GUMKA工房記

模型の企画・設計とロシアのレッドアイアンモデルズの代理店をやっている「GUMKAミニチュア」の備忘録を兼ねたブログです。雨が降ると電車が止まるJR武蔵野線の新松戸と南流山駅の中間辺りに事務所はあります。近所に素材や塗料が揃う模型店がありません。最近、昔からやっている本屋が閉店しました。


 労農赤軍の馬鋤とハンマーの国籍マークの自作ができず、長らく製作が中断していた1/35 マークB中戦車ですが、約半年の紆余曲折と試行錯誤の末、なんとか見られるデカールが出来上がりました。これまでの経緯は以下のとおりです。

*象のロケットWindows10用ドライバ+MD1300プリンター

 マイクロドライ・プリンターの駆け込み寺的存在である「象のエンジン」。ALPS製MDプリンターの修理やメンテの他、インクカセットや専用デカールなどの部材も販売し、さらに独自にWindows10用のMDドライバも提供しています。

 私はALPS純正Windows7用ドライバを持っていないので、このドライバをインストールしましたが、どうやっても黒しか印刷できず。仕事仲間のタヌタヌ岡田さんから「象のロケットのオリジナル・インクカセットはプリンターが黒と認識する仕様となっているので、それのワインを使えば赤いデカールが印刷できるのでは?」という、ありがたいアドバイスをいただき、さっそく試したものの、ワインはワイン色で赤ではなく、おそらく、これにイエローを合成すれば赤になりそうだけど、合成方法がどうしても不明で断念。
 さらに、このドライバでMDプリンターの使用後、シャットダウンした翌日にパソコンを起動すると、ブルースクリーンとなり、デバイスの接続もしくは解除方法に問題があったという内容のメッセージが表示されて再起動を求められることがしばしば。ただ、これも常に出るわけでないので詳しい方によればWindows10は各社プリンターの登録機能があるものの、ALPSのマイクロドライ・プリンターは登録できないので、幾つかの条件が重なった場合、PCが問題のあるデバイスを接続したと判断するのでは?とのこと。私レベルでは完全にお手上げでございます。

*Windows7ノートPC+海外のALPS販売サイトからDLしたドライバ

 次女が学生時代に使っていたWindows7ノートPCをくれたので、海外のALPS販売サイトからWindows7用ドライバをダウンロードしインストールしたものの起動せず。実はドライバは32bit専用で、次女の使っていたPCは64bit。たぶん、起動しない原因はこれかな?これも私レベルではお手上げ案件なんで次へ。

*格安Windows7 32bitノートPC+海外のALPS販売サイトからDLしたドライバ

 「どっかに格安のWindoes7 32bitノートPCないかなか?」と探していたら某ネットオークションにOSのみ、ソフト一切なしのノートPCが3000円で出品されており、ライバル不在で開始値で落札。前回同様、海外のALPS販売サイトからWindows7用ドライバをダウンロードしたものの、ZIPファイルを解凍してインストールしようとすると途中でエラー表示されて、なぜか実行できず。再び私レベルではお手上げ案件。この段階でマイクロドライ・プリンターに見切りをつけました。

*ハイキューパーツ製インクジェット用デカール+canonインクジェットプリンター

 結局、大回りして原点に戻り、ハイキューパーツのインクジェットプリンター用のホワイトデカールシートに国籍マークを印刷しました。多くの方々が指摘されているようにデカール自作にはインクジェットプリンターはベストではありません。私もデカールシートに国籍マークを印刷する段階でインクが滲んだり、貼るときに水に浸けたらインクが溶け出したりなど失敗の連続でした。
 インクの滲みは、K-トレーディング製のデカールベーススプレーで改善されると聞きましたが既に絶版品。ところが、仕事のついでに寄ったタムタム千葉店で売っていて(残っていて?)即買い。現在、タムタム千葉店は京葉線の稲毛海岸駅前に移転しており、その際に盛大な在庫処分セールをやったらしいので、今でも売っているかは不明です。「インクのにじみが強力に抑えられる」のコピーは半信半疑でしたが確かに吹き付けると印刷時の滲みは改善されました。自社のミラクルデカール専用を謳っていますが、ハイキューパーツのデカールにも問題なく使えました。
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 てなわけで完成したデカールを貼ってみました。いろいろ課題が残るものの、ようやく途が開けました。


 今年の4月の出来事ですが、電車に乗ったとき向かい席にシニア女性とそのお孫さんの小学校2~3年生の女児が座っておりまして。その女性の話す標準語が関西弁アクセント混じりで、ときどき語尾や問いかけが関西弁になるのですが、実は亡き祖父が同じ話し方だったので、数十年ぶりに聞く懐かしさでした。
 もともと大阪堺市に住んでいた祖父は1936年に勤務先の橋梁会社が東京支店を開設したため、同僚たちと共に引っ越してきて、それ以降はずっと関東暮らしでした。

