉県佐倉市の「幸(さち)食堂」です。大盛りの店として、幾度か雑誌やTVでも取り上げられた有名店で、家内と一緒にサラリーマンの昼休みを外して行ったのに店の外には長い行列が。しばし待って店内に。メニューの名前は「ウルトラジャンボ・エビフライ定食」で、お皿からはみ出している二本のエビフライ全長は約40cmと35cm(頭部込みで)。付け合わせのキャベツの千切りや御飯も大盛り(写真下参照)。画面左に写っている刺身は家内の注文した刺身定食です。


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 肝心のエビフライは大きいから大味かと思いきや、そんなことはなく、ほのかな甘味が身にあり使っている油のせいなのか、ほとんどもたれず。結局、家内に0.5本くらいを分けて、なんとか食べられました。

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シュトゥルマンスキー・クロノグラフは、ソ連空軍や国営航空会社の御用達で文字盤のデザインを変えながら現在も生産継続しており、西側諸国にも大勢のファンがいます。私のシュトゥルマンスキーはソ連時代に、模型の実車取材でモスクワに行った際、市内の時計店で購入しました。

動かないとか時間が遅れるなどの問題はなかったのですが、

ソ連末期や体制崩壊直後のシュトゥルマンスキーには部品の材質や、
組み立てに難有りの物もあるから、一度、オーバーホール(OH)したほうが良い」

ロシアの航空会社アエロフロートに務める友人からアドバイスされ彼経由で、2007年に製造元である時計会社「パリョート」にOHを依頼しました。

「きっと半年以上、音信不通だろうな」と予想したのですが、意外にも約三ヶ月程で作業完了し、自宅に直送された書留小包を開けたら、ちゃんと診断書、六ヶ月間の修理保証書、さらにカラー印刷の製品カタログまで付いていました。私が今まで経験してきたロシアのサービスとは雲泥の差です。

診断書は、達筆過ぎるキリル文字の手書きのため、全く判読不能。仕方ないので、スキャンしてメールに添付ファイルで送り、ロシア人の友人に読んでもらいました。

「シュトゥルマンスキーが搭載するCal.3133はパリョートが誇る優秀なムーブメントです。貴方のムーブメントは機械的には全く問題がありません。通常作業であるパッキンなどの消耗部品の交換と注油・調整をしました」 

さっそく各部をチャックしてみると確かに竜頭が軽くなっており、ストップウォッチのボタンの操作感も良くなっていました。ソ連時代は、修理やOHを頼んでも、すごく時間が掛かったりきちんと直っていなかったりという事が間々あったそうですがロシア社会の変化を感じました。


 個人蔵のAFV(模型じゃなくて、実物の)コレクションとしては世界でも有数な規模を誇る「リトルフィールド・コレクション」のオーナー、リトルフィールド氏が癌で亡くなられたそうです。

 サンフランシスコ郊外の山中に建設された展示ルームに収蔵された膨大なコレクションがどうなるかは、現時点ではもちろん不明ですが、氏のご冥福を心よりお祈りいたします。

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