GUMKA工房記

武蔵野線新松戸~南流山の中間辺りにあるGUMKAミニチュアの備忘録を兼ねたブログです。


 もう11年前の話ですが50歳になって禁煙をしたら、あらゆる食べ物がそれまでより美味しくなり、僅か2年ばかりで体重がかなり増えました。
 当時、大学生だった次女に誘われて、お手頃価格のスポーツジムに通いましたが、次女は学校やバイトが忙しくなり1年足らずで退会。仕事で籠りがちの私は、いい気分転換になるので3年ほど通いました。

 1年も経つ頃には顔見知りも増え、挨拶したり世間話をする人もできました。その中の一人が県内のK市で飲食店を経営する同年代のAさんでした。ハーフのような彫の深い顔立ちで、決して太っていなかったのですが、本人曰く仕事柄、食事が不規則だし、カウンター席に座る常連客から「せっかくだからマスターも一緒に」と勧められたり「盛り合わせを注文したいけど、一人だと食べきれないからマスターも半分、食べてよ」と女性客から請われると、どうしても断れず、気付くと腹回りが増量していたとのことでした。

 Aさんは運動経験があるからか、我流でトレーニングしており、特に背筋を鍛えるトレーニングマシンは「なにも、そこまで」というくらいの回数とスピードでやっており、ジムのトレーナーからも「Aさん、そんなに慌ててやらなくても大丈夫ですよ」「もっとゆっくりで」「そんなに沢山の回数ではなく、10~15回で十分ですよ」と注意されていましたが、おかまいなしでした。
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 あるとき挨拶をした後、Aさんはいつものように背筋のトレーニングマシンへ。私はランニングマシンで走り始めたとき、いきなりジムの中を小さな茶色い動物が、きれいな放物線を描いて滑空していきました。「なんだ?ムササビか?それともモモンガ?」と思ったら、パサっと床に落ちたまま動きません。
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 よく見たら、茶髪のヅラでした。そうとわかった瞬間、ジム全体がフリーズし、トレーナーを含め誰も動けなくなった中、Aさんがトレーニングマシンから降りてきて無言で拾いパチッと再装着すると、何事もなかったかのようにマシンに戻り、背筋運動を再開しました。でも、いつもよりスピードは、かなり遅くて、すぐに更衣室に戻って行きました。この日を最後にAさんをジムで見ることはなくなりました。


 大変に長らくお待たせしました。
新刊資料同人誌「ソ連の最優秀主力戦車T-80Uと派生型」が12月上旬に頒布開始です。
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 T-80BVの改良型として1985年から量産されたT-80Uは、ガスタービンエンジンを搭載し、主砲は125㎜滑腔砲で新型の爆発反応装甲(ERA)のコンタークト5を装着しており、ソ連時代に開発された主力戦車としては、最優秀と称えられました。しかし、ソ連崩壊後は、軍の予算も大幅に縮小され、T-72Bの3倍もの車両価格と燃料消費量が多いガスタービンエンジンは、運用コストが高すぎるとされて、新生ロシア陸軍の標準装備とはなれず、1998年に生産が終了しました。
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 本書は写真を中心にT-80Uを解説する内容で、簡単な開発史、細部や車内を含む実車写真、T-80UK指揮戦車、T-80BVを近代化改修したT-80U-E1、TMT-K/-S地雷処理アタッチメントを紹介しています。

 解説はロシア人研究者で、オスプレイ出版で実車のカラーイラストを手掛けているアンドレイ・アクセーノフ氏で、これまでの国内出版物にはない様々な新情報が盛り込まれており、
写真はアンドレイ・アクセーノフ氏の他にアンドレイ・マールイシェフ氏にも御提供いただきました。判型は前作ズリーニィ本よりも大きなA4サイズで、フルカラー80ページ(表紙を入れると84ページ)収録写真数は120枚以上で写真解説には英文も付きます。

