GUMKA工房記

武蔵野線新松戸~南流山の中間辺りにあるGUMKAミニチュアの備忘録を兼ねたブログです。


そろそろ10年経つから、この話を書いても良いでしょう。

模型店時代の御客さんにロレックスの贋作職人がいました。

昔、夜のJR駅前とかでイスラエル人露店商が売っていた
チープなパチモンではなく高級時計店や骨董店のガラスケースに
鎮座坐しているアンティーク・ロレックスの贋作です。

あるとき、下町のインテリ風の風貌の東洋系外国人が、
イギリス製模型用塗料ハンブロールや
セーブルの極細面相筆を買いに来ました。

「あなたの店は、ハンブロールを置いているから気に入りました」

日本語が堪能で、その後も何回か買い物に来ましたが、
買う商品はいつも同じでした。

面相筆は在庫の毛先を全て確認後、5本から10本程度をまとめ買いし、
ハンブロールの塗料はホワイト、レザー、グレーなど
決まった色しか買わないのでモデラーではないと思っていましたが、
やがて身の上話をするようになりました。

彼は香港人で日本に語学留学し、
そのまま広東語と英語の通訳として日本で働いていました。

実家は祖父の代からの機械式腕時計職人で、
祖父は戦前にイギリスで腕時計の分解整備技術を学び、
香港に戻ってから腕時計修理店を開業する一方で、
多くの弟子たちにその技術を伝授したそうです。

彼の父も時計職人で、その途を極めようとしたものの、
祖父の域には及ばず諦めて時計販売店を開業したところ大成しました。

彼自身も8才から父と祖父から技術を学び、
高校生の頃には大抵の機械式腕時計をOHできたそうです。

あるとき、ちょっと特殊な塗装方法について相談され、
話しているうちに、ある古い腕時計の文字盤のリダン(書き直し)
だと気付いたので、それを尋ねると、仕方ないなという顔をして笑いながら

「実は父の代からアンティーク・ロレックスを作っています」

よくよく話を聞くと彼ら親子二代の贋作作りには、
単に金儲けだけが目的ではない、奇妙な誇りと哲学と良心がありました。

まず本物をヨーロッパから購入し、分解して歯車のサイズや材質、
ケースや削り出し部品にある旋盤跡のパターン、
組み立て時に職人が書き込むマーキング、
刻印を全てマクロ撮影と手書き写生し、
お手本となった本物は再組み立てして整備後、
「OH済みアンティーク・ロレックス」として店に並べます。

あとは同時代の腕時計を分解し部品を集めて加工し、
ない部品は専門業者に製作を依頼します。

部品の完全再現のために業者には、戦前の時計旋盤を与えて
当時と同じ製法で作らせ、職人が組み立て時に鉛筆で書く
マーキングを再現するために、1930年代から50年代までの
各時代の鉛筆をストックしてあるという徹底ぶりです。

現代の鉛筆は書き易くする成分を添加しているので
ある処理をして顕微鏡で拡大されると、
容易に見破られるので、使用はNGとのこと。

ポイントは本物と同じ品質ではなく、必ずより良質かつ高精度にすること。
なにせ真鍮部品は狂いを嫌って、新しい真鍮材は絶対に使わず、
自店の奧で3年以上寝かせた材料を業者に提供するという念の入れようです。

時計が長持ちすれば買った人は「良い買い物をした」と満足するし、
万一、真贋鑑定で他の職人に分解された場合ても、
これだけ手間の掛かる高品質の部品を使っているなら本物だろう、
と判断されるからとのこと。

真偽は不明ですが、彼の父親の傑作品は、
海外の著名な時計研究家も本物だと信じ、
彼の著書に写真が掲載されているばかりか
ヨーロッパの高級時計店の店頭に長らく展示されていました。

後日、彼の作品を見せてもらったが見事な仕上げでした。
ちょっとくすんだ色合いの文字盤、音まで同じと豪語するムーブメント、
適度に傷があり、使い込んだ感じながら、決してボロい感じのしないケース、
私レベルでは、どう見ても本物にしか見えません。

もちろん誰に売るのか、などという野暮は聞きません。

「偽物じゃないです。良き時代のヨーロッパの技術の復刻です」

贋作屋の詭弁、言い逃れと言われればそれまでですが、
胸を張って言われると「ああ、そうかも」と納得する立派な製品でした。


 自宅兼工房の住所は松戸市の端っこで、すぐ隣が流山市です。地図で見ると、1943年夏のクルスクの突出部みたいに流山市に突き出た松戸領。万一、松戸と流山で戦争になったら、きっと挟撃・包囲されて孤立でしょう。そうなったら、松戸市は物資を空中投下してくれるかな?(不要な妄想)

 目の前と横は畑で、自宅敷地に5台分の駐車スペース有り。以前は住宅建設会社の事務所兼自宅だったので、念願の広めの工作室も確保できました。最寄り駅までは不動産屋の話では徒歩11分ですが、もちろん、絶対に11分では着きません。