 言葉に関して同僚たちの対応は様々だったそうで、営業担当の人たちは仕事柄、ほぼ全員が標準語をマスターした一方で、設計や技術系など社内に籠る人は関西弁のままが圧倒的で、祖父はその中間で標準語だけどアクセントや語尾が怪しく、話に興じると関西弁に戻るので、子供の頃は周囲の大人とは言葉が違うので不思議でした。
 ちなみに祖母は、毎日の買い物や近所付き合いもあるためかキチンとした標準語を話し、生まれは堺市だけど物心ついたときには関東暮らしだった父は全く関西弁を話しません。

 女性は短い革ジャンにアニマル柄ロングスカート(関東ではレアなアイテムです)、編上ブーツというファッションで黒髪混じりの長い白髪をポニーテールにしている一方、女児は全く普通の小学生で、そのギャップも面白かったのですが、聞くとはなしに聞こえる会話によると女児のお母さん、つまり女性の娘さんの誕生日プレゼントを買いに行く途中でした。それまで通う学校の様子や友達について女児に尋ねていた女性が突然、話題を変え、

「なあ●●●ちゃん、土屋アンナ、知ってるか?」と。

 お孫さんが「知らない」と返すと女性は、自分が若い頃は土屋アンナに似ていたので沢山の男性から求婚されたと話し、

「●●●ちゃんのお母さんも御婆ちゃんの若い頃とソックリで、しかもバッチリ土屋アンナがリアルタイムな時代に学生だったんで、そりゃーもう信じられんほどモテモテやったよ(だったよ、にならない)」

この後、どんだけモテていたかの驚愕のエピソードを語るのですが、これがなかなか凄く、女児のお母さん、電車内で勝手に過去を暴かれ大迷惑だったと思います。

「●●●ちゃんもお母さんに似とる(似てる、にならない)から、大学生やOLになったら(みんなが奢ってくれるので)、財布持たんでも街で御飯食べ放題、酒飲み放題できるで」(こんな直情的表現は関東ではあまり聞かないし、そもそも土屋アンナが何たるかを説明してないまま小学生相手に何を言うのやら)
 女性はスレンダーな体型で目が大きく、マスク越しでもきれいな鼻筋と細面がわかり、土屋アンナが60代になったら、こうなるんだなと納得してしまう容姿でした。

 お孫さんが「御婆ちゃん、声が大きいよ(お孫さんは極めてマトモ)」と注意したら「御免、御免、御婆ちゃん、●●●ちゃんとお出掛けできるが嬉しくて、興奮しているのよ(これはキレイな標準語)」

となって、一気に会話が大人しくなりましたが、とにかく楽しく、そして懐かしい数十分間でした。

 ライド・オン・タンクスでは文字数の関係で駆け足解説となってしまった戦車帽についてです。アルパインのフィギュアは1941年型戦車帽を着用しているのですが、いきなり1941年型とか言っても意味がわからないだろうから、原稿では、ざっくりと戦車帽全般について書きましたが1920~1940年代の戦車帽は、極初期のブジョノフカ型(1924年型?)、1931年型、1934年型、1936年型、1941年型の五種類がありました。

 ソ連邦が建国して間もない頃の労農赤軍の戦車兵は「シェルム(ヘルメット、保護帽)」と呼ばれるブジョノフカに似た革製の戦車帽を使っていました。
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 黎明期の労農赤軍らしいスタイルですが、本来の目的である頭部の保護には有効でなかったようで、1931年に緩衝用パッドを十文字配置した新しい戦車帽に切り替わります。この1931年型戦車帽は写真が極めて少ない珍品です。
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 実際に使ってみると1931年型戦車帽でも頭部の保護に不十分だったようで、1934年に緩衝用パッドのレイアウトを全面的に見直した戦車帽が登場します。
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 中央部と側面に各三本の緩衝用パッドが付いた1934年型戦車帽はイヤホンの装着ができないだけで、戦後まで続くソ連戦車帽の基本的なスタイルを既に確立しています。1936年型が登場した後も無線機を搭載していない軽戦車の戦車兵は、1934年型戦車帽を使い続けたため、情報が少なかった冷戦時代には「軽戦車用の戦車帽では?」と推測する西側の研究者もいました。

 1932年に機械化軍団が新編成されると、数多くの戦車を効率的に指揮・運用するには通信装備が不可欠だとの結論に達し、1934年型戦車帽を改良してイヤホンと咽喉マイクが装着できるようにした「シェレマホーン(通信装置付き保護帽)」が1936年に制式採用となります。戦車兵からは変わらず「シェルム」と呼ばれていました。
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 アルパインのフィギュアの戦車帽は、1936年型をさらに改良した1941年型を着用しています。1936年型と基本形状は同じですが緩衝用パッド、金具とボタンなど細部が異なります。
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 通常はダークグレーの綿布製で1936年製には黒い革製と綿布製がありましたが、私は今まで1941年型戦車帽で革製を見たことがありません。夏用と冬用があり、夏用は裏地が吸汗性のある起毛布地で冬用は動物毛皮でした。
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 1936年型の夏用の裏地の色はグレーや白色、茶色、青色など様々ですが、1941年型は青色が多いようです。耳の部分はイヤホンを装着できるように開閉式のフラップ状になっています。戦車帽の上部と後部にある布ベルトを調整してサイズを合わせます。
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 私が所有している戦車帽のボタンと止め金具は金属製で、止め金具(Dリング)は打ち抜きプレス部品です。1934年型戦車帽の画像をよく見てもらうとわかりますが、金属棒を曲げ加工した止め金具を使っているので、ここは戦時中に量産するために簡略化したのかもしれません。