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 頒布価格2500円(本体価格)で一般書店での取り扱いはありません。GUMKA直販サイト、各模型店、同人誌専門店でお求めください。


 先月下旬、近藤正哲さんが急逝されました。近藤さんは、模型クラブKG7の創設時からのメンバーでスクラッチビルドを得意とし、今から50年前、十分な資料や工作材料もなかった時代にエレファントやシュトルムティーガー、I号戦車、オチキスH39、九七式軽装甲車、E100超重戦車などを作り上げ、タミヤニュースや模型雑誌に紹介されました。
 現在、50代以上のモデラーであれば、その作品を覚えている方も多いと思いますし、影響されてスクラッチビルドを始めたという方もおり、私もその一人です。KG7に入ってから近藤さんの御自宅でエレファントや九七式装甲車を見せて頂いたときは、本当に興奮しました。
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 先週の木曜日、呉光雄さん御夫妻、本島治さん、東郷隆さんと御一緒に近藤さんの御自宅に御線香をあげに行きました。昨年、お会いしたときは、すごくお元気な様子だったので、訃報を聞いたときは信じられなかったです。

 以前は渋谷にお住まいでしたが桜新町に引っ越された際、プラモデルの多くは処分したそうですが、今回、御遺族の方が「模型作品」と横書きされた未開封のダンボール箱を出してきてくれ、開けてみたら、写真のエレファント、I号戦車、オチキスH39、九七式軽装甲車が入ってました。一同、驚くやら感動するやらで「この砲塔は、プラ板の積層から削り出したんだよ」「シリコンゴムなんかない時代だから転輪は一個づつ手作りなんだよね」等々、思い出話に花が咲きました。
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 きっと今頃は、あの世で十川さんと模型談義をしていると思います。近藤さん、どうか安らかにお休みください。 


 模型店時代の1990年代後半に国内代理店から仕入れたニュージーランドのタスマンモデルズの1/48 コモンウエルス・ブーメランCA-19です。
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 購入してくれたお客さんのキットがキャノピーとインストが入ってない不良品だったので、店頭の良品と交換し、代理店に連絡したら在庫がないので、次回発注時に手配するから待って欲しいとのことでした。簡易インジェクションキットという性格上、仕方ないよなと思っていたら、オーストラリア空軍機というマイナーなアイテムだけに次回発注がすぐにはなく、やがて、こっちも忘却の彼方へ。

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 気付いたら、そこの会社自体がタスマンモデルズとの代理店契約を解消し、懇意にしてた担当者も退職。いつも不機嫌な新しい担当者に事情を説明すると、そんな話は前任から引き継いでいないし、年月が経っているから返品不可。本来はすぐに返品処理すべきなのに、それをやっていない前任者の怠慢だから自分は無関係。文句があるなら、前任者を探して煮るなり焼くなりしろ等々、取り付く島なし&元同僚をそこまで言うんか?対応で、さすがにムッとしたものの、この担当者は悪い意味で業界の有名人物だったので諦め、不良品キットは自分のコレクションにしました。

 先日、別の探し物をしていて、偶然にこのキットを発見。タスマンモデルズって、まだ営業しているのか?と思って検索したら、ちゃんと事業継続していて、ダメ元でキットの写真を添付し
「これ、インストとキャノピーがないんだけどサポートしてもらえる?」
とメールしたら20分くらいで返信があって
「このブラウンの成型色は極初期生産分で最早コレクターズアイテムです。数百円の送料だけ負担してくれたら、すぐに不足パーツとインスト、あとレジン製エンジンが更新されたので、それも一緒に送ります」

 最初から、こうすれば良かったよ。 最高だよ、タスマンモデル!ということで、さすがに送料だけ負担して送ってもらうのは申し訳ないので、ブーメラン用のカウリングと尾翼のパーツも追加で注文しました。

 現在の経営者は2代目で、2012年に創業者からブランドと経営権を買い取ったそうです。ニュージーランドで3Dデータに関する会社を経営しており、買い取った理由は商売ではなく、自分自身がモデラーだったことと、タスマンモデル廃業の噂を聞き、自国の歴史ある模型メーカーが消えてしまうのは残念に思ったからだそう。