ちなみに周辺環境は

* 緑や自然が豊かです(←物は言いよう)
* 近所の公園がどこまで公園敷地なのかわかりません(←都会では、まずない光景)
* 夜になると謎の四つ足動物が近所の畑に出現するそうです(←狸?ハクビシン?)
* 道幅が広く並木道になっています(←開発が遅れた証拠)
* 工場みたいに巨大な某自動車ディーラーがあります(←土地が余っている証拠)
* 近所に石窯焼きのパン屋が2軒もあります(←煙出し放題でも平気な環境)
* 全然、おいしくないケーキ屋が商売できています(←まともな店が来たら一撃必殺)
* すぐ近所にはコンビニがありません(←車で流山街道まで出ればあるけど)

お気づきのとおり、田舎と言っていい環境ですね。引っ越しが今から頭イタイです。

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前回の続きです。

シートベースに表皮パターンを刻んだプラ板を貼りましたが、
その周囲をエポパテで埋めます。
使ったエポパテは「Duro(デューロ)」の製品です。
もともとはナポレオンやらローマ帝国の兵士などの歴史フィギュアを
自作・改造する欧州のフィギュア・モデラーの御用達でしたが、
現在は日本にも代理店があり、模型専門店などで入手可能です。
国産のエポパテと比べて、キメが細かく、柔らかいので、加工が容易です。

ある程度、形になったらサーフェイサーを塗って、
全体の様子を見ます。H2のシートは、
前の部分がちょっと上がっており、
それがカッコいいので再現してみました。

最初に製作したシートと比べて、テールカウルの形状や、
シートの表皮パターンの違いなどがわかると思います。

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一番上の写真のように750SSの中でも、
H2とH2Aのシート表皮には、 碁盤目のようなパターンがあります。
前回、シートを作ったときは、凹線で再現しましたが、
立体感が今一つだったので没にしました。

どうすれば、実物のような碁盤目の表皮パターンを再現できるのか?
ない知恵を絞って、いろいろと考えましたが、
結局、オーソドックスな方法でいくことにしました。

まず、基本のシートベースの表面をざっくりと削り、
そこに細く切ったプラ版を貼って、その表面に半丸ヤスリで、
均等に溝を掘り、パターンを成形していきます。

一つ出来たら、隣にまた細切りプラ版を貼って、
同じ作業を繰り返し、合計5枚を貼りました。
手前味噌ではありますが、なんとかそれらしく、
パターンができました。

この後、さらに形を整えてから、シートの全体形を整える作業に進みます。
(続く)

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シートとテールカウルは、位置決めがし易いように一体成型のパーツにしました。
一次原型のシート長が長かったので、まずはカットします。
幅も僅かに足りないのでパテ盛りしました。

テールカウルも、後方への絞り込みが強いかったので、
ここもパテ盛り。その後、削って成型していきます。

とりあえず形にしましたが、完全に失敗。
テールカウルはともかく、シートは形状、表皮のパターンが今一つなので、
再度、作り直しです。まだまだ、未熟者だなと反省しきりです。


 千葉県市川市で25年間、ロシアや東欧の模型や書籍を中心に扱う、ちょっと変わった模型店を経営しつつ、軍用車輌や戦車のレジンキットを開発・販売したり、香港など国内外のプラモデル会社向けの設計開発の仕事を貧乏暇なしでやってきました。

 転機が訪れたのは今年9月のこと。

 隣の松戸市に家内の両親が住んでおり、少し前から義母が、義父の世話や食事の苦労を口にするようになっていました。義父は心臓疾患と糖尿病の長患いで、厳しい食事制限があります。その面倒を見る義母も3年前に癌の手術をして経過観察中でした。

 前々から家内とも近所へ引っ越して、食事や家事を手伝ってあげようかと漠然と話していたのですが、同月下旬に義母が再発し入院となりしました。こうなると、悠長なことを言っている場合でありません。義父の世話をする人がいないので、一時入院してもらい、以後、目まぐるしいばかりの急展開で、自宅の引っ越しと店舗譲渡を決めました。

 店は松戸から通勤しながらの継続も考えましたが、それでは不測の事態に対応できない上に、これまでの仕事に加えて、二人の看病介護をこなすことは、私も家内も年齢的・体力的に無理だと判断しました。もちろん、店舗経営で思い残すことや悔いがないと言えば嘘になります。

 ただ人生は思い通りにならないもんです。まあ、引っ越し先では広い工房を確保できたし、看病介護といってもベッドの脇に24時間、詰めているわけではないので、以前からの夢だったレジンキットやメタルキットの開発・販売に勤しむつもりです。夢が実現できるのだから、視点を変えれば幸せなのでしょう。

 個人的にも、ここ5年くらいは働き過ぎだったので、ちょっと、ゆっくりもしたいし。客観的かつ適切な意見をくれた担当医の先生、助言やアドバイスをくれた古くからの友人たち、お店を引き受けてくれた後継者の方、店舗譲渡発表後に気遣いや励ましの声を掛けてくださった御客様、全員に感謝をしています。

どうか今後とも、よろしく御願い申し上げます。

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