 シェレマホーンは細部こそ改良しているものの、基本形状に大きな変化がないまま、現在もロシア連邦軍で使用されています。(続)
 

*戦車帽以外の軍装についてはアーマーモデリング誌2020年9月号を読んでください。


 今月号のアーマーモデリング誌のライド・オン・タンクスでソ連戦車兵の軍装について解説しましたが、当然のことながら文字数に限りがあったので補足です。軍装全般については敢えて書かないので、アーマーモデリング誌を読んでください。

 ソ連戦車兵用の手袋は「コジェヌィエ・ペルチャトキ・ス・クラーギ」、略して「コジェヌィエ・クラーギ(クラーギ手袋)」と呼ばれます。クラーギとは何ぞや?と露和辞書で調べると革製ゲートルとか長手袋の腕周りと書いてあるので、昔から「長い革手袋のことだろう」と漠然と思っていたのですが、今回、記事を書くにあたり、詳しいロシア人に教えてもらいました。
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 「クラーギの語源は、オランダ語のKraag(クラーク)で、もともとは襟という意味だ」「18世紀に甲冑のガントレットが手首に襟が付いたように見えたので、このように呼ばれるようになった」「ガントレットと同じ形だから、この形の手袋のこともコジェヌィエ・クラーギと呼ぶ。つまり、ガントレットグローブのことだ」

 いや~長年の精神的残尿感が解消しましたとも。御存知の方も多いと思いますが、ガントレットは剣道の籠手に相当する西洋甲冑の防具です。
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 言われてみれば、コジェヌィエ・クラーギは、バイク用のガントレットグローブと形状が同じですね。いつも身近に見ていたのに全然、繋がらなかったです。

 


 現在、販売中のアーマーモデリング誌9月号の連載記事「ライド・オン・タンクス」でアルパインのフィギュアに絡めて第二次大戦中のソ連戦車兵の軍装について解説しました。

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 作例の担当は國谷忠伸さんで、各段階ごとに撮影した写真を使い、ステップ・バイ・ステップでわかり易く解説しているので、ぜひご覧ください。

 本号の巻頭特集は「水」の再現方法ですが、今までも集大成ともいうべき内容で、一読の価値ありです。 


 帰宅途中、公園を通ると小学2~3年と幼稚園児ほどの男子、3歳くらいの女児、母親らしき女性が桜の木の脇に立っており、弟君が「早くしないと逃げちゃうよ」「遅いよ」と半泣き駄々をこねています。
 見ると桜の木の低い位置にアブラゼミがとまっており、どうやらそれを採りたい様子です。ああ、お母さんを含めて、誰も虫を触れないんだなと思い「セミ、採りたいの?」と声を掛けると、男子二人が「今、お母さんが網と虫籠を取りにマンションに行ったけど帰ってこない」「逃げちゃうよ」を同時に堰を切ったように喋り始め、一瞬わけがわからず。

 お母さんだと思った女性は、実は男子二人の母親と同じマンションの住人(女児のお母さん)で、絶好の位置にいるセミを採りたいと兄弟が望んだため、母親が自宅まで網と虫籠を取りに行き、その間の二人の監視役を頼まれたけど、戻りが遅くて二人がイライラしていると説明してくれました。

 ああ、それならとパッと手で捕まえたら「手で捕まえた!」「すごい!」「手だ!」と二人とも興奮しまくり。

「おじさん、セミ、手で捕まえれるの?」そうか、今は「ら」抜き言葉なんだね。
「おじさんの子供の頃は、みんなセミを手で捕まえていたよ」
「どうして手で捕まえれるの?」
「昔は普通だったよ」
「どうして、昔は手で捕まえれたの?」
 二人とも初めて見る光景にアドレナリン出っ放しで瞳孔開いて、同じような質問を繰り返す面倒くさいモードになっていたので、冗談で「おじさん、前世が猫だから、手で捕まえられるんだよ」と言ったら、女性は笑ってくれたけど、二人はさらに興奮して
「おじさん、猫なの?」「いや冗談だよ」
「猫はセミ、手で捕まえれるの?」「いや冗談だって」
「今でも猫の言葉、話せるの?」面倒だから合わせて
「人間になったら、猫の言葉はわからなくなるんだ」と言ったら
「そうなんだ」
 お兄ちゃんにセミを渡して帰ってきましたが、渡すとき「このセミ、鳴かないからメスだね」と言うと「猫だからわかるの?」いや、鳴かないからって説明したろうが!

 きっと母親が戻って来たら「前世が猫のおじさんがセミを捕まえてくれた」とか言ったんだろうな。

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