 本日、無事に荷物が届きました。
 
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 1/48のブーメランに関しては現在、チェコのスペシャルホビーから、ほぼ決定版のキットが出ており、多分、苦労して、このキットを作ることはないですが、20数年ぶりに不足パーツが届いたことを喜びたいです。


「義弟の葬儀で新潟に行ってきた」と話すと結構な確率で「万代シティバスセンターのカレーは食べましたか?」と尋ねられます。実は今回、一緒に葬儀に参列した長女と「帰りの新幹線に乗る前にバスセンターのカレーを食べよう」と誓い合っていたのですが(次女と奥さんは全く興味なし)、親族故に予定がビッシリで、新潟駅に着いたときは新幹線の発車時刻まで30分で到底、バスセンターに行ってカレーなんか食ってる余裕なんぞありません。
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 諦めて駅の売店でレトルトを買いました。
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 昔懐かしい町のそば店のウドン粉カレーかと思ったら、想像よりスパイシーでした。本物は次回の課題としたいですが、故人が無神論・無宗教なので一周忌とか三回忌法要とかないんですよね。
 

 義弟の葬儀のために新潟へ行っておりました。中学生の頃に高校数学の問題を解き、高校生の姉に微積分をレクチャーするほど頭の良かった彼は、鹿児島大学医学部に進学したものの、三年生になって持病のアレルギーが悪化し、満足に授業に出られなくなった上、担当教授と折り合いが悪かったことも重なって退学します。
 一時期は予備校の講師をしていましたが結局、医師になりたいと新潟大学医学部に再入学しました。卒業後は大学付属病院の医局で喘息とアレルギーの研究を続けて、7本の共著論文を提出し医学博士号を取得します。

 普段は無口で冗談も言わないので、きっと患者さんを診察するよりも研究室に籠るタイプだろうと私も家内も勝手に思っていました。
 なので、通夜や葬儀の席で病院の上司や同僚の医師、看護師から「患者思いの熱心な先生だった」「現場が厳しいとき、冗談を言って空気を和ませてくれた」「先生のブラックジョークが好きでした」「患者さんに人気があった」「地域老人の健康意識を高めるため、夜間集会を発案・実行し、それは今でも継続している」などの話を聞いて、とても驚きました。

 無神論者だったので葬儀は無宗教型式で行われました。無神論者=共産主義者と思われがちですが政治には全く無関心で、義母が年に数回も伊勢神宮を参拝する熱心な崇敬者だったことが嫌でそうなってしまったようです。無神論者故、戒名も故人を偲ぶ一周忌や三回忌の法要もなく、遺族としては寂しいですが本人の希望なので仕方ありません。

 あるとき、奇跡の回復について話題にしたとき「本人や家族が奇跡を期待するのは当然だし否定しない」と前置きしつつ、「義兄さんのいう奇跡が劇的な回復のことをいうならば、それは治療の成果が遅く出たのかもしれないし、ある治療方法で複合原因の一つが取り除かれた結果かもしれない」「自分は、後は神に祈るだけとか奇跡を期待という言葉は医学の敗北だと思っているので、口にしない」と語っていたので唯物論者でもあるのでしょう。

 死因は悪性リンパ腫で闘病生活は1年9ヶ月にも及びました。同僚の医師たちが全力で治療にあたってくれ、今年の夏頃には一旦は回復し、この様子なら10月に退院とまで言われましたが、ここ数週間で急激に病状が悪化しました。
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 新型コロナウイルス感染防止のため、お通夜は通夜ぶるまいもできず、葬儀の参列者を分散させるため、直前まで勤務していた総合病院でも、お別れ会を開きましたが、200名以上の医師と看護師、元患者さんが彼のために集ってくれたそうです。

享年58歳は、あまりに早すぎます。

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